第10話 再度

 上機嫌でヤツは出勤してきた。心なしか、肌つやが良くなっている気がする。

「いやあ、キミのおかげでねえ、物凄くいい夢を見たんだよ〜」

遠慮なく背中から尻を撫でてくる。

「そ、そうですか。夢ですか」

「キミの失敗、許してやってもいいよお」

耳元で囁く。

「金と女。最高の夢だったねえ。ま、夢は夢だけどね。いい思いが現実にもしたくてねえ」


 いやらしい。いやらしい。いやらしい。

 こんな奴は本当に、あの死に方で死ねばよかったのに。


 秀一郎も、元気一杯で顔色もよく出社した彼に、驚きを隠せなかった。



 昼休み、外に食べに行くと言って、外出し、秀一郎と落ち合う。彼の車の中だ。


「ビギナーズ・ラック……か」

呟くように言う。

「そんな呑気なことを言ってる場合じゃないだろ! どうするか考えなきゃ!」

秀一郎は頭を抱えている。

「仕方がない。もう連れて行くしかないかも」

「どうやって?」

彼が驚いたように私を見る。

「秀一郎を連れて行ったやり方で……」

「葉月?」


 二人して、細かく細かく計画を立てた。

 私達が立てているのは殆ど殺人計画だ。

 そんなことは百も承知だった。

 でも、もう後戻りはできない。そう思った。



「店長、今日、夜、予定ありますか?」

「ないよ、何?」

「この前のお詫びに……飲みに行きませんか?」

「ははは。キミも好きな方なんだ。勿論だよ」

彼は私の尻を撫で回した。今ここで刺し殺したい衝動をなんとか抑える。



「だからなあ、サ……イトウ、あいつは、なっとらん。ひごともできんくせになあ……お前もらあ……俺のことが好きなんらろ、やらせろ、はやく……撮るぞぉ……グゥゥ……オマエもなあ、やらせろお……グゥゥ……」

眠いのだろう、時々イビキが入り始めた。

「あらあら、飲みすぎよ、ねえ」

スナックのママが、タクシーを呼ぶかと聞いてくる。

「いえ、迎えを呼びますので」

そう言うと、私は秀一郎に電話をかけた。

「ほら、店長、行きますよ」

会計を済ませているところに秀一郎が来る。彼だとパッと見、わからぬように眼鏡をかけ、髪型も変えてある。

「よっ、おむかれ、ごくろお!」

「すみませんでした」

ママに頭を下げ、店長を車に乗せた。


 

 暫く走ると、


グオー、グオォー、グオォー……


大きなイビキをかいて、店長は眠ってしまった。


「早く!」

私は秀一郎に、店長と私の手を結ばせた。

「薬も!」

彼は私の口に以前使った睡眠改善薬を入れ、水を渡す。私はそれを飲み、秀一郎が運転する車の中で眠りに入った。



「これはこれは、お世話になっております。少しお気分が?」

「大丈夫です」

「いえ、お客様が」

「ちょっと1軒目で飲んできてしまいまして、でもすぐに覚めますよ、ねえ」

「あ〜、ここにまた来れたのか〜。キミは本当に気が利いている」

本当に少し覚めてきているようだった。

「ご案内いたします」

ニッコリ笑って、店長を、奥へと案内した。


「お願いします」

芸者さんにそう言うと、彼を預けて、走って外へ出た。


「だ、大丈夫でしょうか?」

老人に尋ねる。

「わからん。負け続けるか、女に持っていかれるかする前に目が覚めれば……保証はできかねる」

「そんな……」

「お前は、そんなに、あの男を捨てたいのか?」

「捨てたいなんてもんじゃないです」


 飲んでいる間中、胸も尻も……全部全部触られ続けていた。春香の恨みだってある。

「ただ迷い込んだだけの私が、何もしてないのに2度も殺されたんですよ? なのに、あいつは生きている。そんな不公平ってあります?」

老人は頷きながら言った。

「人生に不公平はつきものだがな」

「……だって……もうこれ以上のことはできない……」

私は、唇を噛む。

「まあ、どうなるか。帰ってみるといい」

老人は入口へ向かって戻るように指示した。



 秀一郎は、私が起きそうになったところで、店長と私の手を結んでいる布をはずすと、私を一度しっかりと起こした。

「夜明け近くに、店長の家に送っていくぞ。」

「わかった。」

店長は車の後ろに寝かせておいて、私は、前の座席、秀一郎の隣りで少し眠った。薬を抜くために。夢はそれ以上見なかった。


 「葉月、葉月、」

秀一郎の小さな声。肩を叩かれ目を覚ます。

「見て」

後部座席の店長がうなされ始める。それは段々大きくなり、痙攣するかのように身体を震わせると、次の瞬間、


バババババッッ!!!


と、車の中じゅう、血が飛び散った。私も修一郎も助手席の背もたれに隠れ、なるべく浴びないようにしたけれど、それはおびただしい量の出血。あたりは血の海だった。


「ど、どうするの……これ?」

余りの光景に慌てふためいて私が言うと、秀一郎は、

「大丈夫。夢の中で殺されただけだし、血はすぐに消える」

落ち着いて言う。私のこの状態を、彼は2度も見てきたのか……。


「それより、起きる前に、早く家まで連れて行かないと」

「そうだね」

私は頷く。車が店長の家の前に着くと、後部座席の店長を起こした、彼は、本当に死んでいるかのように、寝ていた。



「店長、店長、着きましたよ」

「ん? あ? なんだ?」

目を覚ましはしたが、まだ寝ぼけている様子だ

「降りますよ」

車からおろし、

「じゃ、すみません、ありがとうございました」

秀一郎の車は、タクシーということにしてある。とりあえず走り去り、離れた所で待ってもらう。


 店長の家まで、彼を支えて歩いた。

「ん? んん? どこだ、ここは?」

家のチャイムを鳴らしたところで、店長は急に目が覚めたようだ。

みるみる青ざめる。

「お、お前、な、なんで、ここにいる?!」

「覚えてないんですか……?」

意味深な言葉を浴びせている所に、奥さんが出てきた。二人連れ立っているのに驚く。

「どういうこと?!」

「飲みに行って酔って寝てしまわれたので、送ってきました。」

私が言うと、彼女は、顔色を変えて怒鳴る。

「嘘つかないでよ!! こんな時間までやってる飲み屋がどこにあるのよ!!」

「……」

「どういうことか説明してもらうからね!!」

そう言って、夫を玄関に引っ張り入れ、

「帰れ! この泥棒猫!!」

 

 バタン!!


凄い勢いで扉は閉められ、奥さんの甲高いヒステリックな声が、外にまで響いていた。



 急いで秀一郎の車に乗り込んだ。

「どう……なったかな?」

不安が体中を襲って、今更、怖くなってガタガタと震える。

「早く帰ろう。シャワーを浴びて、もう一回寝た方がいい」

うん。うんうんうん。

私は黙って頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る