第8話「海外で暮らそう」

 やはり日本の気候は厳しいのか、梅雨のこの時期は体調不良の学生が多く心配なシンドーです。

 日本人でも気圧の変化で調子を崩しますからね。仕方がない。


 今回は何を書こうかと頭を抱えていたのだが、最初に働いた田舎の生活環境についてちょっと書こうか。

 今後、海外に住みたい方の役に立つ話が書けたら幸い。

 以前も触れたけど、私が住んでいたU県はタイの北部にあるけっこうな田舎。実際、帰国してから会ったタイ人に


「U県で働いてたんだよ〜」


 なんて言おうものなら


「なんでですか!?」


 と返ってくることがザラだった。

 要は『タイ人の自分達が行かないのに外国人がわざわざ住むのは驚き』ということなのだろう。

 日本だとどこだろう?例えば山形県?『山形県で働くアメリカ人なんて、そうそういないよね』という私の幻想を殴り飛ばすダニエル・カール氏。ダメだ、強烈な前例がいて例え話になりゃしない!

 学生に行ったことがあると言われ私が驚く土地はやはり茨城県かな。関東地方だけど。私の地元だけど。それでも『なんで?何の用事があって茨城に?ガールズ&パンツァーが好きなの?』と困っちゃう。

 まぁとにかく、タイ人からしてみれば私がわざわざタイのど田舎U県に移り住んで働いていたことは驚きをもって迎えられることが大半なのだ。


 勤め先の大学には日本語学科があり、近隣の高校にも日本語を勉強する高校生がたくさんいたとはいえ、それでも『ニホンジン』は希少生物という扱いだった気がする。

 この大学には中国人の留学生が多く在籍したので見知らぬ人に「你好ニーハオ」なんて話しかけられたことも一度や二度ではない。


 そんな環境ではあったが、特に生活に困ったということはなかった。

 というのも、偶然住んだアパートの管理人さんは日本に滞在したことがあり日本人に友好的、奥さんは簡単な日本語がわかる、私から見て10歳下の娘さん含む一家揃って日本好きなファミリーだった。そのため、私の拙いタイ語と奥さんの簡単な日本語でコミュニケーションに困ったことが無かったのである。私は本当に運が良かった。

 タイ滞在2年目の頃には娘さんに日本語を教えるアルバイトを頼まれた。時間に応じて家賃を値引きしてくれたので私としても助かったし、日本語でコミュニケーションが取れる相手も増えたのが嬉しかった。

 さすがに契約時と退去時はタイ人に立ち会ってもらったけど、住居に関して困ったことはないな。


 ただ、それでもうまく解決できないことは発生するもの。自転車が不調で自転車屋に行ったが上手く説明できないとか。そんな時は主任に電話をして通訳を頼む。そして店のおっちゃんに電話を渡して喋ってくれとジャスチャーする。これで解決。主任を巻き込んで申し訳ないが、日本人に限らず海外に住んだ人はよくやる印象がある。


 その他、細かなところでは散髪も最初は面倒だったな。タイに行く前に切ったとはいえ、男の髪など一か月もすればバサバサに伸びてしまう。何より長いと暑い。そのため髪を切りに行きたかったのだが、どう説明すればいいかわからない。かなり困った。だが私はあるとき気づいた。

 

 別に説明しなくていいじゃん。

 

 海を渡ろうと向こうは散髪のプロなのだ。別段、言葉で説明しなくても私の頭を見て元はどのような形だったか想像するなんてわけないこと。なので私は近所の床屋でヒマそうにしている店主に学生時代の写真を見せて指でチョキを作る。


私 「OKไหม?(OKかな?)」

店主「ครับ(おうよ)」


 というやり取りで注文完了。後は座っていればすぐ終わりだ。

 タイにいた頃は学生にこの話をして「留学するなら今の写真を撮っておけ。それか美容院で日本語を使って注文できるように練習しておけ」などと教えた記憶がある。

 タイ語は"OK"という英語がそのまま使われるのでかなり便利。何度も助けられた。ちなみに発音は「オッケー」じゃなくて「オーケー」。授業中も普段の生活でもよく使うので少し前まで「OKですか?」が口癖になっていた。今は意識して矯正したので「大丈夫ですか?」などを使うようにしているけど。


 そうそう、書いていて思い出した。移住直後は何かと入り用で最初の給料日の直前には倹約を心がけないとかなり辛い状況に陥ってしまった。私は「あるもの」が欲しくて堪らないのに、それを買う余裕もない。なので夜な夜な箒を手に必死に戦っていたのを覚えている。

 そして念願の給料日。つまり私にとって初任給、人生で初めての給料だ。学生時代にバイトをしていたとはいえ、やはり感慨深いものがある。

 クルンタイ銀行の水色のATMからお金を下ろし、私は喜び勇んでスーパーヘと自転車を走らせた。そして私は手に入れたのだ。殺虫剤を!

 はい、私が社会人になって最初の給料で買ったものは殺虫剤でした。だってゴキブリと戦わなきゃならないんだもん。

 一年を通して日本の夏と同じくらいの暑さを誇るタイなのだから、当然ゴキブリは年中現れる。そんな奴らと戦うためのウェポンが私の手にないのは本当に辛かった。

 まぁゴキブリだけでなくタイは部屋の中にしょっちゅうヤモリが入ってくるんだけどね。虫と爬虫類が好きな人には天国だと思う。私には地獄だったが。



 今回の話は特別トラブルに見舞われたわけでもないただの思い出話だな。ブックマーク減るかも。笑


 

 あ、そういえば第4話で書いたラーメンを食べるときに凝視された話は私の小説『逆異世界転移物語』でも使っています。もし興味があればお読みくださいませ。

 もっとも、その場面が出てくるのは120話以上読み進めた後なのですが。せっかくなので宣伝させてください。



 次回は日本語教師になって最初にぶつかった壁、学生との付き合い方について思い悩んだことを書こうと思う。

 ではまた次回。


 

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