第40話 逃がす

「はい、清乃さんは、こっち。で、ユキエさんは、こっちです」

頼まれた物をそれぞれに渡す。

 若いホステスたちは、中身を見たがって集まる。綺麗なデザインの下着に、キャアキャア言っている。


「それで、これが、華さんの」

長次は特別なことは何もない、といった感じで、華に紙袋を渡した。数枚の服が入っていた。

「わあ、綺麗。素敵です。ありがとうございます」

一枚一枚出して、鏡の前で当ててみていた華だったが、最後の一枚を当ててみたとき、鏡にうつる自分の姿にハッとした。

「似合う似合う!!」

「凄く可愛いよ〜、華!」

「やっぱり、長次さん、センスあるよ!!」

そう言って後ろで手を叩く、皆の声。振り返ると、「彼」がいた。


「長次……さん……」


 ガクリと、力が抜けて、華がその場に座りこんだ。慌てて、皆が華を囲む。

「長次さん、華を向こうの部屋へ」

夕子が長次に言う。

 長次は、華を抱えると、言われるまま、夕子の部屋に入った。


「思い出したの?」

「え……?  あの……」

まだボーッとしている華を見て、夕子は長次に言った。

「名前を呼んでやりなさい。」

「えっ?  でも……」

「いいから」


 長次は、華の目を真っ直ぐに見ると、名前を呼んだ。

「妙子!」

びっくりしたように目を見開いて、華は長次を見る。

「妙子!! 妙子!! 戻ってこい、妙子!!」

やがて、華の目から涙がこぼれた。

「……長次……さん……」

強く強く抱き合う二人。


 けれど。


 これはマズい状態になってしまったのではないかと、長次が気付く。夕子を見る。夕子は黙って、長次の手に妙子の手をしっかりと握らせた。


「いい?  何があっても、この手を離してはダメ。わかった?」


 夕子の言葉に、二人とも深く頷いた。


 夕子の部屋から続く階段を降り、誰にも見つからず、裏口へと二人を連れて行く。



「夕子様、いけません」

門番の老人が言うが、構わず、夕子は曲がり角の向こう側へ逃げるように二人に言った。

「え? 夕子さん、あちらには行ってはならないと女将さんが……」

長次が驚いて、夕子の顔を見る。

「夕子様?!」

老人も驚きの声を上げた。


「見逃して。あちらに送り込んでもいいの。この子たちは不幸にしてはいけない」

「しかし!」

「女将には私から謝ります。だから、お願い」

「……わかりました。」

老人は夕子に頷いた。



「わしがヤツの気を引いているうちに、早く逃げるんだ、いいな?」

老人が長次に言う。

「ヤツ?」

「いいから。わしが合図したら、とにかくお前たちは、真っ直ぐ走れ」

「は、はい」

「迷うなよ。信じて走れ。手を離すな。わかったか」

「わかりました」

長次は、妙子の手をギュッと強く握った。妙子もギュッと握り返した。



 通路の出口で、老人が止まる。誰かと何か話しているようだ。


 老人が合図を送った。

 二人、手をしっかり握ったまま走った。

 右側に屋台のようなものが見えて、見つかったかと、立ち止まりかけた妙子を、グイッと引っ張って、長次は真っ直ぐに走り続ける。



 やがて、ふたりの周りを白い光が覆った。



 光を抜けるとき、暫く気が遠くなる感じがあった。


 気がつけば、車が走る音、沢山の人が行き交う音。信号の音……いろんな音が入り混じる。


「ここは……」

長次が立ち上がりかけたとき、右手にしっかり握りしめた物を感じた。

「痛っ!」

妙子だった。

「ごめん、 大丈夫か?」

長次が言うや否や、彼女は彼に抱きついてくる。震えている。


 怖かったのも勿論あるが、寒かった。今は何月なんだろう。俺たちは何でこんなに薄着で、靴も履いていないんだろう……。


 そして……俺たちは、一体どこから、どうやってここに来たのだろう? 何でここに?

 何も思い出せなかった。


「あの、大丈夫ですか?」

優しそうな女性が声をかけてくる。

「すみません、道に、道に迷ってしまって……。近くに交番はありませんか?」

「ああ、あの公園の入口付近にあります。行けそうですか?」

彼女は、震える妙子のことを気遣って言ってくれた。

「大丈夫です。行ってみます」



「あなたの名前が、長次ちょうじさん、で、彼女の名前が、妙子たえこさん」

「はい」

長次は答える。貸してもらった上着を、腕を通さず羽織っている。背が高く、肩幅も広い彼には、上着は少し小さい。

「あなたと彼女のご関係は?」

巡査の岡田は、妙子を見る。貸してもらった毛布に包まれて、ストーブの前でガタガタ震えている。……寒さだけではなかっただろう。

「恋人です」

長次は、きっぱりと答える。


「参ったな〜」

岡田は腕を組んで溜息をつく。

「困ったもんだな。本当の話なのか?」

田辺巡査部長も困り果てる。

「名前と関係だけは覚えているが、他のことについては何も覚えていない。もう真冬が来るというのに、こんな薄着で、しかも裸足。どこからか逃げてきたんですかね?」

岡田が田辺に言う。

「とりあえず、本部に連絡して、届けが出てないか確認してみろ」

「わかりました」


「……出てないようです。どうします?」

「とりあえず、保護するしかなさそうだな」


 二人は、保護施設に入れられ、記憶がないままに、生きていくための手続きを踏み、令和4年の住人となった。



 まさか自分たちが昭和40年から来ているとは思いもしないで。


 何があっても、二人で生きていきたい。

 ただただ、その思いだけで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る