第2話、顔も知らない旦那様

 婚約が決まってから、とんとん拍子に話が進んだ。

 荷物をまとめ、馬車に積み込み、オルステッド帝国へ出発……アデリーナが嫁ぐと聞いてから、たった三日後のことだった。

 馬車に揺られながら、アデリーナはムスッとする。


「生贄ってこんな気持ちなのかしらね」

「お嬢様……」

「エレン、本当によかったの?」


 それは、『付いて来て良かったのか?』という問いだ。

 だが、エレンにとってそれは愚問。力強い目で、右手で胸を押さえ、しっかりアデリーナを見据えて自分の気持ちを吐きだした。


「私の居場所は、お嬢様のいるところです」

「ふふ、あなたも頑固ねぇ……でも、ありがと」


 アデリーナはにっこり笑い、馬車の窓からオルステッド帝国へ続く街道を見た。

 魔獣が多く出現するこの街道。だが、今は魔獣被害がほとんどない。

 帝国の英雄、ルクシオン公爵家の当主が、魔獣発生の原因である魔獣の王、通称『魔王』を討伐したからである。

 魔獣討伐からまだ日が浅いのに、大地に生気が戻り、枯れた草花が生き返り、汚水のようだった川も透き通るような水が流れている。

 アデリーナは、エレンに聞いてみた。


「ね、エレンは知ってる? ルクシオン公爵家の当主……えっと、名前はカルセインだったかしら」

「メイドの噂話で聞いた話ですが……残忍で狡猾な冷血公爵で、ワインの代わりに人の生き血をグラスに注ぐとか、彼に色目を使った貴族の女性の目を抉ったとか……でも、帝国最強のソードマスターで、魔王を討伐し、オルステッド王国とササライ王国を救った『勇者』だ、とか」

「私と同じくらい知ってるのね」

「それと……絶世の美男子とも聞きました」

「んー、私……顔にはあんまり興味ない。別に整った顔じゃなくても、『この人と一緒に過ごしたい』って思えるならそれでいいんだけどねー」


 馬車の椅子は硬い。アデリーナは首をコキコキ鳴らす。

 エレンは頭を押さえた。


「お嬢様……どうか、公爵様の前で、首を鳴らしたりしないよう」

「はいはい。いくら淑女の勉強をしても、あたしは……私は根っからの平民だからねぇ」


 アデリーナは肩をすくめ、「あはは」と笑った。


 ◇◇◇◇◇◇


 馬車は、オルステッド帝国に到着した。

 小国であるササライとは比べ物にならないくらい栄えた国だ。国を覆う城壁でさえ威厳を感じる……と、アデリーナは適当な感想を浮かべた。

 正門を抜け、広い道を馬車で進む。


「うわー……すごいわねぇ。見て見て、馬車が五台並んで走ってもまだまだ広いわ。それにお店もいっぱい!! あ、あそこに美味しそうなパン屋発見!!」

「お嬢様、お静かに」

「少しくらいいいじゃーん」

「お嬢様」

「はいはい」

「はいは一回です」

「はーい」


 平民全開のアデリーナ。

 テンションが上がっているのがエレナでもわかる。

 だが、これから向かうのは『ルクシオン公爵家』だ。

 しかも、現当主と『結婚』するために向かっている。顔も知らない、名前しか知らない相手に嫁ぐのだ。多少なりともはしゃいで気分を楽にしようとしているのだろう。

 そして、馬車は一軒の広大な豪邸前に止まった。

 御者が、手紙を門兵に見せると、門兵が屋敷へ走る。

 戻ってくると、執事服の男性が立っていた。

 馬車のドアが開き、アデリーナが降りる。すると、執事が一礼した。


「ササライ王国からはるばるようこそ、シシリー公爵家令嬢、アデリーナ様。私はルクシオン公爵家執事、エミリオと申します」


 エミリオの一礼に、アデリーナも一礼で返す。

 エミリオは、優しい『事務的な』笑みを浮かべていた。


「部屋を準備してあります。まずは旅の疲れを癒し、お休みください」

「ありがとう。汚れを落とした後、ルクシオン公爵様にご挨拶したいのだけど」

「……旦那様は現在、残務処理で屋敷にはおられません」

「そうなの。じゃあ、挨拶は後日、旦那様が戻られてからにするわ」

「はい」


 エミリオに案内され、屋敷内へ。

 執事やメイドたちはしっかり一礼し、顔を伏せている。

 廊下に敷いてある絨毯、壁にかけてある絵画、飾ってある壺。全ての装飾品が輝いている。間違いなく高価なものであろう。  

 アデリーナが案内された部屋も、とても広く豪華で美しかった。

 

「わぁ……」

「アデリーナ様の住む別宅がもう間もなく完成します。しばしの間だけ、こちらでお過ごしください」

「ありがとう、その……私のこと、聞いてるわよね」

「はい。旦那様の婚約者として、ササライ王国から来たと」

「ええ。至らないところも多いと思うけど、よろしくね」

「……はい」


 エミリオは一礼した。

 不思議だった。どこか気の毒そうなものを見るような眼だった。

 ルクシオン公爵、名はカルセイン。魔王を倒した勇者にして英雄。

 婚約者がおらず、ササライ王国が用意した婚約者をあてがわれ、嫌とは感じないのだろうか。

 そういえば、拒否の返事も何もない。あまりにもトントンと話が進んだような気がした。

 アデリーナは、少し強めにエミリオに聞く。


「エミリオ、って呼んでいいかしら?」

「はい。アデリーナ様」

「ルクシオン公爵様は、私のことを知ってるのよね?」

「……存じています」

「ササライ王国が寄越した婚約者ということも?」

「はい」

「…………」

「…………」

「エミリオ」

「は、はい」

「何か隠している?───……いえ、何か怯えている?」

「…………その」


 エミリオは目を反らした。

 恐怖ではない。何か、隠し事をしているけど言いたくないような、そんな目だ。

 アデリーナは、ヒトを見る目には自信があった。


「エミリオ。怒らないから言いなさい……あなた、何を隠しているの?」


 いつの間にか、エレンがドアの前に立っていた。

 エミリオが逃げられないように立っているのである。

 エミリオは、観念したようにため息を吐いた。


「……旦那様は、今回の件に何の興味もございません」

「……は?」

「世間では、いろいろ噂をされているようです。冷血公爵、勇者、魔の化身……旦那様は、単純に『興味がない』だけなのです。婚約者がいないのも、女性に興味がないから」

「……どういうこと?」

「ササライ王国から婚約者を贈呈されると聞いても、眉一つ動かさず「そうか」とだけ言いました。アデリーナ様……旦那様は、あなたに一切の興味がございません。あなたが妻となるならそれでよし、この話を聞いて怒って帰るならそれでよし。それだけです」

「……な、何言ってるの?」

「その、期待をしていたら申し訳ございません。結婚式も、婚約式も、陛下への謁見もありません。旦那様にとっての事実は、『ササライ王国から妻が来た』というだけで、あとはいつもと同じ日常が続く……それだけです」

「…………」


 唖然とした。

 つまり、ササライ王国から妻が来る。それだけ。

 挨拶も、結婚式もない。本当に、それだけ。

 明日も明後日も、何も変わらないということ。


「…………え、馬鹿にしてるの?」

「申し訳ございません。これが旦那様の意思です……」

「え、じゃあ私は何をしたら?」

「その、公爵家夫人として屋敷の管理業務がございます。今までは私が担当していましたが、アデリーナ様に引き継いでいただきます。それ以外でしたら、自由にしてよろしいかと……」

「…………ふ」

「え?」


 アデリーナは、プルプル震えた。

 エレンがエミリオの背後に回り、そっと耳を塞ぐ。

 そして───爆発した。


「ふっざけんな!! なによそれ!?」


 アデリーナの怒りが爆発……たまたま防音部屋だったので、外まで声が漏れることはなかった。

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