第20話 ホン王子side

 あれからどのくらい経っただろう。相変わらず何も見えないし動けない。

 うーん、お腹が空いたのだ。吾輩の腹時計では、そろそろお昼ご飯の時間になるのだが……。


「ぶはっくしょええええん!」

「うわっ、びっくりしたのだ……」


 突然、ヨンが大きなくしゃみをした。


「お、驚かすでない! 心臓が止まるかと思ったのだ!」

「仕方ないんだぞ。こういうのは急に出ちゃうものなんだから」


 それはそうだが、周りが見えない状態でいきなり隣から大きな音が聞こえたら、本当に生きた心地がしないではないか。


「きっと誰かが俺様のこと噂してるんだぞ。どこかの誰かの間でも話題になっちゃう俺って愛されてるんだなー」

「ふん。いい噂とは限らないだろう」


 ヨンの奴、随分と余裕そうなのだ。声から焦りが全く感じられない。吾輩はお腹が空きすぎて、いつか飢え死にしてしまうのでは……と心配でたまらないというのに。

 はあ……誰でもいいから早く助けに来るのだ。吾輩が監禁されているというのに、何の動きもないなんておかしいではないか。泣きそう……。

 その時、またも唐突にヨンが口を開いた。今度は割と真剣な声で。


「あー……トイレ行きたいんだぞ」

「……は?」


 何だって? 聞き間違いじゃなければ、この状況だとすごくまずい単語が聞こえた気がするのだが。


「だから、トイレに行きたいんだって! もう我慢できない、漏れそうなんだぞー!」

「ええええええ!?」


 嘘だろう!? こんなところで漏らされでもしたら、きっと吾輩の方まで飛んできてしまうではないか。それだけは勘弁なのだー!


「ヨン! お前の名誉と吾輩のためにも、ここは頑張って我慢するのだ!」

「無理だぞ、生理現象なのに! わーん、遠回しに死ねって言われたー!」


 う、ううう……。前が見えないから今ヨンがどんな状態なのか分からないのがもどかしい。

 緊張感が微塵もないから忘れそうだが、念のため言っておくと吾輩とヨンは悪い奴ら(?)に連れ去られ、今は監禁されている状況なのだ。ヨンの声色が普段と大きく変わらないのが、吾輩の不安を多少和らげているのかもしれない。吾輩一匹だけだったら不安と寂しさによる精神的ダメージが大きかったと思うから。


「や、やばい。本当に無理。限界なんだぞ……!」


 別の意味で今ピンチかも。どうすればいいのだ。誰か……誰かっていっても、多分この近くに吾輩たちの味方はいない。そして恐らくどこかに閉じ込められているから、吾輩たちを攫った奴らにも声が届くことはない。本格的にまずいのではないか。せめて歩くことができたらいいのに……。

 ここでふと気が付く。縄で縛られて自由が利かないのは上半身だけであって、後ろ足は動かせるのだということを。となると、歩けるのではないか?

 そうなれば、ヨンにはどこか吾輩から離れたところへ移動して、用を足してもらえば万事解決ではないか! おお、吾輩ってば賢いのだ。自分で言うぞ、誰も褒めてくれないからな。

 早速ヨンに伝える。


「ヨン。いいか、今から吾輩の言うことをよく聞くのだ。お前、上半身は動かせなくても、後ろ足は動かせるだろう?」

「え? まあ、足は動くんだぞ……?」

「ならば吾輩からなるべく離れたところまで歩いて、そこで用を足すのだ。どうだ、名案であろう?」

「前見えないから嫌だ。怖いんだぞ」


 速攻で却下された。この意気地なしめ。なんと情けないのだ。


「怖いだと? そんな理由でお前は排泄を我慢するというのか? 我慢は体に悪いではないか! 一時いっときの恐怖と今後の健康、どっちを優先すべきかは言わなくても分かるだろう?」

「何だぞ、さっきは我慢しろとか言ってたくせに」


 む、むむむ……。ああ言えばこう言うな。吾輩の言葉に素直に「はい」と返事しない奴は嫌いなのだ。従順な奴の方が好きなのだ。


「さっきはさっき、今は今。考えが変わったのだ。いいから、つべこべ言わずに吾輩から離れるのだー!」

「横暴すぎる! なんて態度がでかいんだぞ。この状況で暴君モードになれるなんて、随分余裕そうだな、馬鹿王子」

「お前こそ、こんな時にトイレの心配なんて緊張感がなさすぎるのではないか?」

「それは自然の摂理だから仕方ないんですぅー」

「ちっ。万一漏らして吾輩の方にかかりでもしたら、お前とは絶交だからな!」

「うえー。そんな理由で絶交とか勘弁。結局俺様にどうしてほしいわけー?」


 そんな感じで言い争っていたら、どこかから扉の開く音がした。きっと、いや絶対に吾輩たちを閉じ込めた奴らに違いない。様子でも見に来たのだろうか。徐々に近づく音に、忘れていた緊張感が蘇る。だが隣のヨンは全く気付いていないのか変わらずベラベラ喋っていたので、吾輩は気が気じゃなかった。


「……? どうしたんだぞ、王子。急に静かになったりして」

「馬鹿者、足音が聞こえないのか。奴らが来たのだ!」


 こんな時に大声を出す真似はしない。小声でヨンに注意した。


「えっ、マジか。よっしゃ、トイレ連れてってくれねーかな」


 何が「よっしゃ」だ。何故喜ぶのだ。もっと焦らないか、お馬鹿め。

 状況にふさわしくない能天気なヨンの声に苛立ちが増す。ずっとずっと思っていたが、縛られ、目隠しをされ、閉じ込められた状態なのにヨンは最初からずっと焦っていなかった。それどころか、どこかこの状況を楽しんでいるようにさえ感じられる声音に、吾輩はやっと疑問を抱く。知らない場所、知らない奴らに捕まったのに、怖くないのか? 不安じゃないのか?

 その時、吾輩の頭上から声がした。奴らのうちの一匹だと分かった。


「どうなってるかと思って様子見にきたけど、随分楽しそうだにゃあ? 扉開けた途端、お前たちのギャーギャーうるせえ声が聞こえてきたけど、今の状況分かってんのか?」

「そんなことよりトイレ行きたい。連れてってほしいんだぞ」


 そんなこと!? そんなことだって? ここまできてもマイペースかつ恐れ知らずなヨンの発言に、吾輩は開いた口が塞がらなかった。


「はあ? こんな時にトイレだと?」


 案の定、呆れたような、苛立っているような声をかけられる。吾輩は冷や汗が止まらなかった。一方的に吾輩たちを攫って監禁するような奴らが、こちらの要望など聞いてくれるわけもないだろうに。


「そんなのそこら辺で適当にすりゃいいじゃねーか」


 さっきとは別のにゃんの声がした。


「俺は別にそれでもいいんだけどさー、それだとホン王子がすごい嫌がるんだよねー」


 間延びした話し方で答えるヨンにむっとなる。その言い方では、まるで吾輩だけがわがままを言っているみたいではないか。


「それにここって、きっと密室だろ? 臭いが籠るのは嫌だなー。この先お前らが何時間も俺たちを閉じ込めておくつもりならさ、耐えられないんだぞ」


 駄目だ。やはり冷や冷やする。一体ヨンは何がしたいのだろう。そんな腹の立ちそうな喋り方をして、奴らを怒らせたいのだろうか。見えないから、余計に怖い。今、奴らがどんな顔をしてヨンの話を聞いているのか。どうか、どうか命だけは助かりますように。


「はっ。だーれがお前らの言うことなんか聞くもんか。あのな、お前らはにゃんじちなんだよ。自由を与えるわけねーだろ」

「まあ待て。いいよ、トイレぐらい好きにさせてやっても」


 ヨンの頼みを断ろうとする一匹と、それを制する一匹。先に発した一匹が、止めた方のにゃんに抗議する。


「ラム、でもっ……」

「ただし目隠しは外さないし、縄も解かない。いいからさっさとこいつを外に連れてってやれ。でも絶対に目え離すんじゃねえぞ。逃げ出したりしないように、しっかり見張ってな」

「……分かったよ。お前がそう言うなら」


 何だ? 一方のにゃんがもう一方に命令をしている……? 奴らの中にも明確な上下関係があるのだろうか。ラム、と呼ばれていたな。そいつがここのボスなのか?


「ほら、早く立て!」

「いてて、引っ張るんじゃねえんだぞ! わーん。優しくしてー」

「ふざけたこと言ってないでさっさと歩けよ!」

「うわー、こえーんだぞー。ホン王子助けてー」


 そうしてだんだんとヨンの声が遠くなっていった。

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