第5話、カルセイン・ルクシオン
オルステッド帝国の英雄、勇者カルセイン。
人は誰もがカルセインを勇者と呼んだ。
オルステッド帝国とササライ王国を繋ぐ大平原に現れた魔獣の発生地である『魔穴』を閉じ、魔穴を生み出した最強最悪である魔獣の王こと『魔王』を討伐した勇者。
『魔穴』は、魔王によって生み出される。魔穴が現れると、そこから大量の魔獣が現れ、大地を蹂躙……かつて、いくつもの小国が消滅した。
オルステッド帝国とササライ王国を繋ぐ大平原に、『魔穴』が現れた。
そこに現れたのが……オルステッド帝国最強のソードマスター、カルセインだ。
カルセインは軍を率い、長きに渡る戦いの末、ようやく魔王を討伐し『魔穴』を閉じた。
カルセインは十八歳で前線へ出て、七年間戦い続けた。
二十五歳になり、ようやく魔王を倒したのである。
◇◇◇◇◇◇
帝国を救ったはいいが、残務処理も多かった。
度重なる祝賀会、死者の埋葬、ほったらかしだった公爵領の経営……戦いが終わり剣を置いたカルセインだったが、今度はペンを持つはめになった。
そんなある日、オルステッド帝国の皇帝に言われた。
「ササライ王国から貴殿に、『花嫁』が贈られた。さすがに、王国の好意を無下にするわけにもいかん。公爵、そなたは未婚だったな? 長年、戦いに明け暮れて疲れただろう? 妻を娶り、静養するがいい」
「はっ……しかし、領地の運営もありますし、公爵としての責務も長年放置していました。休んでいるわけにはまいりません」
「そ、そうか……」
とりあえず、結婚した。
仕事が山積みだったので、結婚式はなし。
公爵夫人としての仕事はきっちりこなせ。
それ以外は自由にしてよし。遊ぶのもよし、金も好きに使ってよし。
はっきり言って、カルセインはササライ王国から送られてきた妻に、何の関心もなかった。
◇◇◇◇◇◇
カルセインは、王国内にある屋敷に全く帰らなかった。
王城内で仕事をして、王国から少し離れた公爵領へ出向き仕事、他領土に魔獣が現れたと聞けば騎士団を率いて討伐に出掛け、王城に戻ってまた仕事……と、とにかく仕事漬けだった。
自分が結婚していることも忘れかけていたある日。
王城内の執務室で書類を書き終えた。
あとは、友人である部下に渡せば終わりなのだが。
カルセインは、部下の文官から聞く。
「なに? ヒューバートがいない?」
「は、はい……その、屋敷に戻ったようで」
「まだ職務中だぞ」
「その、屋敷にいる娘が熱を出したとか……」
「……そういえば、新婚だったな」
あなたもですよ。と、部下の文官は言えなかった。
カルセインはため息を吐き、立ち上がる。
「仕方ない。私がヒューバートの屋敷に届けてこよう。馬車の準備を頼む」
「か、かしこまりました」
カルセインは、馬車に乗って王国内にある貴族街へ。
貴族たちの屋敷が多く集まる街に向かって馬車が走り出す。
馬車に揺られていると、馬車が急停車した。
「……何があった?」
カルセインが御者席の小窓を空けて御者へ聞くと、御者は困ったように言う。
「す、すみません。馬車の車軸が折れたようで……替えの馬車を手配するので、お待ちください」
「……いや、ここからは歩いて行く」
「で、ですが。公爵様」
「そのマント、借りるぞ」
「え」
カルセインは馬車から出て、御者が羽織っていたマントを着る。
「こ、公爵様?」
「……いい天気だ。少しだけ、散歩をしてから侯爵邸へ向かう」
「あの、護衛を!!」
「必要ない。ああ、マントはあとで返す。ではな」
「こ、公爵様!?」
マントを着たカルセインは、大通りから路地裏へ消えた。
さすがに、この国を救った英雄を一人で歩かせるわけにはいかない。万が一、何かあれば……御者の首が飛んでしまう。
慌てた御者は、近くを歩いていた巡回の騎士に報告した。
◇◇◇◇◇◇
久しぶりに、カルセインは一人で歩いていた。
路地裏をのんびり歩き、思う。
「……ふぅ。そういえば、小腹が空いたな」
お昼前だったので、腹が減っていた。
そんな時だった。
「───……む?」
ふと香る、コーヒーの香り。
香りに誘われて向かったのは、小さな喫茶店だった。
喫茶サイネリア、と書かれた看板。
窓を覗くと、一人の若い女が、退屈そうに欠伸をしていた。
「……まぁ、ここでいいか」
公爵領の視察で町を歩く時も、身分を隠して飲食店に入ることがある。
こういう店に入ることに、カルセインに抵抗はなかった。
中に入ると、コーヒーの香りがカルセインの鼻孔をくすぐる。
「い、いらっしゃいませ~」
なんとも接客慣れしてなさそうな「いらっしゃいませ」だった。
カルセインはこの女を飲食業の新人と決めつけた。
「……水」
とりあえず、水を注文する。
すると、女の表情が変わった。
「はい、お水ですね。って……ここは喫茶店!! お飲み物のご注文は?」
「……騒がしいな」
接客態度は悪い。カルセインは小さく舌打ちする。
だが、女は止まらない。
「お客様。そのフード、どうかお取りくださいませんか? ここは帽子の着用禁止ですので」
ムスッとした感じでカルセインに言う。
仕方ないのでフードを外すと、女の顔色が変わった。
ぽけーっとしたような、なんとも間抜けな顔になった。
なんともまぁ、いろいろ変わる。
「コーヒー。軽めの軽食」
「…………」
「おい、聞いているのか」
「あ、はひ」
はひ。
間抜けな女が噛んだことに、カルセインは思わず笑ってしまった。
慣れない手つきでコーヒーの準備をしている様子を見て、思わず言ってしまう。
「……ふ」
「……何か」
「いや、慣れてないのが丸わかりだ」
「それはどうも。今日がオープン初日なので」
「そうか」
やはり、新人だった。
そう思うと、なんとなくこの小さなリスみたいにちょこちょこ動く女も、愛らしく見える。
女は、カルセインをチラチラ見ていた。
「なんだ?」
「……お客さん、もしかして貴族?」
「そう見えるか?」
周りからは「美男子」だの「彫刻のような美貌」だのよく言われるが、カルセインは容姿に全く興味がない。整っていようが傷だらけだろうが構わないと思っている。貴族のような顔、そう見えたのだろうか。
だが、女は勝手に自己完結した。
「ま、貴族ならこんな町外れの小さな喫茶店に来たりしないよね」
「かもな」
「来るとしたら、よっぽどの変人か犯罪者くらい!!…………あ、ごめんなさい」
「お前、客に対する礼儀を何とかした方がいい。そのうち蹴られるぞ?」
「で、ですよねー」
本当に、コロコロ表情が変わる女だとカルセインは思う。
いつの間にか、女を見て自分の顔もほころんでいることに気付いていない。
サンドイッチとコーヒーが完成。カルセインの目の前に出てきた。
さっそくコーヒーを啜り……あまりに苦さに『感激』した。
「……美味い」
「え、本当ですか?」
「ああ。俺好みの濃さだ。だが……俺以外に出さない方がいい。舌が死ぬぞ」
「え」
普通の人間が飲めば悶絶し吐き出すような苦さだ。豆の分量が間違っていたとしか思えない……が、カルセインにとって最高の苦さであり、最高の味だった。
そして、サンドイッチ。塩気たっぷりでこれもうまい。
「ほう……」
「ど、どうですか?」
「悪くない」
素直な感想だった。
パーティーで出される脂っこい食事や、城で食べる肉類ばかり食べていたカルセインにとって、女の作ったサンドイッチは美味かった。
チラリと女を見ると……嬉しそうに笑っていた。
食べるカルセインを見て、ニコニコ笑っている。
「…………」
今まで、カルセインが出会ったことのない人種だった。
魔王との戦いが終わり、祝賀会などで貴族の未婚女性が多く寄ってきた。皆、カルセインの名誉、財産などを狙っているのが丸わかりで、うんざりした。
だが、この女は違う。
ただ、食べるカルセインを見て笑顔を浮かべている。
「…………」
思わず、顔を反らしてしまった……サンドイッチを食べたまま。
誤魔化すように、懐から銀貨一枚を取り出し、テーブルに置く。
銀貨一枚あれば、平民なら十五日は暮らしていける。サンドイッチとコーヒー一杯の値段としてはあまりにも高い。
「釣りはとっておけ」
「あ、ありがとうございます」
女は受け取る。
反応を見る前に、カルセインはドアへ向かう。
そして───……女は言った。
「あの、またのお越しを!!」
「…………」
ああ、また来る……かもしれない。
そう、心の中で思い、カルセインはドアを開けた。
◇◇◇◇◇◇
その後、カルセインを探しに来た腹心の部下シドニアとともに、友人であるヒューバートの家へ。
ヒューバートは、娘を抱いて現れた。
「すまんかった!!」
「……職務中に抜け出す部下に書類を届けに来た」
カルセインは焦るヒューバートに、玄関先で書類を突き付ける。
カルセインの部下にして、ゲイル侯爵家当主。
ヒューバート・ゲイルはカルセインとシドニアを屋敷へ。娘を妻に預け、家で一番高級な紅茶でもてなした。
「悪かった。娘が熱を出したって聞いてさー」
「だったら、私に一言言うのが筋だろう。無断でいなくなるな」
「悪かったって。カルセインも子供生まれればわかるぞ? もう、かわいくって仕方ねぇんだ」
「…………」
ヒューバートは侯爵だ。立場的にカルセインのが上だが、幼馴染でもあるのでこの口調だ。もちろん、公の場ではちゃんとしている。
すると、シドニアが言う。
「カルセイン。お前も新婚だろう?」
「……ああ。そうだったな」
「お、じゃあ子供できたらウチの子と遊ばせようぜ。カルの子かぁ……メチャクチャ不愛想だよな。きっと」
「ゲイル、やめとけ」
シドニアも幼馴染なので、公の場以外では砕けた口調だ。
すると、カルセインは言う。
「まぁ、子供はまだいい。いずれ跡継ぎは必要だが、今は公爵領の運営や魔獣討伐の依頼で忙しいからな」
それどころか、妻にすら挨拶していない。
そのことを言うとこの二人が面倒くさい反応をしそうなので、カルセインは余計なことを言うのをやめた。
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