第9話 連れて行く

 うちのドラッグストアから随分離れた商店街の、八百屋のおばさんと立ち話をしていた。調剤薬局の方から頼まれて、患者さんの沢田さんの家に薬を届けに行った帰りのことだ。隣にあった、今は駐車場になっている、宿のことについて、もっと知っていることはないかと思ったからだった。


「さあねえ、うちのじいちゃんが、ここ買ったのだって、この店建てる前のことだからねえ……。あたしだって、まだ嫁に来る前のことだよ」

「どんなことでもいいんです」

「どんなことでも……っていうか、あんたも変なこと聞いてくるねえ」

「すみません……」

「あ、ああ、変なことで思い出したんだけどさ、あ〜、でも宿には関係ないと思うんだよねえ」

「変なこと?」

「この駐車場の横、うちの壁との境ね、ここを、二人で通ったカップルは絶対に別れるって噂」

「壁際を……ですか」

「そうそう、宿の通路があったところだよ。結構ここの駐車場通り抜けて向こう側の道と行き来する人たちがいるんだけどさ、この端のところだけは通らない方がいいんだって。まあ、噂だよ。噂」

「噂……ですか」

「まあ、それでもさ、気持ち悪いから、あたしも旦那とは通らないようにしてるよ。あれでも、あたしの大事な旦那様だからさあ」

そう言って、おばさんは大きな声で笑った。


 もしかしたら……連れていけるのかも知れない。その場所に。……まさか。そんな簡単に?


 

 連れて行くとしたら、こいつだ。


 店に帰って、カウンターの中に入ると、店長の隣に並び、レジを打つ。

 この、隣にいる男だ。



 ただ、その噂が本当だとして、どうやって、こいつをそこへ連れて行き、通路のあった場所を通らせるのか? そんなことが可能なのか?


 

「沢田さんに協力してもらうのはどうだろう?」

秀一郎が、私の話を聞いて、そう言った。

「葉月が何か大きなミスをして、沢田さんにお詫びに行く。その時に、店長に同行して貰う、というのは……」

「そんなに上手くいくかなあ?」

「沢田さんには俺から頼んでみるよ。もっともらしい理由を作って」

秀一郎は、夢の中に実際に入って以来、それこそ夢や現実離れした事にも気をつけるようになった。

「やってみる。ダメ元だよね」



「すみません、同行して貰っちゃって」

「ホントだよ。キミのミスなのに、何で俺が?」

「こ、今度、お詫びにご馳走しますので……」

「まあ、いいんだけどさ」

店長は、運転する私の膝に手を置いた。

「それなりに返してくれればさ」

吐きそうになった。


 例の駐車場の一番左に止める。止める時に、わざと左前をポールにこすった。

「あっ!」

「何やってんの! 社用車だぞ、おい!」

店長が助手席側から出て、傷を見に行く。その間にお詫びの菓子を素早く持って、店長の傍に進んだ。

「まあ、これくらいはすぐ直してもらえるけどさあ、気をつけてくれよ」

「すみません」

さあ、この男を、通路に入れなければ……。

好都合なことに、店長は、一旦、商店街側に出た。

「で? どっち?」

「こっちです」

通路の入口になるだろう場所から、彼を連れて歩く。向かって左には、今停めたばかりの社用車があるので、まっすぐ行くしかない。車が切れたところから左に行かないように、

「これを右です」

通路から離れないよう歩く。


 よし、宿の入口付近だ。

「あっ、すみません。左でした」

左へ誘導する。

「おいおい、しっかりしてくれよ〜」

よし、入った!


 沢田さんに菓子を渡し、何度か頭を下げ、彼女が要らぬことを言わないうちに退散した。

 行きも帰りもずっと文句を言い続けている店長に、詫びの言葉を並べ続け、店に戻った。


 

「上手く行った?」

心配そうに秀一郎が聞いてくる。今日は彼が残業で、一緒には帰れなかった。帰ってくるなり、「ただいま」より早く、その言葉が出た。

「うん。とりあえず、コースだけは合ってると思う」

「あとは、本当にそれで連れて行く形になるのかどうかだな」

「寝てみないとわからないね……」

「連れて行けてないとしたら……?」

「もう一度、同じ方法で、今度は鏡に映らないように逃げる。絶対に逃げ切る」

「……」

「情けない顔しないで。やるしかないんだから」

私は、とうに覚悟を決めていた。



 いつもの通路だった。

「おやおや、これはこれは、いつもお世話になっております」

老人の態度が違う。

「お客様は、初めてでいらっしゃいますね」

「ああ、今日は、これの案内でな」

振り返ると店長がいた。


 連れてこれた!! やった!!


「さ、こちらへ」

老人は店長を門から中へと導き、その瞬間に、私を引っ張って囁いた。

「中の芸者に預けたらすぐ出てこい」

店長がいぶかしげにこちらを振り返り、

「おい、どっちだ?」

と言っている。

「すみません。こちらです」

中に入り、絨毯に沿って歩くと、その先に数人の芸者さんが待っていた。

「お待ちしておりました。今日は存分にお楽しみ下さい」

「おう」

そう言って、店長は、彼女たちに連れて行かれる。

  

 最後に着いていく一人が私の方を振り返ると、早く去るように目配せした。


 走って、元の入口へと戻る。

「ご苦労だったな。しかし、よく考えついたものだ」

まだ緊張でドキドキして息切れしている私は、やっとのことで顔を上げる。

「これで……これで、私は逃げ切れたんですよね?」

老人に確認するように言うと、彼は首を傾げて言った。

「残念だが、保証はできん」

「えっ?! だって……」

「あの男が勝って帰った時には、あの女と同じ事だ」

「あ……」


 前回ここで会った、あの太った男を連れだって来ていた、綺麗な女の人……。何度も勝っていて、お金が尽きないので、なかなか捨てられないと……。

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