第5話

 で、結局王子が目覚めたのは倒れてから二時間後のことだった。


「……はっ! ここはどこなのだ?」

「お目覚めになりましたか」

「サン、吾輩は一体……?」

「気絶したんですよ、あの手紙を読んで。全く、誰がここまで運んであげたと……」

「え? ……あ、ここは吾輩の部屋ではないか! まさかサンが運んでくれたのか?」

「他に誰がいるんです」

「サンって何だかんだ優しいのだな」

「!?」


 不意打ちで何を言うんですか、この王子は。ていうか優しいも何もないでしょう。目の前で倒れられたんですから、助けないという選択肢がない。当たり前のことです。


「それにしてもサンって意外と力があるのだな、ひょろひょろしてる見た目のくせに」

「はい? もう一度眠りにつきたいですか?」


 珍しく良いこと言ったと思ったら次の瞬間にはこれですよ。上げて落とすタイプですか、そうですか。ふん、まだお礼の一つも聞いていませんし。やっぱり王子、私のこと嫌いですね。


「冗談なのだ、ちょっとびっくりしただけなのだ。感謝してるよ。吾輩をここまで運んでくれてありがとうなのだ」

「! ま、まあにゃん助けなんて当然のことですし、別にお礼を言われるほどじゃないですよ。そもそも私はけ……」

「け?」

「……はっ、な、何でもありません。少々喋りすぎました」

「?」


 いけない。私としたことが感謝の言葉を述べられた嬉しさのあまり、つい勢いに任せて余計なことまで口走りそうになってしまった。王子は、急に饒舌になった私を見て、顔にはてなマークを浮かべている。

 その時、グルルルル、とまるで怪物の鳴き声のような音が部屋に響き渡った。何事かと思えば、それは王子の腹の音だった。


「は、恥ずかしいのだー……」


 何故照れる。

 王子は恥ずかしさからか顔を前足で覆い隠してしまった。しかし王子の空腹は仕方のないことなのである。何しろ昼食を食べる前にぶっ倒れたのだから。つまり朝食後は何も口にしないまま今に至るのだ。


「何も恥ずかしいことではないでしょう。待っててください、今ヨンさんを呼んできます」

「ううう、頼むのだ……」


 私が部屋を出ようとしたその時、こんこんと扉をノックする音がした。


「誰です?」

「天才シェフのヨン様だぞ。ホン王子目え覚めた?」


 なんとタイミングのいい。呼ぼうと思っていたら向こうから来てくれたようです。私が扉を開けると、お盆に温かいスープを載せたヨンさんが立っていた。


「ちょうどよかったです。今呼びに行こうかと思っていたところでした」

「本当か? さすが俺様、タイミングも完璧なんだぞ」

「自分で言ったら台無しのような気がしますが……。とにかくありがとうございます」

「まあホン王子のでかい腹の音が外まで聞こえたからな。はい、魚介スープなんだぞ」


 なるほど、そういうことでしたか。一体どれだけ大きな音だったのでしょうね。


「あ、ありがとうなのだ……」


 当の本にゃんは羞恥ですっかり大人しくなってしまっている。ヨンさんからスープを受け取る時も、一度も目を合わせようとしなかった。


「で、何があったんだぞ?」


 王子がスープを美味しそうに飲んでほうっと息を吐いたタイミングで、ヨンさんが興味深げに聞いてきた。


「いつも『お腹空いたのだー』ってうるさいホン王子が十二時になっても食堂に来なかったから、何か変だなって思って」


 話していいものだろうか。ひっそり消えたソンさんのためにも、あまり大事にはしたくないのだが。ヨンさんはけっこう口が軽いから、べらべらと話して周りに広めてしまうのではないかと不安になるし、正直当事者ではない私の口から事情を説明するのは憚られた。


「さあ? 私からは何とも言えません」

「はー? 何なんだぞ。それ絶対知ってるんだぞ。もういい、ホン王子、教えてほしいんだぞ」


 ヨンさんは私に聞くのを諦め、王子の方を見る。王子は名前を呼ばれた瞬間、びくりと体を震わせた。事情を話すかどうか、それを決めるのはソンさん失踪に直接関係のある王子だ。さて、王子はどうするのでしょう。


「ソンが……いなくなって……この手紙が置いてあったのだ。それで吾輩、これを読んでちょっとびっくりして倒れちゃったのだ……」


 ぽつりぽつりと王子が話し始めた。私は少し驚いた。王子は元来その警戒心の強さから、あまり自分や関わるにゃんのことを積極的に話したがらないものだと思っていたから。相手が気心知れないヨンさんだからだろうか。


「手紙? 一体何が書いてあったんだぞ。ていうかソンくんいなくなったの? まさかついに育児に嫌気がさして逃げ出したのか? にゃははっ!」

「ヨンさん!」


 さすがにそんな言い方はないだろう。確かに育児と言われても仕方のないくらいに精神的に幼くてどうしようもない馬鹿王子だが、ショックを受けているにゃんに追い討ちをかけるようなことを言うなんて。

 案の定、王子の耳はへにゃんと下がり、目には涙が溜まって今にも泣き出しそうになっていた。


「育児……嫌気……」

「おおお王子! そんなわけないと思いますよ! 手紙にもほら、面倒を見るのが嫌で逃げたかったわけじゃないって書いてあるじゃないですか!」

「へっ、手紙に書いてあることなんて、所詮ただの気休めだろ。絶対本心じゃないんだぞ」

「何なんですか貴方さっきから! 曲がりなりにも我々の主ですよ? ちょっと黙っててください!」


 ああもう、何だこの状況は。王子は泣きそうだし、ヨンさんは無礼だし。駄目だ、私一匹では荷が重い。


「ソンさん……助けて……!」

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