第23話
しばらく歩みを進めているうちに、少しずつ日が暗くなってきた。できれば夜になる前に王子を見つけ出したいところだが、まずい、どうしよう、という気持ちばかりが焦る。
ふと、サンが口を開いた。
「悔しいですね、何もできない自分が」
それは王子の件か、先程の親子のことか、或いはその両方か。ぎゅっと歯を食いしばるサンの体は微かに震えていた。
「スニャム街の惨状、今日初めて目にして思ったんです。あの方たちの苦しみを私は何も知らなかったんだと。今まで何も知らずに生きてきて、そんな自分が情けなくて……すごく無力だと思いました」
そう言ってサンは顔を伏せた。
情けない、悔しい。きっと僕たちみんな、同じ感情だと思う。百聞は一見に如かずというように、実際目にして初めて本当の悲惨さを知る。そして同時に己の無力さを思い知るのだ。
「そんなに自分を責めないで。そう思ってくれるだけで嬉しいんだから」
サンを慰めるようにカンさんが言った。
一体どれほどの国民がこの事実を知っているのだろうか。恐らく大抵の貴族や平民たちは、今までの僕たちがそうだったように、何も知らずに平和に生きていることだろう。だけど中には、スニャムの実態を知っていながらそれを見過ごしてきた者もいるはずなのだ。スニャムの者たちが貴族をよく思っていないようなのは、僕たちが歩いているだけで周囲から鋭い視線を受けたこととさっきの親子の態度が何よりの証拠だろうし。
国王様は? 国王様はスニャムの実情をどのくらい知っているのだろう。僕の知る限りでは、国王様はとても穏やかで優しいお方だ。そんな方が、貧しくて食べる物や住むところがなくて苦しんでいるスニャムのにゃんたちを放っておくなんて、僕には想像できなかった。国王様もまた、スニャムの実態を正しく理解されていないのかもしれない。或いは側近が、国王様がスニャムの問題に深入りしないように裏で働きかけているのか。あまり誰かを疑いたくはないけれど、色々と考えてしまう。
「カンさんはどのくらいのことを知ってるんですか? 前にもここに貴族が来たことあるんですか?」
僕が聞く。するとカンさんは答えた。
「言い方悪いかもしれないが、こんな汚いところに来たがるお金持ちなんてほとんどいないと思う。聞いた話だけど、貴族に酷い目に遭わされた者の大半は食べ物や働き口を求めて街に出てきた者らしいからな。物を投げつけられたり、暴言を吐かれたり。そういうことを貴族にされたらしい」
「そうなんだ……」
なんて酷い。にゃんだふる星人は穏やかな者ばかりだと信じていたのに。同じ貴族としても恥ずかしくなる。
そうしてどんどん先へと進んでいくうちに、周りからにゃんの数が減ってきた。随分スニャムの奥の方まで来たのだと感じる。段々と、一つの建物の姿が見えてきた。
カンさんが口を開いた。
「一応倉庫はもうそこだ。我の予想が合っていれば、そこに殿下がいるはず。もしかしたら犯にゃんも近くにいるかもしれないから、気をつけて」
僕たちは頷く。
この倉庫で合っていてほしい気持ちもあれば、違っていてほしい気持ちもある。ここまで来てこんなことを思うなんて場違いな奴だと思われるかもしれないけれど、僕は酷い目に遭わされた王子の姿を見たくなかった。主であり友達である彼の悲惨な姿を目の当たりにしたら、なんて考えたら耐えられる気がしなかった。
周りを警戒しながら、慎重に倉庫へと近づいていく。しかしタイミング悪く、前方からやって来た複数のにゃんたちとばったり鉢合わせしてしまった。
「あ? 何だお前ら。こんなところに何の用?」
うわ、如何にもガラの悪そうなにゃんたちだ。これはまずい。絶対王子を攫った奴らだよ。どうしよう、何て言って誤魔化そう。
「えーっと、えーっと……た、宝探し?」
いや、何だよ。宝探しって。言ってから自分で突っ込む。さすがに無理があるだろうよ。こんな奥深く、何もなさそうなところで宝探しって。嘘下手くそか。
「宝探し? でもここには大した物なんてないはずだにゃあ?」
あれ? 意外と疑ってこない感じ? もしかして、このまま言いくるめればすんなり突破できたりして……。
「てかお前たち、見ない顔だな。やたら綺麗な毛並みだし。最近スニャムに来た奴ら?」
別のにゃんが聞いてきた。なかなか痛いところを突いてくるな。さて、どう言って乗り切ろう。
考えている間に、さらに別の一匹が口を開いた。
「こんな奥の入り組んだ場所までよく来れたにゃ? それもこんなにたくさん」
これは仲間だと思われているのか疑われているのか、どっちなんだ……。王子を助けに来たことがバレる恐れがあるからあんまり下手なことは言いたくないし。もし僕らが王宮の関係者だって知られたらどうなるんだろう。
よし。こうなったら、このまま新参者のふりをして倉庫に乗り込もう。その名も「お友達作戦」だ! ちなみにこれは今僕が勝手に考えた作戦なので、他のみんなは全く知らないよ。
「ミー、お宝の場所、匂いで分かるネ。匂い辿ってきたらここに来たヨ。ミーの勘が言ってるネ、ここに国の宝が眠ってる気がするッテ!」
ユ、ユン! 僕の嘘に合わせてくれているんだね、ありがとう! 王子を国の宝と言うなんて、なんてできた子なんだ。
「国の宝、ねえ……。残念だけど、お前らが探してる物は多分ここにはないにゃ。さあ帰った、帰った」
意地でも僕たちを倉庫に入れたくないみたいだ。それはつまり外部の者に見られたくない何かを隠しているということ。王子が中にいるのがほぼ確実になった。
「エーッ!? ミーの能力、本物ヨ。嘘つかないネ。ミーは嘘つき大嫌いサ!」
「うるさいにゃー。何にもないって言ってるだろ。あんまりしつこくするなら、痛い目見させてやってもいいんだぜ?」
引き下がらないユンに、警告する彼ら。
まずい。ここで奴らを怒らせてしまったら、僕の「お友達作戦」が台無しになってしまう。ようやくここまで来て、もうすぐそこに王子がいるかもしれないのに、その直前で王子の救出を失敗に終わらせるわけにはいかなかった。
その時、彼らの後ろの方からさらに別のにゃんたちがやってきた。その中の一匹が口を開く。
「何騒いでんだよ、お前ら。あんまり持ち場を離れんな」
「ラム、いいところに! だってなんか変な奴らが来やがって……」
「変な奴ら?」
「なんか、国の宝を探してるとか何とか。すげえしつこくて困ってるんだにゃ!」
「へぇ。なるほど……」
ラムと呼ばれたのは茶トラのにゃんだった。彼は僕らの近くまでやってくると、じろじろと僕らを観察し始めた。怪しい者かどうか調べているのだろうと思ったら、緊張して僕の体が強張る。が、彼はすぐににっこりとにゃん当たりの良さそうな笑みを浮かべて言った。
「うん、特に武器とかは持ってなさそうだね。いいよ、来なよ。案内したげるからおいで」
「えっ!?」
僕らも、そして何故か向こうのにゃんたちも驚いて声を上げた。
何これ? え、どういう展開? 罠じゃないよね? これは素直に従うべきなの? 困った僕はカンさんを見た。彼女は何やら難しい表情をしている。
「あの、カンさん。どうしましょう? これついて行って大丈夫なやつですか?」
僕は小声で尋ねた。カンさんは僕の方を見ないまま、誰に言うでもなく呟いた。
「まずいことになったな……」
その声のトーンは暗かった。何がまずいというのだろう。気になったが、それ以上を聞くことはできなかった。あの茶トラの彼の急かすような声がしたからだ。
「どうしたの、君たち。早くおいでよ。宝があるか気になるんでしょ?」
そこまで強い言い方ではないのに、彼の声には不思議と圧を感じた。何故だか断ってはいけない気がする。一応油断は禁物だが、とりあえずはその呼びかけに応じた方がよさそうだ、と僕は判断した。
「まあ、多分大丈夫だろう。今のところは」
一歩、足を踏み出した僕の背後でカンさんが言った。大丈夫、というのは先程の僕の問いに対する答えか。後半の言葉に少々引っかかりを感じたけれど、今はそこに言及するほどの余裕はない。カンさんが大丈夫と言うのなら、今はそういうことにしておこう。
「本当に何もない倉庫なんだけど。ま、口で言うより実際見て納得してもらった方が早いしね。ほら、早く入って」
ラムというにゃんが倉庫の扉の前で告げた。しかしそう言われても、まだ警戒を解くことができない僕は素直に入るのをためらってしまう。他のみんなも同様に、なかなかその一歩を踏み出せずにいる。そんな僕らの様子を見てか、彼らは半ば強引に僕たちの背を押した。
「もたもたしてないでさっさと入って。悪いけど俺たちも暇じゃないんだ」
若干イラついたような声で言われる。彼らの勢いに押されて、流されるままに僕たちは倉庫の中へと入った。
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