ルリ子の場合

第13話 ルリ子の場合

 まったく、あのジジイ、しぶとい。早く負けてしまえばいいのに。夕子ゆうこねえさんに頼まれたから仕方なくやってる仕事とはいえ、あんなクソジジイの相手はもう嫌だ。


「早く消えろ、クソジジイ!」

裏口を出たあと、小声で呟いたつもりが、つい大きな声になってしまった。

「お客様、お声が、お連れの方に届きますよ」

振り返ると、裏門で番をする老人が笑っていた。


「今回こそ……よね? 今度こそ、骨と肉になってもらうわ。そうじゃなきゃ、もう……」

ルリ子は涙声になる。

「残念ながら、わたくしにも、そこについてはわかりかねます」

「そうね……。どちらにしても、連絡して頂戴」

ダメなら迎えに来るしかない。

「かしこまりました」

老人は丁寧にお辞儀をして言った。



 ルリ子は、ゴミ捨て係だ。高給クラブのホステスの一人で、真ん中より少し上くらいのクラスだけれど。

 本当のゴミは勿論、ボーイか、いなければ一番新人の子の係。ゴミ程度の客については、下っ端の子が充てがわれる。



 夕子姐さんはトップ3の中の一人だ。お金持ちのお客さんの要求があれば同伴もするし、アフターも。ただ……


「ルリちゃん、いいかしら?」


裏で姐さんに呼ばれる。ほら、来なすった。ルリ子はゴクリと唾を飲む。


「あの男ですか?」

「そう。ルリちゃんを紹介したいの、いいかしら?」

「……わかりました」


 見るからに絵に書いたような金持ちの男。もう75だと言った。そんな年であっちはできるのか……男ってすごいな。そう思いながら、男の傍に行く。

 夕子が、すかさずルリ子を紹介した。

渡辺わたなべ様、この子、今売れっ子のルリ子と申しますの。ご同席よろしかったですか?」

「ほお。こりゃ別嬪べっぴんさんじゃな。なんなら、ここでも構わんぞ」

渡辺と呼ばれた男は、自分の股を指さした。

「あら、嫌だ〜、また、そんな冗談を〜」

夕子が渡辺に水割りを差し出した。


暫くすると、夕子は、ルリ子を残して、席を立った。ルリ子は餌だ。

「ルリ子、お前は、いいってことだな」

渡辺が耳元で囁く。酒の臭いと口臭と、体臭、そしてそれを誤魔化すためにつけている香水の臭いが混ざって、無意識に息を止めたルリ子は、窒息するかと思いながら、辛うじて頷いた。


 あれから、何回このでっぷりギトギトした臭い成金の老人に抱かれなければならなかっただろう。

 この男に自分を信じさせる必要があった。



「ルリちゃん、そろそろじゃない?」

夕子が、裏ですれ違いざま一言呟く。

「わかりました」

ルリ子も口早に答える。



「渡辺様、今日は楽しいところへご案内したいのですが」

「ほお。楽しいところ? どこにだ?」

「うふふ。行ってみてからのお楽しみ」

そう言って、ルリ子は、渡辺の手を自分の膝の上に置いた。



 汚い。汚い。汚いゴミ。汚物。


 自分がやってきた、法律ギリギリの「貧乏人苛め」を自慢げに話す渡辺のことを、毎回刺し殺したいと思いながら、ベタベタする体を受け入れてきた。



 こんなやからたちに、ルリ子の家庭は壊され、それでこんな世界で働かねばならなくなった。今でも父は重い鬱病で入院したまま。母は逃げた。弟は高校を辞めて工場に働きに出ている。


 弟には高校を続けさせてやりたかった。せっかく猛勉強をして入った、私立高校だ。だが、ルリ子の願いは叶わなかった。授業料が高すぎた。弟は笑って、

「勉強なんて一人でもできるよ。それより俺、少しでも家のために何かしたい」

そう言って、近くの大きな工場で雇って貰った。


 今、ルリ子の家は、ルリ子と弟の収入でなんとかやっていけている。

 父は自己破産したが、友人や知人、親戚の人たちに借りた金を返さないわけにはいかない。二人の収入は、そちらにも充てられていた。



「よくある話ですよ」

酔って、夕子姐さんに話したのが悪かったのかもしれない。


「ルリちゃん、いい仕事があるの」

「いい仕事……ですか?」

「『ゴミ捨て係』」

「え……?」

「要らない男をね、捨てに行く場所があるの」

「捨てに行く場所……?」


 夕子は、かいつまんで話した。


「そこへ、連れて行くだけでいいんですか?」

ルリ子は目を丸くして、夕子を見た。

「連れて行って『遊ばせる』の。酒と女と博打。湯水のように金を使わせ、ふと気付けば、一文無し」

「お金がなくなったら、どうなるんですか?」

「さあ? 詳しいことは知らないの。ただ、『肉と骨になる』って話」

「消す……ってことですか?」

「まあ、そうね」

「そんなに上手くいくんでしょうか?」

「さあ? 上手くいかずに博打に勝って帰ってくるしぶとい奴らもいるみたい」

「そんな……」

「引き受けてくれるなら、報酬は弾むわ」

「でも……」


 それでも気に入ったら、何度でも通うから、そのうち身ぐるみ剥がしてやれるかもしれないよ。姐さんがそう言うので、連れて行くことにしたのだった。とにかく、早くまとまった金が欲しかった。


 実際、夕子の頼みで、何人かの男を捨てに来ていて、要領はわかっていた。他の姐さん方の依頼も、夕子を通して受けた。自分の体を売っているのだ。街角に立つ娼婦とどこが違うのだろう? そんな辛さは無視することに決めた。



 いつもの白い柵のような扉を開ける。狭い通路を奥まで進むと、曲がり角の手前に老人が立っていた。

「これはこれは、いつもお世話になっております」

「今日も楽しませて貰うよ」

渡辺は、裏門で番人をしている老人に、二つに折った札を数枚渡す。

「これはこれは、ありがとうございます。ごゆっくり」

老人は丁寧にお辞儀をした。



 何回目だ……何回目だ……。いつになったら、この男は一文無しになるのだ……。

 

 中の芸者に男を預けると、大急ぎでルリ子は裏玄関へと飛び出した。


「早く消えろ、クソジジイ!」

つい声が大きくなってしまった。

「お客様、お声が、お連れの方に届きますよ」

振り返ると、門番の老人が笑みを浮かべ、元来た通路を戻るよう、促した。

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