第6話 犯罪者

 春香が店を辞めた。


 里中さんたちは猛烈に怒っていたし、私も同じだった。店長! お前が、あの、逆さまに縛られ皮を剥がれる刑に処されてしまえ! そう思った。思い出すのも恐ろしかったのに。



 着替えて店舗に立とうとすると、フラッと目眩がした。最近、寝るのが怖くて、ぐっすり眠れていない。あ、そう言えば、うちの商品にあったよな、「グッドヤスミン」。効能は、とにかく、ぐっすり眠れますよ、ってやつだ。前に、里中さんと話していた時には、冗談で笑っていたが、本当にそれでぐっすり、夢も見ずに眠れるんなら、試して見る価値はあるかもしれない。


 社員は社員価格で30%引きで買えるので、一箱買ってみた。この、社員価格はいいのだけれど、誰が何を買ったかわかるシステムをどうにかしろよ、といつも思う。皆、書くのを躊躇ためらうような物は、別の薬局で買っていたりする。例えば、妊娠検査薬とか、尿漏れパッド、男の人なら、育毛剤や水虫の薬など……。そういうものは当たり前に要るとわかってはいても、他人に買った記録を見られるのは気持ちのいいものではなかった。



「それ、飲んでみることにしたの?」

秀一郎が聞いてくる。


 風呂上がりに「グッドヤスミン」の説明書を読んでいる私に、それを見せるよう言って。

「うん。悪くはないね。抗ヒスタミンか。睡眠改善薬ってやつだ」

「効くかな?」

「多分。飲んだことないから、すんなり効くかも。ダメだったら病院に行って、ちゃんとした薬を処方してもらった方がいい。眠りをコントロールする薬は、いろいろあるから」

流石は薬剤師だ。ちゃんとした指導をしてくれる。


 私は、寝る前に、それを1錠飲んだ。


 暫くすると、ふわあっとした眠気がきて、自然に深い眠りに入れたようだった。


「おい!」

「おい!」

誰かに起こされる。秀一郎?

「今日は行かないのか?」

気がつくと、私は、曲がり角の壁にもたれかかり眠っていた。

「そこで寝ていたら、頭が働かなくなるばかりだぞ?」

老人が言う。


 深く眠ることも許されないのか……。


「今日は行きたくない。お願い、眠らせて……」

懇願する。

「仕方ない。だが、次はないぞ。油断するな。お前は一度中に入ったのだからな。ここでやめようなんて考えん方がいいぞ……」


 その声を聞きながら、私は深く深く眠った。もう思考も止まって、何もわからなくなった。


翌朝、とても自然に目が覚めた。

「葉月、葉月? 起きれるか?」

秀一郎の声。

「うん」

布団の上で半身を起こし、う〜ん、と伸びをした。

「よく眠った。久しぶりに」

「そうか……よかった」

秀一郎が私の髪を撫でてキスをする。涙が一つこぼれる。こんな幸せな朝はいつぶりだろう?


 でも……


「だけどね……夢の中で、起こされたの」

「夢の中で、起こされる?」

「『今日は行かないのか?』って。お願いだから眠らせて、って頼んだら、『次はないぞ』って……」

「……」


「どうしても……なのか……」

「そうみたい」

「策を……策を考えよう……」

焦るように彼は何かを考えている。

「起きたばっかりだし、今はいいよ。仕事に行こう」

私はそう言って、立ち上がった。



 出社するなり、里中さんと竹田さんにつかまった。

「葉月ちゃん、あんたも、ほんっとうに気をつけなさいよ」

「ど、どうしたんです?」

「動画、消してもらったんですって」

「動画?」

「春香よ、春香」

「あ、ああ。でも、急になんで?」

「内科の定期の診察で病院に行ったの。そしたら、いたのよ、春香が」

竹田さんが言う。

「それで話を聞いたのね。そしたら!」

「もう、ほんっとに最低なの!」

里中さんも言う。

「動画を消す代わりに、『やらせろ』って言われた、って。」

「え? ……それで、消してもらったってことは……」

全身、鳥肌が立った。

「それで、辞めたのよ、あの子。もう、ショックで心療内科にかかってるらしいんだけど、本当のことがなかなか言えない、って」

「信じられない……完全に犯罪者じゃないですか……」

そんな奴の隣で、私は仕事をしないといけないのか。


 これじゃ、まるで……

 寝ても、覚めても、地獄じゃないか……



「現実にあるものを、夢の中に持ち込めるのかな?」

秀一郎が言う。

 夕飯の準備をしながら春香の話をしていたのに、なんで、私の夢の話になるの?


「え? 今、春香の話を……」

「わかってるよ、わかってるさ!!」

珍しく怒ったような口調だ。

「あ……ごめん。……春香ちゃんのことは腹が立つし、最低の男だと思うし、同情もしてる。……だけど、俺は、葉月のことの方が大事なの!」

驚いて、秀一郎に駆け寄る。


「あんな……あんな血まみれになって……どれだけ怖かったかと思うと、俺は……」

秀一郎が私を抱き寄せる。

「俺にできることはないのか?どうしても、もう一度行かないといけないんなら、何か策を考えよう」

私を強く抱きしめる。

「もう嫌なんだ。何度も……葉月が何度も殺されなきゃならないなんて、耐えられない。……死なないで、葉月」

秀一郎が泣いていた。私の頬にも涙が流れる。彼のか自分のかわからない涙が。


「大丈夫だよ。……次は必ず生きて帰ってくるから」

うん、うんうんうん。秀一郎が頷く。

「ほら、ご飯にしよ」

ポンポンと、彼の背中を叩いた。


 私は死なずに帰ってくる。

 必ず。秀一郎のためにも必ず。

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