第2章 ホン王子、誘拐される

第13話 ソンside

 それはとても晴れた日の穏やかな朝だった。窓から差し込む光を見ながら王子が呟いた。


「今日は絶好の散歩日和なのだ」


 僕は耳を疑った。まさかあの出不精王子が散歩日和とか言い出すなんて。

 基本的に王子は式典だったり何かの公務の時以外は滅多にどこかへ出かけようとはしない。警戒心の強さから、大勢のにゃんの前に出たり見知らぬにゃんと会うのをひどく恐れているからだ。そんな王子が自ら散歩に行きたいと言うならば、驚くに決まっている。


「王子……お散歩に行きたいのですか……?」


 恐る恐る聞くと、王子は元気よく頷いた。


「うん! なんだか外はぽかぽかしてて気持ちよさそうなのだ。こんな日に日向ぼっこできたら絶対に幸せに決まっているのだー」

「はあ、なるほど。まあ確かにお気持ちは分かりますが。でもそうなったら護衛をつけなければなりませんよ、僕も同行いたします」


 すると王子の顔がパアッと輝く。全く、本当に年の割に無邪気なお方だ。


「そうと決まれば出かける準備をするのだ。ジョンを呼べ!」


 王子が前足を叩くと、どこに潜んでいたのか上から一匹のにゃんが降ってきた。


「お呼びでしょうか、ホン王子」


 彼は王子のボディガードをしている白黒ハチワレのジョン。たくましい体つきに目にはサングラス、加えて常に眉間に皺を寄せていて怒ったように見えるので、どこか近寄りがたい雰囲気をしている。現に僕は、もうジョンに出会って半年は経つというのに未だに話しかけるのが怖かったりするのだ。

 いきなり天井から降って湧いたように登場したジョンに、王子は小さく悲鳴を上げた。


「うわっ! お前、一体どこから出てきたのだ。びっくりするではないか!」

「すみません、驚かすつもりはなかったのですが。自分、いつ何が起こっても対応できるよう、天井に張り付いてホン王子を見守っていたっス」

「そ、そうなのか。ありがとう……」

「いえ、これが自分の仕事なんで。それよりもご用件は何なのでしょう?」

「あ、そうだった。今から散歩に行くから吾輩の護衛を頼むのだ」

「御意」


 そうして出かける準備が整うと、僕とジョンと共に王子は散歩に出かけたのだった。



 外に出てみると太陽の光が直に当たって眩しい。本当にいい天気だ、少し暑いくらいに。

 そういえば王子はどこに行くつもりだろう。日向ぼっこはしたいとおっしゃっていたが、具体的にどこに行きたいかまでは聞いていなかった。


「王子、どこか行きたいところでもあるのですか?」


 試しに聞いてみたら、王子はふるふると頭を振った。


「特に決めてないのだ。いい天気だから、ただ散歩がしたくなっただけなのだ」

「そうでしたか。これは失礼いたしました」


 どうやら愚問だったみたい。変なこと聞いちゃった。珍しいこともあるものだけど、でもたまにはこんな日があってもいいのかもしれない。にゃんだふる王国の穏やかで美しい景色を眺めながら、目的なくのんびり歩く。何とも素敵なことではないか。そよ風が吹き、心も晴れ晴れ。ゆったりとした時間が過ぎていく。

 しばらく歩いていたのだが、ふと僕と共に王子の少し後ろを歩いていたジョンが険しい顔をして立ち止まった。一体何があったのだろう。


「失礼ですがホン王子、これ以上西の方へは行かない方がいいかと思われます」

「む、何かあったのか?」

「……王都の西側にはスニャム街があると言われてます。あそこは治安が悪いようですし、あまりいい話を聞かない。引き返した方が安全かと」


 ジョンの言葉に、それまでご機嫌で歩いていた王子の顔が強張る。

 スニャム街……僕も名前は耳にしたことがある。貧困層が集う街と言われていて、毎日のように盗みや殺しが行われているとかいないとか。僕も実際に行ったことはないので、こんな穏やかなにゃんだふる星に治安の悪い場所があるだなんて正直信じられなかった。王子も勉強はしているから、スニャム街に関する噂はきっと知っているはず。


「そうか……。今日はいつもあんまり行かないようなところを探検したかったのだが、父上からもあまり西の方へは行くなと言われていたし仕方ないのだ。戻るのだ」


 そう言った王子の顔は少し残念そうに見えた。しかし身の安全の方が大事だと理解したのか、珍しく駄々をこねずあっさりとジョンの忠告を受け入れたようだ。「それでは戻りましょうか」と僕が言って、もと来た道を引き返そうとした時だった。


「うにゃー!」


 突然、一匹のにゃんが唸り声を上げて襲いかかってきた。


「うわあ、何なのだ!?」


 咄嗟の出来事に困惑した僕だが、すぐに王子を守るように前に出る。襲ってきたにゃんをジョンが押さえつけた。


「放せ! 放せー!」


 そのにゃんは悔しそうに叫ぶ。雑種と思われる、薄汚れた毛のみすぼらしいにゃんだった。スニャムのにゃんだと、理由は分からないが、僕は一目見て確信した。


「暴れるな! 殿下に危害を加えようとした野蛮なにゃんめ!」


 押さえられてなお激しく暴れようとするにゃんを、ジョンが強い口調で非難した。


「うるさい! 全部お前たちが悪いんだ! うにゃあああ!」


 そうやってしばらく喚き続けたにゃんだったが、突如大人しくなったかと思ったら次の瞬間にはにっと口角を上げて笑ってみせた。その笑みはとても気味悪く、僕はぞっとなった。


「へっ。俺一匹だけだと思うなよ。後ろに気をつけるんだにゃ」

「後ろ……?」


 僕が呟いたと同時、背後から何者かに後頭部を強く殴られた。同じようにジョンも殴られ倒れこむのがうっすらと見える。


「ソン! ジョン! わっ、何をするのだ、お前たち! 放すのだー!」

「お……う、じ……!」


 薄れゆく意識の中、僕は王子に向かって必死に前足を伸ばす。意識を失う直前、どこかから聞き覚えのある声がした気がした。


「――放すんだぞ!」

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