第15話 夢への通路
「調子はどう?」
奥の廊下で、すれ違いざま、夕子に話しかけられる。勿論、体調のことではない。
「なかなかですね」
「そう。大変ね」
「早く治したいんですけど」
「私にできることがあれば言って頂戴。できるだけのことはするから」
報酬ははずむから、早く捨ててこいとのお達しだ。
「ありがとうございます」
わかりました。努力します、だ。
短く会話を交わすと、夕子は奥に消えた。一旦休憩、というところだろうか。
渡辺が来ていた。もうとっくにルリ子の客になっていた。
「ルリ子、次はいつ行こうかね? たまにはお前も一緒に楽しんだらどうだ?」
渡辺は遠慮もなくスカートの中に手を入れる勢いで、ルリ子の太腿を撫でる。夕子には、絶対に中について入るなと言われている。理由は聞いてないけれど。
「あら、あっちは綺麗なお姉さんたちでいっぱいじゃありませんか。私なんかが出る幕じゃありませんよ」
ニコッと笑って、渡辺に酒を渡す。
「ガハハハ。確かに別嬪さん揃いじゃな」
渡辺は豪快に笑った。
さぞかし気持ちがいいだろう。こいつはずっと勝ち続けているのだ。本当に身ぐるみ剥がされて肉と骨になるなんてことがあるのだろうか……。ずっと勝ち続けられたら、私はどうなるのだろうか……。
ルリ子は、だんだん不安になってきていた。
今日も、渡辺を、例の曲がり角にある裏口へと連れて行く。
今日こそは……今日こそは……。
中の芸者に渡辺を預け、玄関から走るように裏門へと出る。
「なかなか金が尽きないみたいで嫌になるわ。早く肉になればいいのに!」
と、いつものように大きめな独り言を言ってしまって気付いた。
老人の後ろ、曲がり角の影に、二人の若い男女がいる。女は少し子供っぽい顔だが20代半ばだろうか。男は細身だがいい男だ。30少し手前くらいか。まさか、この女、可愛い顔をして、こんな若い男前を捨てに来たのか……。
「じゃあ、あと、お願いね」
ルリ子は、丁寧にお辞儀をする老人にそう言うと、チラッと彼らを見て、
「ふんっ」
と
あんな男前なら、あたしが買ってあげてもいいくらいよ。何よ、贅沢な女。
渡辺は負けないようだ。余程金運がいいのだろう。今日も送ってきて、外へ出て、ため息をついた。
「そう言えば、この前の子は、とっとと肉と骨になったの?」
老人に問いかける。
「ああ、あの人がたは、間違って迷い込んだ者でございます」
「迷い込んだ?」
「ええ、夢の方から」
「夢から?」
「世の中は不思議だらけでございますね」
そう老人がルリ子に笑いかけた時、通路の入口から人の声がした。老人はサッとルリ子を曲がり角の先へと隠す。
今、話題に上っていた女の子だった。今回は前とは違う、中年の、脂ぎった、腹のでっぷりと出た男を連れている。
「おやおや、これはこれは、いつもお世話になっております」
老人はうやうやしく頭を下げた。
「お客様は、初めてでいらっしゃいますね」
「ああ、今日は、これの案内でな」
でっぷり太ったギトギトした男が偉そうに答える。
「さ、こちらへ」
老人は男を門から中へと導いた。その瞬間に、女を引っ張って短く何か耳打ちする。
男が
「おい、どっちだ?」
と言っている。
「すみません。こちらです」
彼らは中に入って行った。
すぐに女が走って出てきた。
「ご苦労だったな。しかし、よく考えついたものだ」
老人が女に言う。ルリ子と話すときより、少し砕けた感じだ。
「これで……これで、私は逃げ切れたんですよね?」
女が老人に確認するように言うと、彼は首を傾げて言った。
「残念だが、保証はできん」
「えっ?!だって……」
「あの男が勝って帰った時には、あの女と同じ事だ。」
「あ……」
「あの女」。自分のことを言われているのだとルリ子は気付く。
そうか、この女は、今度こそ本当に「捨てたい男」を捨てにきたのか。
それにしても……
ルリ子は考える。
「夢の方から迷い込んできた」と、老人は言った。……もしかして……彼女にとって、これは「悪い夢」なだけなのかもしれない。
「もしかしたら……」
私の今のこの状況も「悪い夢」に過ぎなくて、どこかに夢からの出口があって、そこから出てしまったら、この悪夢から抜け出すことができるのではないだろうか。
出口? どこに……?
ふと気付く。あの女は別の男を連れて、老人の後ろ側、つまり、自分は行ったことがない、曲がり角の向こう側にいたということに。もしかして、この、曲がり角の先なのか?
ルリ子は、老人が女と話している隙に、曲がり角の先へと歩を進めた。女を見送ったあとの老人が、それを見付けて、追いかけてくるのがわかる。
「いけません! そちらに行ってはいけません!!」
背後にその声をききながら、ルリ子は必死で走った。
通路を抜けると、急に視野が開けて、広い場所に出た。こんなところに続いていたのか……。これは現実なの? 夢なの?
醤油の焼ける、いい匂いがした。振り返ると、赤い提灯を出した屋台。焼き鳥か何かの屋台だろうか? こんなところに突然、不自然にある。にも関わらず、何人かの客が居るようだった。
屋台の店主と目が合った。店主は不気味な笑いを見せた。
追ってきた老人はどうなったのだろう? と、通ってきた通路の方を見る。
「ない! ない! ……ないわ。どうして??」
通路はなくなり、そこは壁になっていた。
もしかして……
本当に、今までのことは悪い夢で、私は、そこから抜け出すことができたのだろうか?そんな夢みたいな話が本当にあるんだろうか?
緊張が急に緩んで、ルリ子は気を失ってしまった。
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