第19話
「栄養失調だすね。こんなに瘦せ細って……きっとろくに食べてなかっただすよ」
ベッドで眠る一匹のにゃんを見つめながらミンが言った。
病院の前で倒れていた時には分からなかったが、汚れていた体を綺麗に洗ってみたら現れたのはとても美しい真っ白の毛並みだった。そして美しいのは毛並みだけじゃなく、その顔立ちも目や鼻のパーツがバランスよく配置され、眠っていたって分かるほどに整っていた。ただ一つ気になるのは、顔の左側に赤い大きな痣があること。誰かに襲われたのか分からないが、見ていてとても痛々しい。
「綺麗なシロネコ族ですね。ここまで美しい白い毛並み、私初めて見ましたよ」
すやすやと眠るにゃんを見て、サンがぽつりと呟いた。
どうやら美しいと感じたのは僕だけじゃないようだ。そのにゃんの毛は、例えるなら青い空に浮かぶ真っ白な雲のように汚れない美しさで。倒れていた時の身なりはぼろぼろだったが、きっとそれなりに良い身分のにゃんであることは間違いないだろう。
どうしてあんなところに倒れていたのかな……。
その時、眠っていたにゃんの耳がぴくりと小さく動いた。それからゆっくりとその目が開かれる。
「ん……?」
辺りを確認するように、そのにゃんは頭を左右に動かす。まだ自分の置かれた状況が分かっていないのか、その顔は戸惑っているように見えた。
無理もないよね。目が覚めたら大勢の知らないにゃんに囲まれているなんて、きっと怖くてたまらないはずだ。
「あ、起きタ! ハロー、ここどこだか分かル?」
「ひっ……」
僕が目覚めた時と同じように、ユンがそのにゃんの顔を思いっきり覗き込む。
やめてあげて! 怯えているよ! 病院だから大きな声で注意できないけれどね!
「うわー! やめるだす。何やってるんだすか、怖がってるだすよ!」
ミンが慌ててユンをそのにゃんから引きはがすも時すでに遅し。そのにゃんは布団を頭まで被ったまま出てこなくなってしまった。しかもぶるぶると震えている。可哀想に。
「何って目覚めの挨拶ヨ。挨拶大事ネ」
間違っちゃいない。間違っちゃいないけれどさあ、距離感よ……。
「私も彼と初めて会った時、初手からあのテンションでしたからね」
溜息をついた後、呆れたようにサンが呟いた。
マジですか。それは強い。でも確かにこの前ミンの家で会った時も、めちゃくちゃグイグイこられたなあ、僕……ってそんなこと今はいいんだよ。
まずはあの震えている白いにゃんをどうするか考えないと。目が覚めたらなるべく刺激しないように、怖がらせないように接してあげたいと思っていたのに、ユンのせいで僕の計画は初手からぶっ壊された。どうしようか。このままではまともに話ができる状態になるまで時間がかかる気がするが……。
「ははは。いやあ、びっくりさせてごめんだす。でももう怖がることはないだすよ。おいらたち何もしないだすから」
未だ布団の中から出てこないにゃんを安心させるよう、努めて優しくミンが声をかける。するとその声にやっと安心したのか、警戒しながらもそっとそのにゃんが顔を出した。その綺麗なブルーの瞳は少し潤んでいるように見える。
「あ……えっと……た、助けてくれた、のか?」
小さくて若干震えた声だったが、それでもそのにゃんの声は僕にしっかりと聞こえた。
「うん。病院の前で倒れていたから放っておけなくて……。あ、僕の名前はソンです」
「おいらはミンだす。一応ここの院長の息子だす」
それから続いて残りの三匹もそれぞれ自己紹介をしていった。
「な、なるほど。そなたたちはみんな王宮で働いている者なのか。……ああ、申し遅れた。
そう言ってそのにゃん……カンさんはぺこりと頭を下げた。いつの間にか警戒心は解かれていたのか、普通に話してくれているみたい。
「つかぬことをお聞きしたいのですが、何故あのようなところで倒れていたのですか?」
唐突にサンが切り出した。それは僕も、そしてきっと他のみんなも気になっていたことだろう。
「うむ……実は我もそなたたちと同じように王宮で働いているのだが、それと同時に自分探しの旅もしていてな。しばらく王宮から離れていたのだよ。それで数週間……いや数カ月だったかな? 久しぶりに王宮へ戻ろうと向かっていたのだが、ろくに食べていなかったせいでついに力尽きてしまった……とまあそういうわけだ。多分」
「多分って……。はっきりしない言い方だすねえ」
「すまない。疲労と空腹で記憶力も曖昧になっているようだ」
ミンの指摘に、カンさんは申し訳なさそうにうなだれた。話を聞く限りなんだか複雑な事情を抱えていそうだ。
それに気になったこともある。カンさんは自分も王宮で働いていると言ったけれど、思い出す限り僕は彼女と会った記憶がない。こんなに綺麗なにゃんなら一度目にすれば忘れるはずないと思うんだけど……。
「あのう……王宮で働いているって、一体何の仕事をしてるんですか?」
気になったのでつい聞いてしまった。あまり触れられたくないことだったらどうしようと思ったので、念のため「話したくなかったら無理に言わなくても大丈夫ですけれど」と付け加えておく。しかしカンさんは小さく頭を振ってから「構わない」と続けてくれた。
「我の仕事は国王陛下に神の声を伝える預言者だ。少し特殊な立場にあるが故、貴方がたと実際にお会いするのは初めてかもしれないな」
預言者……。この国にそんな大層な職業あったんだね……。
僕が感服のあまり声を出せないでいる間に、サンがカンさんに疑問を投げかけた。
「実際に会うのは初めて? その言い方ですと、面と向かって会ったことはないがすでに面識はあったということですか?」
「ああ……実は同じく王宮で働いている友達がいてな、彼から貴方がたの話は何となく聞いていたんだ。だから貴方がたは知らないと思うが、我は一方的に貴方がたの存在は知っていたよ」
するとサンは納得したように頷いた。
「そういうことでしたか。ではその友達というのも預言者なのです?」
「いいや。友達は第二王子の専属シェフをしているよ」
へえ。そうなんだ……ってちょっと待って。第二王子の専属シェフだって? 僕、覚えがあるんですけれど。ていうか思い当たるの一匹しかいないんですけれど。
「あの、もしかして……友達ってクロネコ族だったりしますか?」
僕が震える声で尋ねればカンさんはこくりと頷いたので、さらに質問する。
「それじゃあひょっとして、名前はヨンって言ったりする……?」
「おお、よく分かったな。その通りだ」
うーん、やっぱり! まさかと思うことって大体当たるんだよなあ。でも見た感じ大人しそうなカンさんがやんちゃなヨンと友達だなんてにわかには信じられない。もしかしたらカンさんは僕が思っているよりうるさいというか明るいにゃんなのかもしれないけれど。見た目の印象だけじゃ分からないことってあるよね。
「名前を聞いて納得したよ。貴方がサンか、と。ヨンから聞いていた印象のとおりだった」
「……奴は私のこと何て言っていたんです?」
「確か、真面目な優等生って感じでつまらない奴だと……」
「はい!? それってつまり私がこの中で一番つまらない奴に見えたってことですか!?」
「いや、え、そういうわけじゃ……」
サンに大声で詰め寄られ、カンさんはおろおろしている。そこへミンがサンを落ち着かせるように彼の肩をポンと叩くと優しい口調で口を挟んだ。
「まあまあサンさ、落ち着くだすよ。そういう意味で言ったわけじゃないと思うだすから……で、おいらのことは何て言ってただすか?」
「えっと、ちょっと変態でポンコツなヤブ医者……」
「…………ふん」
あらら落ち込んじゃった。でもここまできたら僕も何て言われたのか気になるなあ。今の流れ的に百パーセントいいこと言われていない気がするけれど、でも好奇心には勝てない。
「じゃあじゃあ、僕のことは何て言ってたんですか?」
「なんか気弱で不憫な奴……」
聞かなきゃよかった。
「ミーは? ミーのことは何て言ってたんダイ?」
「えっと……そちらの二匹は名前を聞いてもぴんとこなかったんだ。完全に初めましてだな」
そちらの二匹、と言ってカンさんが示したのはユンとジョン。言われてみればこの二匹がヨンと関わっているところってあまり見たことないかも。ジョンは基本的に身を潜めているし、ユンは詳しくは知らないが生活のために副業をしているらしく王宮にいないことも多いからかな。
「……っていうかそれで思い出したんですけれど、そういえばヨンさんの姿が見えないのですが奴は一体何をしているんですかね?」
サンに言われて確かに、と気づく。それにジョンが答えた。
「さあ? きっと今頃、王宮でのんびり過ごしてるんじゃないっスか? ホン王子の危機も知らないでしょうし」
「ホン王子の危機……?」
カンさんがキョトンとした顔になる。
しまった。王宮の関係者と言ってはいたが、素性の怪しいにゃんの前でこの話題を出してもいいのだろうか。
「何かあったのか? それともあまり詳しく聞かない方がいいだろうか」
カンさんに問われ、僕たちは顔を見合わせる。ヨンの友達っていうのが本当ならば悪いにゃんではないのだろうけれど、カンさんの言ったことを全て信じ切れるほどの証拠がないので迂闊に話していいものか迷ってしまう。どうしようかと戸惑いなかなか言い出せずにいる僕らの中で、一番最初に口を開いたのはジョンだった。
「カンさん。貴方、口は堅い方ですか?」
「? ああ、まあにゃん並みには。秘密は守るよ」
「ちょっ……ジョンさ、話すつもりだすか? まだこのにゃんが信用できるにゃんなのかはっきりしないのに……」
不安げな声で止めに入ったのはミンだ。しかしミンの心配そうな表情を見ても、ジョンの様子は落ち着いたままだった。
「大丈夫っスよ、この方も一応王宮の関係者と言っているんですから。それにもし情報を口外するようなことがあれば、その時はボコボコにすればいいだけの話です」
わあ。さらっと怖いことを口にしたよ。心なしかカンさんが震えたように見えたけれど、きっと気のせいじゃないね。
「とまあ冗談はさておき、実はホン王子がスニャム街近くで誘拐されたんスよ。それで自分たちは今から王子を助けに行くところだったんです」
ちょっと、そんなに話して大丈夫なの? ただ一言「王子が誘拐されました」とだけ伝えるものかと思っていたのに。そりゃあジョンは力に自信があるみたいだからいいよ。もしカンさんが騒ぎを広めて国中に混乱を招いたとしても、力づくで阻止すればいいだけの話だからね。
「スニャム……」
何かを確かめるように、ぽつりとカンさんが呟いた。顎のあたりに前足を当て何やら考え込むカンさんの姿を見て、サンが彼女に問いかける。
「何か心当たりでもあるんですか?」
「……ああ、まあ。スニャム街には何回か訪れたことがあって、そこで暮らす者たちとも話をしたことがあるんだが、今日を生きるので精一杯というような者ばかりだったからな。みな少なからず王族や貴族に不満を持っていただろうし、王子殿下を誘拐したとしても不思議ではないだろうと思って」
スニャムを何度か訪れたことがある……?
それじゃあカンさんは、少なくとも僕たちよりはスニャムについて詳しいっていうことだよね。まさか実はスニャム側の味方だったりして……。
「それってスニャムの者と繋がりがあるってことですか? 貴方、まさか誘拐犯たちの仲間とは言わないでしょうね……!?」
僕が一瞬心の中で思ったこと、サンも同じように考えていたらしい。ぎろり、と鋭い目つきでサンが睨めば、カンさんは大慌てで頭を振って否定する。
「いや、それは絶対にないよ。誘拐の件だって今聞いて知ったんだから……」
「ほう……それ、本当ですか?」
サンの目つきはまだ変わらない。
「本当だ。何ならそなたたちに協力する。王子殿下の救出に向かうというのなら、我も連れて行ってはくれないか。もし本当にスニャム街のどこかで捕まっているとしたら思い当たるところがあるんだ」
何だって? 思い当たるところがある……?
このカンさんの言葉には僕たちみんなが反応した。
「それ、どこなんですか? 一緒に連れて行きますから教えてください!」
今すぐ知りたい、という気持ちが先走ってしまい、カンさんに掴みかかりそうな勢いで聞いてしまった僕をミンが宥める。
「ソンさ落ち着いて、怖がってるだすよ」
「……あ。ご、ごめんなさい」
ミンに指摘されて、カンさんが少し怯えた目で僕を見ていることに気づく。怖がらせるつもりはなかったのに、僕のお馬鹿。
「大丈夫だよ、謝らないで。あ、それでその場所っていうのは倉庫なんだ。随分古い建物な上にスニャム街の北の奥にあるから、あまりにゃんが近寄らない。閉じ込めるにはうってつけの場所だと思うんだ」
なるほど。聞いただけでも嫌な感じがプンプンする。
「じゃあ、きっとそこに王子サマがいるかもしれないんだネ!?」
ユンが興奮気味に問う。
「あくまで可能性の話だがな。みながよければ、我が道案内をしよう。大体の行き方は分かるから」
「オー! ミーは全然ウェルカムヨ。嬉しいネー、ありがとネー!」
いや受け入れるのはっや。ユンには
「ちょっとユンさ、簡単に受け入れすぎだす。もしかしたらこれは罠かもしれないんだすよ? 王子の居場所を教えるフリして、おいらたちを倉庫に閉じ込めるつもりじゃ……」
一方、ミンはどうやらまだ疑っているみたいである。全く対照的な二匹だ。
すると、そんな彼に続いてサンも口を開いた。
「はあ。ここにヨンさんがいたら、この方が本当に信用できるかどうか証明できるんですけれどね……」
「でも、正直ヨンさんの友達って嘘つくメリットなくないっスか? ホン王子の友達だって言うんなら分かりますけど、一介の使用にゃんでしょ、その方」
サンの言葉に対して、ジョンが横から冷静に指摘する。確かに、もしもカンさんが僕たちを陥れるために嘘をついているのだとしたら、わざわざヨンの名前を出す意味はないのかもしれないけれど。
その時、ぽつりとカンさんが呟いた。
「まあ、信じるも信じないもそなたたちの自由だが……殿下を助けたいという思いは我も同じなんだがな」
悲しそうな声だった。嘘をついているようには聞こえない。疑り深い僕らで申し訳ない、という気持ちになってくる。
「……まっ、まあ騙されていたらその時はその時ってことで! とりあえず信じて、ついて行ってみるしかないでしょ。ここでうだうだ言ってても何も始まらないしね」
思い切って僕が言うと、もちろんみんなの視線は僕に集中するわけで。
「こいつ、正気かよ」とでも言いたそうに目を見開いて驚き固まるミン。そうこなくっちゃ、と嬉しそうなユン。眉間に皺を寄せ渋い顔をするサン。変わらず淡々とした様子のジョン。そしてほんのり嬉しそうな表情に変わったカンさん。
「ソン殿、ありがとう……」
しかしやっぱり未だにためらっているのはミンだった。
「いやまあ気持ちは分かるんだすよ? でも証拠が……」
いつまでも渋るミンに痺れを切らしたのか、ついにユンが叫んだ。
「モー、グチグチうるさいネー! 証拠どうこうよりも、まずは王子サマの命を優先するべきデショー! 何だヨ、この意気地ナシ!」
「いっ……意気地なし、だすか……!?」
「そうだヨ! そうやってもしものことばっか気にしてたら、いつまでたっても前に進めないじゃないカ。王子サマのこと心配じゃないのカイ!?」
「う……。お、おいらだって……おいらだって心配に決まってるだす! 分かっただすよ、もう覚悟決めただす。騙されていたら、その時はその時。このにゃんについて行くだす!」
おお。ついにミンも決心してくれたみたい。さすが、ユンはミンのやる気を出させるのが上手なようで尊敬。
「そしたら早速案内お願いします……って言いたいところだけど、カンさん大丈夫? 動けますか?」
先程まで栄養失調で行倒れていた方だ。今こうして平然と喋ってはいるが、すぐに動けるまで回復したとは限らない。心配もあったので確認のために僕が聞くと、返事の代わりにぐうっと大きな音が鳴った。
「……す、すまない。少しお腹が空いている、かも……」
恥ずかしさからか真っ赤になってしまった顔を両前足で覆い、カンさんは控えめに答えた。
「ちょっと待っててほしいだす。何か消化にいいご飯持ってくるだすよ」
すぐに動いたのはミンだ。カンさんのことをすごく疑っていても、仕事となるとちゃんと対応してくれるのだから、何だかんだでいいにゃんなんだよね。
そうしてカンさんのお腹が満たされた後、僕らは王子の救出に向けてようやっと動き出したのだった。
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