第6話、カルセインと女主人
カルセインは、ようやく屋敷に帰ることができるようになった。
だが、屋敷にいれる時間は一日だけ。翌日にはルクシオン公爵領へ向かい、ほったらかしだった領地の運営をしなければならない。
今は、頼れる文官に任せているが、やはり領地経営は貴族の義務であり仕事だ。カルセイン自身でやらなければならない。
カルセインは、部下たちに交代で休暇を取るように指示し、久しぶりの公爵家へ戻ってきた。
公爵家に到着すると、エミリオが出迎える。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ああ。変わったことはないか?」
「はい。
エミリオは一礼。カルセインは深く考えず、執務室へ。
エミリオが用意していたルクシオン公爵領地に関する報告書の山に手を伸ばす。
「……ふぅ」
「旦那様。差し出がましいようですが……まずは、少しお休みになってからのがよろしいのでは?」
「む……そうだな。エミリオ、濃いコーヒーを頼む」
「わかりました。とびっきり濃いコーヒーですね」
「……ああ」
ふと、思い出す。
あの、慣れない手付きでコーヒーを淹れてくれた、若い女主人のことを。
「……旦那様、どうかなされましたか?」
「ん、ああ。何でもない」
カルセインは、無意識に微笑んでいた。
◇◇◇◇◇◇
濃いコーヒーを飲みながら、カルセインは窓の外を眺めていた。
「……ふぅ」
久しぶりに、仕事を忘れてのんびりしている。
明日から領地へ向かうので、今日だけしか休めない。
目を閉じると、柔らかな風がカルセインの頬を撫でた。
「…………」
「旦那様。少し、横になりますか?」
「いや、書類の確認……ふ、やめておくか。エミリオ、悪いが全ての書類を領地へ向かう馬車に積んでおいてくれ。今日はもう仕事はしない」
「かしこまりました」
本当は、書類を確認してから領地へ向かうつもりだった。だが、風を浴びているうちに気が変わった。
カルセインは、椅子に深く腰掛ける。
このまま寝てもいいのだが、濃いコーヒーのせいか眠くない。
少し散歩でもしようと、立ち上がった。
「少し、外を歩いてくる」
「かしこまりました。外、というのは……お庭ですか?」
「いや……町へ出る」
今日は休み。のんびり屋敷で過ごす……ではなく、なんとなく行ってみたくなった。
行先はもちろん、あの苦いコーヒーの喫茶店。
◇◇◇◇◇◇
「あ、いらっしゃいませ~!」
カルセインを出迎えたのは、淡い金髪の少女だった。
暇をしていたのか、カウンターに突っ伏していた。カルセインを見て慌てて立ち上がる。
カルセインは、思わず噴き出した。
「くっ……お、おい。寝ぐせ」
「えっ……あ、あわわっ!! って、あなた以前に来た!!」
「暇だからと気を抜いてるからだ」
「……お席へどうぞ」
女主人は、顔を赤らめながらカルセインを席へ案内した。
寝ぐせをこっそり三角巾で隠し、にっこり笑う。
「ご注文は?」
「コーヒー。それと、軽食を頼む。ああ、肉があれば嬉しい」
「かしこまりました。コーヒーは先にお出ししても?」
「食前、食後に一杯ずつ頼むぞ」
女主人はにっこり笑い、キッチンへ。
少し悩んだ後、小さく頷いて微笑む。そして、大きな肉を豪快に焼き始めた……ステーキだ。
ステーキを弱火でじっくり焼いている間に、コーヒー豆をゴリゴリ砕く。
「おい、順番がめちゃくちゃだ。肉を焼く前に豆を挽け」
「う、うるさいわね。じゃなくて……お客様、お静かにお待ちくださいね~?」
女主人は、眉をピクピクさせながら笑っていた。
カルセインは苦笑する。いろいろ表情が変わる女主人は、見てて面白い。
女主人は、ニヤリと笑ってコーヒーを出した。
「どうぞ。当店オリジナルブレンドのコーヒーです!!」
「ん」
カルセインは、迷いなくコーヒーを口に運ぶ。
そして、驚きに目を見開いた。
「素晴らしいな……オレ好みの味だ」
「え……」
「ふふ。やはりお前はコーヒーを淹れる才能がある」
「……ど、どうも」
女主人は、なぜか首を傾げていた。
そして、大きなステーキがドンとカルセインの前に出される。
「当店オリジナルステーキです!!」
「ステーキにオリジナル? よくわからんが、いい香りだ」
ぶっちゃけ、ただ焼いただけ。味付けは塩コショウのみのステーキだ。
だが、シンプルな味付け故に、間違いなく美味い。
塩気が抜群のステーキは、カルセイン好みだった。
完食し、食後のコーヒーを飲む……やはり、これも濃くてうまい。
女主人は首を傾げていた。何かが気になるのか。
「どうした?」
「あ、いえ。コーヒー苦くないのかな、って」
「苦いのは好きだ。それより……マスター、ここはお前だけでやっているのか?」
「いえ、お友達と一緒にやってるわ」
店の裏から、同年代の少女がチラッと顔を見せた。
カルセインは首を傾げる。
「若い女性二人でやっているのか?」
「ええ。ここ、おじいちゃんの店でね。おじいちゃんはササライ王国で新しいお店をやるの。で、ここはもう使わないから、私がもらったのよ」
「そうか」
カルセインはコーヒーを口に含む。
女主人は、クスっと笑った。
「なんだ?」
「いえ、美味しそうにコーヒー飲む人だなぁ、って」
「美味いのだから仕方あるまい」
「美味しいんだ……んー、絶対に苦いと思うけど」
「それが美味いんだ」
いつしか、カルセインも女主人も砕けた口調になっていた。
そして、女主人はカウンターに肘をつき、カルセインに聞く。
「お客様、結婚してるの?」
「いや、してな───……ああ、そういえばしていたな」
「え、なにそれ?」
「こっちの事情だ。いちおう、結婚はしている。そういうお前は?」
「私もしてる。まぁ……いろいろ面倒な相手だけどね」
「……面倒?」
「そ、大人の事情ってやつ」
「なんだそれは? 面倒……トラブルか? 問題があるなら、相談しても構わんぞ」
「あー……いいわよ。どうせ無理だし」
「む……」
「ま、旦那のおかげでこうやってお店できる、ってのもあるしね」
「…………」
「あなたも、奥さんのこと大事にしなさいよ?」
「…………む」
カルセインは、女主人の微笑みが眩しく、そっぽ向いてカップに口を付けることしかできなかった。
◇◇◇◇◇◇
屋敷に戻り、カルセインは部屋に戻ろうと歩いていた。
今日は疲れたので、このまま入浴して寝よう……そう思い。
《あなたも、奥さんのこと大事にしなさいよ?》
と、女主人の言葉が浮かぶ。
カルセインは、背後にいたエミリオに聞いた。
「エミリオ」
「はい」
「あー……その」
そして、気付いた。
カルセインは、妻の名前すら知らなかった。
「その、妻は何をしている? その……挨拶を、な」
「……え、えっと」
「どうした?」
「その……奥様はまだ、お帰りになってません。執務の後、町へ出るようになりまして……帰りは、夜遅いことが多いのです」
「…………そうか」
結局この日、カルセインはアデリーナに会わなかった。
そして翌日の早朝、アデリーナに挨拶することなく、公爵領へ出発した。
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