第39話 服

 はなは、夕子の下で、ホステスとしての仕事を覚えて行った。元気になって、笑顔も戻った。時折、無意識に昔の仕草を見せることがある。長次は、そんな妙子、いや、「華」を見ると、複雑な気分になった。


 生きて帰ってきてくれたことは、とても嬉しかった。あんな形で、妙子を失うなんてあり得ないことだ。本当だったら、ミエに刺されていたのは長次の方だったのだろう……。

 それにしても、自分との関係に全く気付いて貰えないのは辛いことだった。「妙子」と呼びかけられないのも。彼女はもう「華」として生きていくことを強いられてしまっていた。


 華は、外には出してもらえなかった。ずっと、宿の二階にある「女たちの部屋」で生活しなければならなかった。奥の間にいる女たちは外には出して貰えない。必要なものや欲しいものは、やはり奥で働く男たちが買いに行くことになっていた。そう、奥の間の女たちは、ここで「飼われて」いたのだった。



「辛いわね」

夕子が、そっと声をかけてくる。自分がまた華を目で追っているのがわかったのだろう。

「すみません……つい」

「仕方ないわよ。そんなに急に割り切れるものじゃないし」

「ここの……奥に居る女の人たちは、皆、ここに囚われているんですか?」

「『囚われている』?  そうねえ。『飼われている』とは言われるけど。でも、自分から飼ってくれって言ってきた子は殆どいないだろうからね」

夕子は、遠い目をして言った。

「皆、訳ありなのよ」

自分から来たくてここに来たわけではない。夕子にはどんな事情があったのだろう。……聞いてはいけない気がした。



 長次も相変わらずホストクラブの方で働いている。男たちは、家に帰ることを許されていた。というよりも、奥の間の女たちに手を出されないよう、強制的に帰らされた。但し、この宿の秘密を人に漏らしたら、本人だけでなく、家族全員消されるという話だった。勿論、その話を聞いた人間も。どこまでが本当かわからないが、全部本当かも知れない。誰も口外しようとはしなかった。



「安子さん、これ、頼まれてたやつね」

ホストのナンバー3の明弘あきひろが、紙袋を二つ、ホステスの安子に渡した。

「え〜、何?」

他の若い女の子たちは、安子の紙袋の中身を見たがる。

 片方はスーツだった。仕事用だ。

「なんだあ。つまんな〜い。」

もう片方は、お菓子だった。百貨店でしか手に入らない、高級チョコレートやクッキー、焼き菓子など。

「皆でたべましょ。紅茶も買ってきて貰ったの」

皆が「ワ〜ッ」と歓声を上げる。

「安子さん、紅茶いれてきます。華ちゃん、手伝って」

華より少し年上の子が、華を給湯室へと連れて入って行った。


「女の人たちの買い物を請け負うのは構わないんですか?」

長次は、夕子に尋ねる。

「基本的に、頼まれたものだけね。誕生日プレゼントなんかは別だけど」

「プレゼントか……」

「奥の女たちには手を出さないこと。それがルールよ、長次さん」

夕子は長次の頭の中を読むように言った。

「は、はい」

長次は慌てて、頷いた。



清乃きよのさんが、ピンク色で、ユキエさんが、赤、ですね」

「そうだけど……長次さん、ホントにいいの? こればっかりは、下っ端の男の子に頼むのよね。でも、毎回恥ずかしがっちゃってさあ」

「俺も下っ端ですよ。まあ、確かに、女の人の下着は買いにくいでしょうが」

清乃とユキエが笑う。

「じゃあ、悪いけど、お願いね」

二人にサイズを聞いて、買いに行こうとしていると、ユキエに呼び止められた。

「ねえ、華のも買ってきてやってくれない?」

傍で聞いていた華は慌てる。

「い、いいです、いいです。私はお姉さんがたの余っているのを頂いてますし……間に合います」


「長次さん、買い物に行くなら、華の服も何枚か見繕みつくろってきてくれない?  この子、若いから、スーツじゃ地味でね」

傍で聞いていた夕子が参加してきた。

「えっ?」

長次と華の声が重なる。華は、真っ赤になって俯いた。

「あんた、センスがいいからさ」

夕子が、その様子に笑いながら言う。

「わ……わかりました」



 街に出た長次は、まず、百貨店に行き、清乃とユキエに頼まれたものを買う。婦人物下着のコーナーで、男が一人でウロウロされるのは、店にも迷惑がかかるだろうと、直接レジに行く。「頼まれたのですが」とレジの店員に色とサイズを頼むと、数種類持ってきてくれたので、その中から選んだ。

 こちらは難しそうで、何の問題もない。


 さて。と、長次は華のための服を選びに婦人服売り場に行った。


 前に、一緒に来たなあ。

 妙子、凄く戸惑いながら試着してた。

 あの服、とても似合っていた……


「あれを……」



 長次は、百貨店を出ると、走った。華のアパートへ。いつか華、いや妙子が帰ってこられるように家賃を払い続けていたのだった。

 鍵を開けると、長く留守にしている部屋は、少し湿気を帯び、人の住んでいない家独特の匂いがしている。窓を開けて空気の入れ替えをした方がよかったかもしれない。


 けれど、長次の頭はそれどころではない。


 あの服だ。どこにしまった、妙子?


 泥棒にでも入ったように、箪笥たんすの中をくまなく探したが見つからない。 

 ふと、箪笥の上に、綺麗な箱があるのに気付いた。開けてみる。


 あった。


 それは、とてもとても大切に、薄い紙に包まれて、箱の中に入っていた。

 思わず、その服を強く抱きしめる。ほんのりと、妙子の匂いがした。


 妙子……

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