第4話

 昨晩、ユイナさんと今日の事を遅くまで打合せた。その打合せどおり僕は夕刻、ある音楽大学の校門横のベンチに座っていた。ユイナさんの声が聞こえた。

「彼が来たわ。」

見ると校門から一人の男性が出てくる。僕は近づくとその男性に声をかけた。

「タケダさんですか?」

「?どなたですか。」

「突然すみません、僕はアイザワと言います。ユイナさんに頼まれてここにいます。」

ユイナさんの名前を出すとタケダさんの表情は悲しみで歪んだ。

「ユイナ君は事故で亡くなったよ。君は誰なんだ?」

「信じてくれないと思いますが、ユイナさんは霊となって僕の隣にいます。」

「僕をからかってるのかい?亡くなった人の名を使って人をからかうなんて許される事じゃないよ。」

僕はなんとかユイナさんの願いを叶えなくて必死に訴えた。

「タケダさん、僕を信じてくださいとは言いません、でもユイナさんは信じてるでしょう?お願いです。ユイナさんの願いを聞いてください!」

僕は深々と頭を下げて武田さんの返事を待った。

「…アイザワ君と言ったね、ユイナ君の願い…聞かせてくれないか。」

僕は顔を上げるとタケダさんが静かな目で僕を見つめていた。

「タケダさんにピアノの演奏を聴いて欲しいそうです。」

「霊になったレイナ君がピアノを弾くっていうのか?」

タケダさんはやはりからかわれたと思ったのか声に怒気が加わった。

「レイナさんが僕の指を操って弾くんです。」

タケダさんが僕の瞳を凝視する。僕は視線を逸らすことなく訴え続けた。

「ユイナさんは僕に言いました。私が弾けばタケダさんなら判ってくれると。」

数秒の沈黙の後、タケダさんの目から怒りの感情が消え、代わりに深い悲しみの色が浮かんだ。

「分かった、ピアノを聴かせてくれるかい。おいで。」

そう言うとタケダさんはキャンパスの中に戻っていった。僕はその後を追った。


 校舎の中に入っていくとある部屋の前にたどり着いた。僕はタケダさんの後に続きその部屋の中に入った。照明をつけると小さな部屋に大きなグランドピアノが1台置いてあった。タケダさんは鍵盤蓋を開けるとピアノの横に移動して言った。

「どうぞ。」

僕はピアノの前の椅子に座った。そしてユイナさんに話しかけた。

「ユイナさん、準備はいい?」

そして僕は目を閉じると大きく深呼吸した。少しでもリラックス状態が深くなるようにイメージを広げていった。すると急にそのイメージの中に温かい光が差し込んできた。前にも感じた〝同化〟が始まった。気が付くと僕は自分の指を見つめていた。それはユイナさんの意図する動きで僕はそれを見ているだけの状況になっていた。ユイナさんはタケダさんの顔を少しの間見つめた。ユイナさんの切ない気持ちが伝わってくる。視線が鍵盤に移った。ユイナさんに操られる僕の指が鍵盤の上に置かれ、静かに演奏が始まった。

その曲はとても有名なよく耳にする曲だが僕は曲名を知らなかった

「…トロイメライ…」

タケダさんがつぶやいた。演奏しながらユイナさんは時々タケダさんに視線を送った。タケダさんはとても驚いた表情をしていた。演奏に熱がこもってくる。ゆったりとした演奏の中でいくつもの情景が僕の心に次々と流れ込んでくる。タケダさんがユイナさんにピアノのレッスンをしている情景が多かったが、二人で遊園地に行った時のものやプラネタリウムに行ったものもあった。どの情景でもタケダさんがユイナさんを見る目はとても優しく、友愛に満ちていた。僕はタケダさんこそユイナさんのカレシである事を悟った。

演奏が静かに終わった。最後の音がまだ室内に余韻を響かせる中、タケダさんの嗚咽が聞こえた。

「…この演奏はユイナ君の演奏、本当にユイナ君なのかい?」

ユイナさんが武田さんに視線を送った。ユイナさんの想いが僕の目から涙となって流れ落ちるのを感じた。その時、僕の体から何かが抜け出した。僕の横にユイナさんが立っていた。

「リョウヘイ君ごめんなさい。君をカレシとか言って…」

「いいんだ。」

僕はユイナさんの言葉を遮った。

「ユイナさんがどれほどタケダさんのこと好きか分かった…」

「…リョウヘイはいい男になるよ。私が保証する。」

ユイナさんの笑顔が涙で濡れていた。僕は思わずユイナさんを抱きしめようとした。しかしその腕は空を切った。

「…アリガトウ、サヨウナラ…」

そう言ったユイナさんの姿は薄くなり、やがて見えなくなってしまった。


 タケダさんを部屋に残し、僕は部屋を出た。校門を出ると昨日のお坊さんがそこにいた。お坊さんは僕をしばらく見つめると、いきなり背を向け、低くお経を唱えながら去っていった。

                                     終

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初恋はピアノの調べと共に 内藤 まさのり @masanori-1001

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