第41話

 それからさらに三十分ほどすれば、徐々に他のみんなもロビーに集まってきた。まだ寝足りなさそうなのが、彼らの姿を見たらよく分かる。目ん玉が取れそうなほど目を擦ったり、顎が外れそうなほど大きな欠伸をしたり。先生がいるというのに隠そうともしないのが、いっそ清々しくも思える。


 起床したらロビーへ集まるように、と昨日先生に言われていた。だから僕らはロビーに集まっているのだが……まだ王子とジョンの姿が見えていない。別に王子がいないところで支障はないのだ、今頃ぐっすり夢の中だろう。しかしジョンがいないのは問題だった。

 集合時刻は六時半。そして今の時刻は六時四十五分。何だまだ十五分しか経っていないじゃないか、そう思う者もいるかもしれない。だけど、これからの予定は分刻みで立てられているのだ。すなわち一分の遅刻で全ての予定が狂ってしまう。

 それではいけない、というわけで先生がジョンを起こしに向かった。少ししてから先生と一緒にジョンがロビーに現れる。


「すんません、一匹で起きるの苦手で起きれませんでした」


 彼は申し訳なさそうに頭を下げた。


「一匹で起きれないなんて子どもみたいですねー」


 冗談のつもりで言ったのだろう、ヨンが少し意地悪くそう言った。それにジョンはあっけらかんと答える。


「まあ、まだ十三歳なんで実際子どもっスからね」


 え? この場にいた誰もが耳を疑った。十三歳? え、年下……?

 それなのに、ふ……ふ……。


「えー!? 老けてるだすなぁ~」


 多分みんなが一瞬は思ったであろう感想を、ミンがはっきり口にしてしまった。その瞬間、この場の空気が凍りつく。

 お前、面と向かって何てことを……。みんながミンに冷たい視線を向ける中、ユンが慌てて止めに入った。


「チョット! 駄目だヨ、ミン謝って! それはさすがに失礼ジャン!」

「はっ。し、しまっただす。つい口が滑って……」

「大丈夫っスよ、よく言われるんで。全然気にしてないっス」


 口ではそう言うジョンだったが、多分サングラスの奥の目は笑っていない。めっちゃ気にしているじゃん。


「でも、じゃあ、ということは、俺より年下ってこと? 嘘だろ、絶対年上だと思ってた。十八歳くらいかなって思ってたんだぞ。マジかあ。今の衝撃で一気に目ぇ覚めた」


 はぁー、とヨンが大きく息を吐く。十八歳はさすがに盛りすぎじゃないかと思ったけれど、僕もジョンは十六、七歳くらいかなと思っていたので、僕も割と大概だった。


 ちなみに後で確認したら、残りはみんな十四歳とのこと。全員年下かいってびっくりしたけれど、最年長だと思っていたにゃんが最年少だった衝撃の方が大きかったので、それほどショックは受けていない。

 王子が彼らの個にゃん情報をどこまで把握しているか分からないが、護衛がみんな自分より年下だなんて知ったら王子のプライドが傷つきそうだなあ。僕は違うけど。

 がやがやと騒がしくなってしまった空気を正したのは、先生の一言だった。


「静かに。予定より多少遅れてしまったが、これより朝の体操を始める。全員、表に出なさい」


 はーい、とバラッバラに返事をし、言われたとおり僕らは外へ出る。そして約十分間、体操をしたり軽く体を動かしたりしてから、朝食となった。

 今日からの食事は全て献立が決まっているので全員同じメニュー。お残しは許さないとのことなので、嫌いな物があっても完食するように言われた。僕はよっぽどまずい物でもない限り大抵の物は食べられるので、その点に関しては特に問題なかった。それよりも、普通の一匹前で果たして僕のお腹はいっぱいになるのだろうか、ということの方が心配だった。

 ぐっすり眠っていた王子を何とか起こし、全員が揃ったところで朝食となった。

 朝のメニューは、お米、汁物、野菜、お魚と栄養バランスの取れた食事になっている。


「あのう……おかわりって何杯までしていいですか?」


 そっと前足を上げて僕は質問した。早速おかわりの心配か、と周りから呆れたような視線を向けられたけれど、僕にとっては大事なことなので確認しないわけにはいかないのである。


「そうだな。三杯までならよしとしよう。あまり食べすぎると訓練中に吐いてしまう恐れがあるからな」


 先生が答えた。

 三杯か。むぅ……その制限の中でどれだけご飯を多く盛れるか、それが重要だな。僕が思考を巡らせていたら、先生が付け加えるように言った。


「あ、茶碗からはみ出るくらい盛りすぎないように気を付けるんだぞ」


 ちぇっ。まるで考えを読まれていたみたいで、僕は思わず心の中で舌打ちした。

 僕らのメニューは先程述べたとおりなのだが、王子だけは違う。社会勉強という名目でただ遊びに来ただけの王子は食事制限をする必要がないので、好きな物を好きなだけ食べることができるのだ。だが王子はメニューを眺めたまま、はあ、と大きく溜息を吐いて一言。


「駄目だ。食べたい物がないのだ……」


 なぬっ!? 食べたい物がない? 選ぶ自由を与えられているのに、なんて贅沢な悩みなんだろう。


「昨日は普通に食べてたじゃないですか」


 サンが言うと、王子は口を尖らせた。


「だって……ここのご飯、飽きた。吾輩の好きな味じゃない」


 飽きたぁぁぁぁっっ!?


「そもそも吾輩、顔の見えない者の作ったご飯など本当は口にしたくないのだ。信頼できる者の作ったご飯しか食べたくないのに」

「顔の見えない者って……。ここの料理にゃんたちは、国王陛下の顔見知りですよ。ホン様に危害を加えるわけないでしょう? それに、昨日お召し上がりになった後も何ともなかったじゃありませんか」


 先生が説得をしても、王子は難しい顔のまま。じっとある一点を睨みつけている。


「ヨン。吾輩、お前の作ったご飯が食べたい」

「…………やだ!」


 王子の視線の先にいたのはヨンだった。少しのの後、ヨンは大声で拒否した。王子のわがままとはいえ、王族からの頼みをこうもきっぱり断れるのは、ヨンだからこそだろう。


「もう俺シェフじゃないんだぞ! ここには訓練しに来たの。王子の飯作るために来たんじゃありませーん!」

「なっ……なっ……。お前の実力を認めてやっているというのに、何なのだ、その態度は! お前なら吾輩好みの料理を作れるからお願いしてるのに、心狭いのだ!」


 完全なる逆ギレである。

 王子のあまりの剣幕を聞きつけて、奥の調理場にいた料理にゃんたちがこちらにやってくる。そして申し訳なさそうに頭を下げた。


「これは申し訳ございません、王子様。お口に合ったお料理をお出しできなくて……」

「どのような物をご所望でしょう?」


 王子はじろりと彼らに鋭い視線を向けた後で呟く。


「……ゴールデンツナ缶」


 あるわけないでしょ、こんなところに。缶詰なんだよ、すぐに用意できるわけないじゃん。

 ゴールデンツナ缶。それは「ゴールデンツナ」という黄金に輝くマグロを材料とした、とっても高級な缶詰である。特殊な製法で作られているらしく「ゴールデンツナ缶調理師免許」という調理師免許を取得した限られた者にしか作ることが許されていない。そしてこれが、王子は大好物だった。


「城にストックいっぱいあったじゃん。あれ持ってくればよかったんだぞ」


 ヨンが呆れ気味に言った。

 一ヶ月分の缶詰ってすごく荷物になりそうだけども。


「そんなこと旅行初心者の吾輩に言うな。思いつくわけないであろう。もっと早く言え」


 理不尽。

 もう、王子のわがままのせいでご飯が美味しくない。おかずの量は少なくて胃に溜まらないし、こんなんじゃ食べた気しないよ。おかわりしてこよ。


「王子がこうして贅沢を言っている間も、スニャムのにゃんたちは食べる物がなくて困っているのでしょうね」


 しんみりとサンが呟いた。すると王子の耳がぴくりと反応する。


「う……うぅ……」


 悩んでいらっしゃる。スニャムの名前を出されては、さすがの王子も罪悪感を覚えたらしい。


「吾輩、ゴールデンツナ缶なくてもいい……。ここにある物で我慢してやるのだ……!」

「!」


 偉い! 王子、食べ物のありがたみがちょっとは分かったようですね。

 料理にゃんたちはまだ若干不安そうに顔を強張らせていたものの、ほっとしたように息を吐いた。


「ありがとうございます。王子様にご満足いただけるようなお料理をお作りいたしますので、少々お待ちくださいませ」


 王子は静かに頷いた。長年のわがままっぷりは、そう簡単には改善されそうにない。けれど確実に、少しずつ王子は成長しているのだ。

 その後は大きな問題もなく、平和な朝ご飯タイムとなったのだった。

 ああでも、王子が「誰か野菜を食べてくれ」ってまた騒いでいたな。

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