第40話

 そろそろ夕食の時間だとファン先生に言われ、僕たちは食堂へ集まった。

 貸し切りのおかげで広々利用できていい。さて何食べようかなあ。わくわくしながら僕はメニューを眺めていた。


 しかし食堂に全員集まった瞬間、その場の空気がぴりついたものになり、楽しく食事をする雰囲気ではなくなってしまった。原因は分かっている。ヨンとミン、二匹の仲が未だ険悪なままなのだ。事情を知っている僕としては、また何か起こるんじゃないかと不安で冷や汗が止まらない。ヨンもミンも顔や態度に出やすいタイプのようなので、先生もきっと何か感じ取ったんじゃないだろうか。

 各々好きなところに座ろうとしていたら、そのタイミングで先生が言った。


「今日の座席だが、明日からの予定について詳しく話したいから、バラバラに座らず私の周りにまとまって座ってくれないだろうか?」


 何ですと? みんな集まって座る? ちょっとちょっと、まずいんじゃないの。お互いの顔が見える位置に座ったりなんてしたら、喧嘩が始まっちゃうんじゃない? ドキドキしながらも、僕は言われたとおり先生の近くの席に座った。

 全員が集まったのを確認してから先生が口を開いた。


「では、明日からどのような訓練を行っていくか説明を始める。食べながら聞いてくれて構わない、と言いたいところだが……。まずはこの合宿の目的について、改めて把握しておいてもらった方がよさそうだな」


 この合宿の目的? 僕らが一斉にきょとんと頭を傾げたのを見て、先生は半ば苦笑する。


「今回の合宿の目的って、素人の僕たちが王子の護衛としてしっかり役目を果たせるように、騎士としての力を身につけること……ですよね?」


 僕が答えると先生は頷いた。


「ああ。それもあるが、それだけじゃない。一ヶ月の共同生活を通じて親衛隊の絆を深めること、これが今回の合宿のもう一つの目的だ。隊というのは一匹でやるものじゃないからな。訓練によって技術を身につけることはもちろん、親衛隊の協調性も高めたいと思っている」


 し、親衛隊の絆を深める……? 一日目にして既に溝が深まっている者たちもいるんですけれど……?

 ちらりとその溝深まり中の二匹を見れば、ミンは眉間に皺を寄せ何とも言えない微妙な表情をしており、ヨンはあからさまに不機嫌な顔をしていた。おいおい、そんなにはっきり顔に出ていたらみんなにも迷惑かけちゃうよ。

 先生が僕らを一度見回してから言う。


「一ヶ月ギスギスした雰囲気の中で過ごしたくはないだろう?」


 ほら、やっぱり先生は気付いているんだ。一部の者たちの険悪な雰囲気に。


「そういうわけだから、この一ヶ月、今言ったことを常に意識して訓練に励むように。それで訓練の内容についてだが――」


 本題の訓練内容を聞いて、だんだんと表情が死んでいく僕たち。これは楽しい旅行じゃないってことくらい最初から分かっていたとはいえ、具体的な内容を聞くと「ああ、とうとう始まってしまうんだな」と改めて実感させられる。

 そんな中でたった一匹、呑気にあくびをしながら話を聞いている者がいた。まあ王子なんだけども。


「ふわーあ。聞いてるだけで眠くなってくるのだ。まあお前たち、せいぜい頑張れー」


 た、他にゃん事だと思ってえええっ! そりゃ王子は訓練しないから実際他にゃん事だけどさ。あくびする余裕だってあるんだろうけどさ。今の僕は、そんな王子のマイペースさに少しイラッとしてしまった。言わないけどね。

 嫌な気持ちを忘れるためにはお腹いっぱいご飯を食べるに限る。お金の心配は一切しなくていいと昼間先生にも言われたので、遠慮せず好きなだけ食べてやろうと思った。きっと明日からは好きな物を好きなだけ食べるなんてできないだろうから。


「話は以上だ。後はゆっくり好きに食事してくれ」


 よし来た。僕はすぐさま立ち上がる。


「ちょっと、ご飯おかわりしてきます」

「え、もう食べ終わったんですか?」

「確か一匹で三匹前くらい注文してた気がするんスけど……」


 サンとジョンが驚いたような声を上げたけれど、そんなことよりここのご飯も美味しいなあ。


「ハッ、ミーも負けてられナイ。オカワリー!」


 別に僕は張り合っているわけじゃないのになあ。もぐもぐ。

 僕と同じくご飯をおかわりしたユンを横目に思った。

 この後、ご飯だけじゃなく追加でおかずとデザートも頼んで、もちろんぺろりと平らげました。



 翌日早朝、まだ眠い目を擦りながらも僕は何とか目を覚ます。時計に目をやると、時刻は五時半だった。


「んー……起きなきゃ」


 まだ起きるには少し早いのかもしれないけれど、今から二度寝なんかしたらきっと寝坊してしまうだろうから仕方なく僕は起き上がった。


「眠い……」


 別に眠れなかったわけじゃない。だけどやっぱりいつもと違うベッドだからか違和感を覚えて、どうやら眠りが浅かったみたいだ。

 きっとみんなはまだ寝てるよね。早朝ということも考えて、大きな音を立てないように部屋を出ると、一度ロビーまで向かう。

 ロビーに行ったら、既にそこには誰かがいた。どうやら早起きのにゃんが他にもいたらしい。そのにゃんはソファーにゆったりと座ってくつろいでいるようだった。にゃんの気配を感じたのか、僕が近づくと彼は振り向いた。


「おはようございます。早起きだね」


 そう言ってカンさんは穏やかに微笑んだ。


「いやいや、カンさんの方が早起きじゃないですか。ちゃんと眠れたんですか?」

「うーん。一応寝たんだけど、何だかわくわくして目が覚めちゃって。へへ……」


 わくわく? 訓練が楽しみで眠れなかったというのだろうか。もしそうなら変わっているなあ。


「そんなに訓練が楽しみだったんですか? 僕は逆に緊張で眠れなかったんですけど」

「違うよ。訓練は我も緊張している。そうじゃなくて、こんな風にみんなで共同生活したり、一つの目標に向かって頑張ったりっていう経験を今まであんまりしたことなかったからさ。だからちょっと楽しみなんだ」

「そうなんですね……」


 今までどんな風に生きてきたのか気になるような言い方だったが、あまり深追いはしないでおいた。触れられたくないだろうかもだしね。

 それから、僕もカンさんに倣ってソファーに座った。目の前のテーブルには様々なお茶菓子が置いてあり、お腹が空いていた僕はそれらを何個かいただいた。朝ご飯前だけどいいよね。空腹には抗えないもん。


「何だ、もう起きてる者がいるのか」


 背後からファン先生の声がした。僕とカンさんは慌てて立ち上がり、先生の方へ向き直る。


「お、おふぁよぉごらいまふ」

「おはようございます、先生」


 お菓子が口に入ったままの僕は、口をもごもごさせた状態で挨拶してしまった。うう、無礼なにゃんだと思われたかな。恥ずかしい。


「まだ六時前だがしっかり眠ったのか? 睡眠不足だと訓練に響くぞ」


 先生が心配そうに聞いてきた。


「大丈夫です。ちゃんと寝ました」

「僕は、緊張して早く目が覚めちゃって……」


 はっきり答えるカンさんに対し、僕の返答はどこか頼りないものになってしまった。


「そうか、緊張してるか。だが、どうやら食欲はあるみたいだな。よかったな」


 先生がおかしそうに口元を上げて僕を見る。

 うぐっ。しっかり見られてましたか。食いしん坊ってバレたよね。


「ただ分かっていると思うが、今日から訓練が始まる。それに合わせて食事制限もしていくから、当分の間は自由に食事できないことを覚悟しておいた方がいい」

「「は、はい……」」


 返事はしたものの、僕はショックを隠せなかった。そんなぁ、僕の生きがいが……。

 そんな僕の姿を見てか、先生が僕に聞いた。


「食べるの好きか?」

「はい、好きです」

「そうか。じゃあしばらくの間はちょっと辛いかもしれないな」


 ちょっとで済めばどれだけいいか。早くも挫折しそうな予感がし、僕は小さく息を吐いた。

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