第23話 南

 バッ!!


 布団を蹴落とす勢いで、瑠奈はベッドから起き上がる。


 その辺一帯が血の海だ。


「きゃああああ!!」

大きな悲鳴を上げた。


 何なの? なんでこんなことになってるの? 私の血? 私は殺されたの?? 生きてるの??


 ハッとして、瑠奈は部屋のテーブルの上にある鏡に手を伸ばす。

 恐る恐る、自分の顔を見た。

 血まみれだった。

 が、よく見ると、なんともない。ただただ血まみれなだけで、傷ひとつついてはいなかった。

「何なの?! どういうこと?!」

パニックにおちいりそうになった時、顔についていた血は、すうっと消えてしまった。

「えっ??」

ベッドの上やラグの上にあった血の海も、嘘のように消えていた。


 ドンドンドンドンドン!!

「瑠奈! 瑠奈?! どうしたの! 何があったの?!!」

母親が大きな声で部屋のドアをノックしていた。

 いつもは夜中にスマホでゲームをしたり友達と話したりしているのを注意されるのが面倒で、瑠奈は部屋の鍵をかけていたのだ。


 鍵を開けると、母親が部屋に入ってくる。と、同時に、瑠奈は彼女にしがみついて震えながら泣いた。

「どうしたの? 何があったの?」

「嫌! もう嫌! 怖い。もう無理……」

「瑠奈?」

「あそこには行きたくない。殺される」

「怖い夢を見たのね?」

「夢じゃないんだよ? あたし血まみれだった」

「血なんか、どこにもないよ。大丈夫。瑠奈。夢だから。ね」

「大丈夫じゃないよ……大丈夫じゃない……」

「怖かったねぇ。よしよし」

母は瑠奈を抱きしめたまま、背中をさすって落ち着かせた。


「ほら、朝ごはんにするよ。降りといで」

「うん……」

瑠奈は、のろのろと着替え始めた。母は台所へと戻って行った。


 席につくと、母がトマトジュースを持ってくる。

「珍しいわね。自分で取りに行かないなんて」

 トン、とコップを目の前に置かれた瞬間、瑠奈はまたパニックに陥った。トマトジュースの赤が、もうダメになっていた。



 南に話した。

「何それ? ホントに殺されちゃうの? 怖っ」

「殺されたかどうかはわかんないんだよね。ただ、顔を切られた」

「顔を切られた?」

「うん。こういう感じで。ザクッと」

瑠奈は切られた所を南に示した。

「え……? 目も鼻も口も……全部じゃん……」

「小刀で、こう、ザクッと斜めに……」

「いや、待って、もう考えたくない。怖すぎる」

南は目をギュッと閉じて、胸を押さえた。


「1機死んだわあ」

瑠奈が他人事のように言う。

「のんきなこと言ってる場合? 次成功しなきゃ、ホントにヤバイんだからね?」

「ねえ、夢でホントに殺されることってあるのかな?」

「それは……わかんないけどさ」


「でさ、ごめん、南に頼みがあるんだわ」

「何?」

「今晩、うち泊まってくれない?」

「いや……いいけどさ。あたしが一緒に寝てたとて、瑠奈のこと、助けてあげられる?」

「一人で寝るのが怖いの。お願いっ!!」

「……わかった」


 

 瑠奈の手首と、南の手首にひもを結んで眠った。

「あたしが夢で殺される! って思ったとこで紐を引っ張るから、そしたら、すぐにあたしを起こして、お願い!!」

と、瑠奈から頼まれたからだった。

 南が、

「待って、それ、あたしが眠れないじゃん」

そう文句を言うと、

「ごめんっ! 後で何でもするから! お願い!!」

深刻そうに言われて、断り切れなくなったのだった。


 布団に入って、話をしているうちに、眠くなったらしく、瑠奈はすぅすぅと寝息を立てて寝てしまった。南は隣で、眠ってしまわないようにスマホでゲームをしていた。

 ゴンッ。

スマホが顔を直撃し始める。いかんいかん。落ち始めてる。南はゲームに集中する。

ゴンッ。ゴンッ。ゴンッ……。


 気がつくと、南は瑠奈の斜め後ろにいた。ベッドの上ではない。瑠奈の言っていた、曲がり角の所で。


「お前さんは、『連れてきた』のかい?」

「えっ?」

瑠奈は、後ろを見る。まさかの南。

「親友だよ。何? 『連れてきた』って?」


「その子を、お前さんの代わりに、捨てに来たのか?」

老人が、瑠奈に耳打ちする。

「そんなわけないだろ! 南は、あたしの一番大事な友達なの!!」

南には聞こえないくらいの声量で話す。

 南は珍しそうに、曲がり角の向こうを覗き込んだり、門の中を覗き込んだり、壁や生け垣を触ったり、来た道をキョロキョロしながら歩いてみている。勿論、余り遠くには行かないが。

「では、何故連れてきた? ここは要らぬ男や女を捨てに来る所だぞ」

「捨てに来る?」


「要らぬ男たちは博打や女に夢中になって、どんどん借金を重ね、そのうち金を払えなくなる。そうしたら、お前さんが見たように、吊るされて、殺されて、肉と骨だ」

「あたしも……あたしも殺されたの?」

「うむ。同じ方法でな。もっとも、お前さんは気絶していて、何も気付かなかったようだが」

「そんな……」

「『客』は大喜びだった。若くて柔らかくて、程好く脂も乗って……」

「やめて!やめてやめて!!」


「で、どうする気なんじゃ? その娘を捨てるのか? その娘をこの中に入れれば、あんたは自由になる。もう、この夢は見なくなるんだが」

「南が女に溺れるわけないでしょ!」

「心配するな、男もおる。色男じゃ。すぐに虜になる」

瑠奈は南を見た。南は相変わらず、その辺をキョロキョロ見ている。


 少しだけ気持ちが揺れた自分を恥じる。南は、瑠奈の掛け替えのない友達。親友だ。捨てるなんて、とんでもない。

「南は元の世界に戻してあげて。あたしが行くから」

どちらにしても辛い決断だ。

 それでも、南だけは巻き込みたくなかった。まさか、あんな方法で一緒に夢の中に来られるとは、思ってもみなかったけれど。


「ねえ、ちょっと待って」

「何だ?」

「捨てたい奴、連れてくればいいのよね?」

「そうだが」

「いる。他にいる。そいつ連れてきたんじゃダメ?」

「……そうじゃなあ」

「お願い! 今回は見逃して!! 次はそいつを連れてくるから!」

老人は渋々頷いた。

「いいだろう。ただし、今回だけだぞ」



 朝、起きると、二人とも無事だった。南は、曲がり角に行ったこと以外、何も知らないので、キョトンとしていたが、瑠奈にギュッと抱きしめられて、笑った。

「ごめん。寝落ちしたわ」

瑠奈は、そんな南に頬ずりして、またギュッと抱きしめたのだった。

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