第37話 兵は詐を以て立ち
いよいよアルマータ共和国との戦いの日を迎えた。
国境に“戦車”を並べてあからさまに威嚇してくる敵軍を見て、パイアル公爵は不安感に襲われたようだ。
「あの装甲の塊にどうやって勝てばよいのだ、イーベル伯」
「戦わずに退く、という手がございます」
「つまり負けよ、というのか、伯は」
「違います。敵軍を引き返せないところまで深く誘い込んで一網打尽にするのです」
「なかなか飲み込めない話ではあるな」
「故に兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為すものなり」とは『孫子の兵法』軍争篇第七の言葉だ。
「戦とは相手を欺くことにあります。有利な状況のもとに行動し、兵を分散させたり集中させたりして状況に応じて変化するものです」
「それも“完全に失われた書物”に書かれていたことなのか?」
「さようでございます、閣下。いったん退くのはこちらにとって有利だからです。そのための布石も打ってございます。敵の進軍が限界に達したところで一挙に反転迎撃して敵のすべての戦車を破壊致します。これでアルマータ共和国はわが国に対して“戦車”を使えなくなるのです」
「アルマータは産業革命を起こしておるから、今さら旧来の剣と魔法の戦いを強いられたら、数ほどの役には立たないかもしれない……か」
「さようでございます。ですから此度の戦で“戦車”を徹底的に叩いて、一台たりとも帰させません」
「しかし陛下の土地に敵軍を入れてしまうのは、あまりよい気がしないのだがな」
「
「通ってはならない道もある。攻撃してはならない敵もある。攻めてはならない城もある。奪ってはならない土地もある。従ってはならない君命もある。とも申します。敵は明らかに奪ってはならない土地を奪いに来ています。だからこそ好機となるのです。君命があっても、断固として遂行しなければならない軍事行動というものも存在します」
「ふむ、なるほど。相手をわざわざ窮地まで誘い込んでそこを伐つわけか」
「おそらくアルマータ共和国も異世界転生者を抱えているはずです。でなければあの形の“戦車”がこの世界に存在するはずもありません。あれは私の世界で見られる形の“戦車”ですから」
パイアル公爵は自慢のあごひげを撫でていたが、意を決したようだ。
「よかろう。此度の軍師は伯だ。伯の手並みを拝見しよう」
「恐れ入ります」
「では、どのような策を用いて敵を罠に引き込むのか」
「まず弓弩の通常の矢で攻撃して、それがまったく通用しないと思わせて、じわじわと退却するのを装います。これはこちらに対抗策がないと思わせるための詐術です。おそらく敵軍はそれに釣られてわが軍を追い詰めようと前進してくるでしょう。それに合わせて慌てて逃げるふうを装います。そしてあの場所まで誘い込んで一気に撃滅するのです」
「それで伯の仕込んだ罠まで敵を誘い込む必要があるのか。そしてそのために魔術師たちを後方に待機させておったのか」
「あそこまで敵をおびき出せば“戦車”隊は確実に壊滅できます。あそこまで慌てて逃げているように装うのが最も難しいのですが、一般の兵たちには戦法を話してはおりません。ですから自然とあの“戦車”に恐れを抱くはずなのです」
最初はゆっくりじわじわと、そして恐怖にとらわれてなだれを打って逃げていく。これを罠と見破れる者がいたらこちらに勝ち目はないが、おそらくアルマータ共和国の異世界転生者は兵器オタクであって兵法オタクではないはずだ。
もし私と同じ兵法オタクであれば、魔法電話や魔法馬車、“戦車”などを開発するより、戦争を繰り返して覇を唱えたはずだから。
そして半端な兵器オタクであることは、「揚力」が必要な航空機やヘリコプターを作れなかったことからも見てとれる。
ミサイルを作っているかどうかはわからないが、これも今回はまず使われないと踏むしかないだろう。
混戦状態では味方を巻き込むため撃てないし、対峙しているときに撃ち込む方法もあるが、それは魔術師たちが阻止できるだろう。
そばにいるリベロさんが得意な空間魔法で、敵国に送り返すことも可能だ。
基本戦術では、まずは敵を深く誘い込む。そして魔法で強かに攻撃して“戦車”をすべて無力化する。
頼みの綱が切れてしまえば、敵は慌てて逃げ散るしかなくなる。
それを無理に捕らえたり殺したりせず、ある程度帰国させれば、あとは彼らが周りに吹聴するのでこちらが実力以上に大きく見られることとなる。
そうなれば、戦わずして敵を制することも可能だ。
しかも追撃を行なわなかったことで、こちら側に相当な余裕があるのも見せつけられる。
しょせん「兵は詭道なり」なのである。
いかにして相手を騙すのか。
それができたほうが勝ち、できなかったほうは負けるしかないのだ。
この戦、負けるはずがないと確信した。
しかし顔に出すのはやめておこう。
軍師は誰にも腹の底を見せてはならないのだ。
なにを考えているのかわからないからこそ、対戦相手に恐怖を植え付けられるし、味方も神通力を期待するように崇めるのである。
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