第3話、公爵夫人アデリーナ

 アデリーナが公爵邸に来て十日が経過した。

 旦那様ことカルセインは、未だに会いに来ない。というか屋敷にすら戻ってこない。

 アデリーナは、公爵夫人専用の執務室で書類にサインをしていた。

 屋敷の管理が主な仕事であるが……その仕事が、実に簡単だった。

 エレンが淹れたお茶を飲みながら書類を眺め、ボソッと言う。


「エミリオ、かなり優秀な執事ねぇ」

「そのようですね」

「メイド、執事の全体管理は完璧。業務内容のマニュアルも完璧だし、私が手を付けるところはないわ。というか、ヘタなことすれば余計な負担になる。完成された絵に素人が重ね塗りするようなもんね」

「つまり?」

「私の仕事がほとんどない、ってこと!!」


 アデリーナは書類を投げる。エレンが空中で摑み、丁寧にまとめてテーブルの上へ。

 エレンは、アデリーナにお茶のお代わりを注ぐ。


「公爵夫人として使えるお金があるのでは? 町に出るのはどうでしょう」

「それいいわね。でも、町に出ると目立つのよねー……」


 アデリーナは、プラチナシルバーの髪を持ち上げる。

 太陽光に当てると輝く髪色は、シシリー公爵家の特徴だ。母はくすんだ金髪だったが、アデリーナは父と同じプラチナシルバーの髪を持って生まれた。

 すると、エレンがにっこり笑う。


「こんなこともあろうかと」

「え、なになに」

「じゃじゃーん」


 エレンがメイド服のスカートから取り出したのは、茶色いウィッグだった。 

 主に向けて使う言葉ではないが、エレンも砕けた口調になっている。もちろん、アデリーナは全く気にしていない。

 

「わ、すごい!! これウィッグ?」

「はい。外出用のウィッグを持参してまいりました。それと、平民用の服もいくつか」

「さっすが!! ね、出かける?」

「はい。では準備を」


 平民の服に着替え、ウィッグを装着。アデリーナはどこからどう見ても平民の少女になった。

 このまま町まで行けばいいのだが、徒歩では厳しい。

 平民の服に着替えたエレンと共に、屋敷の裏へ回る。そこには執事やメイドが出入りする小さなドアがあった。


「このドア、新しい出入り口ができたので、今は全く使われていません。出るならここからかと」

「さっすがエレン。でも、徒歩じゃキツイわ……」

「ご安心ください」


 ドアを開けると、やや古い馬車があった。平民が乗る馬車だ。

 御者をしているのは、初老の男性。

 エレンは、男性にボソボソ何かを言うと、男性は頷いた。


「さ、行きましょう」

「な、何言ったの?」

「ふふ、少々賄賂を」

「……エレン、怖い」


 この十日、アデリーナが公爵邸に慣れようとしている間に、エレンはエレンで情報収集や公爵邸の見取り図などを確認していた。公爵家に関すればアデリーナより物知りである。

 馬車に乗り込むと走り出す。


「行先は?」

「そうですね。貴族街にある高級アクセサリー店、ブティック、カフェ」

「イヤ」

「そう言うと思いました。下町にある人気のケーキ屋さんで、お茶にしましょう」

「さっすがエレン!!」


 元平民のアデリーナは、高級なアクセサリーやドレスより、平民が行くようなスイーツ店などを好むことに、長年の付き合いであるエレンは知っていた。

 馬車は平民が住む下町に停車。そこからは徒歩で行く。

 向かったのは、平民の間で人気のカフェ……なのだが。


「え、満員……っていうか、行列」

「……これは、かなり待ちそうですね」


 店の前は、行列ができていた。

 アデリーナとエレンは顔を見合わせる。


「どうしよ……待ってたら日が暮れそう」

「せっかくの時間を無駄にしたくありませんね。別の店を探しましょうか」

「そうね。ふふ、こういう行き当たりばったりなのも楽しいかも」

「では、次の店へ」


 アデリーナとエレンは、下町を散策した。

 ぬいぐるみが売っている店、鍛冶屋、武器防具屋、八百屋に道具屋、パン屋に宿屋……いろんな店が並び、アデリーナはキョロキョロしながら歩いていた。


「お嬢様、前を見て歩かないと」

「だって楽しいんだもん。ふふ、オルステッド帝国ってすごい栄えてるのね」


 二人は、下町の外れまで来た。

 この辺りには店が少ない。見るべきものもあまりないので、引き返そうとした。

 だが、一軒の寂れたカフェで、アデリーナは立ち止まる。


「お嬢様?」

「ね、エレン……このお店」

「ここは、カフェですね。かなり規模が小さいですけど」


 小さなカフェだった。

 窓から見える店内を覗くと、カウンター席が四つに二人掛けの席が二つしかない。建物も細長く、まるで倉庫を改造し無理矢理カフェにしたような店だった。

 なんとなく店内を覗いていると、カフェの裏手から一人の老人が現れる。


「おや、いらっしゃい。と言いたいが……悪いね、今日で閉店なんだ」

「え、そうなんですか……?」

「ああ。ここはワシが趣味でやってた店でね、見ての通り、寂れた町はずれの小さなカフェさ」


 アデリーナが建物を見上げていると、エレンが質問する。


「やはり、経営状況が悪く閉店を?」

「いや、金に困ってるわけじゃない。息子んとこで新しい店をやろうと思ってな。ササライ王国に引っ越すんだ」

「そうなんですか」


 ササライ王国。奇しくも、アデリーナの故郷であった。

 アデリーナは、老人に聞く。


「あの、このお店はどうするんですか?」

「古くなったしなぁ。必要なモンも息子のところにあるし、大事なモンだけ持って取り壊そうかと思ってる。愛着もあるが、こんな古い店欲しがる奴もいないだろう「買います!!」し……え?」


 アデリーナが挙手……眼がキラキラしていた。

 エレンが「嫌な予感……」とつぶやきつつ、確認する。


「あの、お嬢様……」

「おじいさん、このお店買います。おいくら?」

「か、買う? あんたらみたいな若いおなごが、買う?」

「はい!! エレン、お金」

「……はぁ」


 エレンは懐から、金貨が百枚ほど入った袋を取り出し、老人に渡す。

 金貨を確認した老人はギョッとしてアデリーナを見た。


「足ります?」

「ききき、金貨がこんなに!? たた、足りるどころか、この店を百回立て直してもおつりがくる!!」

「じゃ、足りるのね。この店、私がもらうわ」

「……あんたら、なにもんだ?」

「まぁ、金持ちの女性ということにしてください。名義変更の手続きはこちらでやりますので、土地の権利書と店舗経営の許可証を」

「お、おう……」


 老人から店に関する諸々の書類をエレンが受け取る。エレンならアデリーナの名義に書き換えることなどすぐにできるだろう。

 エレンは、念のために老人にこの件に関する口止めをした。

 老人は荷物を持って城下の宿屋へ。空っぽになった店を前に、エレンは聞く。


「それで……お嬢様、なぜこの店を?」

「決まってるじゃない。私が経営するのよ」

「……ここは、喫茶店ですけど」

「知ってる。料理はできるし、コーヒーも紅茶も淹れられるわ」

「……なぜ、店をやろうと?」

「屋敷にいても暇だしね。公爵夫人の仕事なんて午前中で終わっちゃうわ。午後は喫茶店のマスターとして働くのよ!!」

「な、なぜに喫茶店……?」

「……その、お店をやってみたいって思ってたの。パン屋とか、料理屋とか。たまたま廃業した喫茶店に出会うなんて、運命じゃない?」

「…………」

「さ、店内の確認するわよ。貯めてたお小遣い全部使っちゃったし……公爵夫人として自由に使えるお金あったわよね。んー……あんまり使いたくないけど、準備金として少しだけ使おうかしら」

「…………」


 エレンは、頭を押さえた。

 そう。アデリーナという少女は、こういう少女だった。

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