第7話 突撃

 敵軍が突如として後退を開始した。

 私の見立てどおり、攻勢は限界点を越えていたようだ。

 雑然とした前線を混乱から回復するために、いったん退いて兵の再編を急ぐ思惑だろう。

 それを利用させてもらう。


「アルメダさん、炎の魔法を!」

 呪文の詠唱が始まった。効果範囲を広げているからやや時間がかかるようだ。

 これは『孫子の兵法』火攻篇第十二にある「人を焼く」計略だ。

 もう少し戦場での裁量があれば「物資を焼く」ことで退却に追い込むことができる。

 だがまだ小隊長ではそこまで大局的な判断を下せる立場にない。


 アルメダの得意な属性ということもあって程なく呪文は完成した。

「炎の嵐!」

 宣言により彼女の魔法の杖から火球が飛び出して敵軍に躍り込む。そして敵軍の中ほどで巨大な炎が燃え盛り、周囲の酸素を吸ってさらに大きく膨らんだ。


「よし、ウィケッド、バーニーズ、そして皆さん行きますよ!」

「おうよ!」

 アルメダをこの場に残し、小隊は異民族軍の中枢部へ向けて斬り込んでいく。

 ここからは時間が惜しい。

 混乱している今のうちにできるだけ深く入り込んで敵指揮官を倒さなければならない。

 帰り道の保証はないが、指揮官さえ落とせば敵軍は否応なく撤退せざるをえないはず。

 落ちつかれて後任が指揮を始めたら帰途は閉ざされてしまうだろう。


 だからこその電撃戦である。

 敵軍に反撃の機会を与えない。

 混乱が極みに達している中をウィケッドとバーニーズを先頭に血路を開いていく。


 もしオサイン伯爵やアンジェント侯爵がわが小隊の動きに呼応してさえくれれば、私たちは安全に退却できるのだが、これまでのところ呆気にとられているのかまったく動いていなかった。

 幸い前の戦でお世話になった補給のおじさん、つまり軍官吏を引き連れていた。

 好機を見逃しているアンジェント軍はたとえ勝ったとしても論功行賞ではなにも得られはしない。

 こんなにおいしい場面をただ見ているだけとは嘆かわしい。

 軍師はなにをしているのだろうか。


「貴様が指揮官だな。お命頂戴!」

 ウィケッドとバーニーズがふたりで指揮官を切り倒した。

「御首を頂いていくぞ」

 バーニーズは勢いそのままに首をねようとしている。

「そこまでしなくていいわ。鎧兜の立派な者を捕虜にしたら離脱します」

「おいおい、御首がないと恩賞が減るだろうが!」

「前回は首をとらなくてもじゅうぶんな恩賞が得られたわ。今回もそれにならいます」

「ちぇっ、この首ひとつで家が建つかもしれねえんだがなあ」

「それならちょっと重いでしょうが、その亡骸も手土産にして宿営地へ帰参します」


 異民族軍は指揮官を失ったことを認識して、一目散に戦場を離脱していく。

 その中から階級の高い者を探し出して捕まえるのは容易かった。

 指揮官の周りで高級な鎧兜をまとっていたのだから、目印にはちょうどよかった。

 彼らを取り押さえるとすぐさま戦場を離脱してアルメダのところまで戻る。

 その動きを見ていたアンジェント侯爵が全軍に突撃命令を発し、戦闘は掃滅戦へ移行する。


 しかし手柄のほとんどは私たちが得ていたことに、彼らはまだ気づいていない。

 直属の上司であるオサイン伯爵はアンジェント侯爵とともに残兵の掃討へ向かってしまった。


 アルメダの魔法で敵指揮官を宙に浮かべて宿営地へと歩き去った。

 ただ帰りを待っているだけではつまらないが、私たちの役目はじゅうぶんに果たしている。

 先に戻ったら、たらふく食事してしっかりと休養をとることにした。

 捕らえた高級士官にも温かい粥を振る舞う。

 戦場にいるときは敵同士だが、離れればひとりの人間である。


 たとえ死んだからといって首をねる真似はできなかった。

 こんな辺鄙へんぴな異世界に転生してきたのに、女子高校生だった頃の名残なのか死者への冒涜を許しておけなかったのだ。

 そこに小隊のみんなと歓談していると、アルメダが死者に防腐処理魔法を施し終わってやってきた。


「まあ、ものの見事に、あっけなく小隊で敵指揮官を倒してしまいましたね。これなら中隊長への昇進も不可能ではないでしょう」

 補給のおじさんもとい偉そうな軍官吏が割って入った。

「この嬢ちゃんは初戦から非凡な才を見せておったからな。最初からこの戦いで中隊長になると豪語していたが。まさか本当にそうなりそうだとは。これだけの才能があれば、中隊長より上を任せてもよいかもしれんな」


「そうね。どうしても視野が狭まる戦場にあって、あれだけ冷静に広く大局を見る能力はたいしたものだわ。度胸もいいしね。ただ……」

 軍官吏のおじさんはその言葉の続きを待った。

「ラクタル、あなたあの戦いで誰ひとり殺していないわよね。高級士官に槍を突きつけていただけで、指揮官だけでなく隊員にも触れずに進んでいたの。彼女、このままだといつか足をすくわれるわね」

「戦争はしょせん騙し合いじゃからな」


「私だって戦は騙し合いだと思います。昔から『兵は詭道なり』というじゃないですか」

 おじさんとアルメダが不思議な顔をしてこちらを見ている。


「昔からって、あなた軍に入ってからまだ日が浅いはずよね? なぜ昔の言葉を知っているのかしら。私だってそんな言葉は知らなかったわ」

「わしもじゃ。長い間軍官吏などしていると、かかわった将官の名言などをたくさん聞いてきているが、このセリフはまだ聞いたことがなかったわい」

 ふたりが疑いの眼差しを向けてくる。

「まあ言葉の綾よ。戦とはしょせん騙し合いである。なんて誰もが言いそうなセリフじゃ、ない……かな……」

 言葉に詰まったところにウィケッドがやってきた。


「ところでおっさん。これだけの手柄を立てれば俺たち全員昇進できるのか?」

「あまりおじさんとかおっさんとか呼ばんでくれ。わしにだってカイラムという名前がある」

「じゃあカイラムさん、俺たちの手柄はどうなるのですか?」

「そうじゃな。敵指揮官を討ち倒し、高級士官を二名捕らえてきた。そうして敵の壊走のきっかけを作ったのだから、小隊の軍功第一はまず確実じゃろうて。ただアンジェント侯爵やオサイン伯爵あたりは反発するじゃろうな」

「あいつらか……」

 下唇を噛んでいるアルメダに気づいた。


「あいつらは人をこき使うだけ使いやがって、戦果はすべて自分の手柄にしてのし上がってきたんだ。今回だってやつらが軍功を主張してきてもおかしくない」

「それなら彼らが戻ってくる前に帝都へ凱旋しましょう。独断専行ではあるけど、軍功を誇るなら、一番に帰参するべきね」

 私の提案にその場の全員がうなずいた。

 敵の高級士官までもが同意したのはちょっとおかしな気もするが。


「それじゃあ今すぐ帰るとしようか。荷馬車の二台くらい使ってもかまわないじゃろう。どうせ食糧は消費していて帰りは荷馬車が少なくても問題ないはずじゃ。ただちに全員乗り込んどくれ」

 カイラムおじさんがみんなを急かした。



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