第4話 サンside

 やっと終わった。本当に疲れた。自室に戻り、椅子に座り込む。しばらく動ける気がしない。肉体的にというか、精神的に疲れた。毎度毎度のことながら、あの王子を相手にするのはとても体力を使う。半日同じ空間にいるだけでもしんどいのだ、常に近くにいるソンさんはきっともっとしんどいはず。それなのに毎日弱音も吐かずにお世話係としての業務を全うしているなんて、本当に尊敬する。



 あんな王子でも、実は出会ったばかりの頃は割と真面目に勉強してくれたのだ。それがいつからかあんな調子になってしまった。ソンさん曰く「心を開いてくれた証拠だよ」とのことらしいが、正直ちっとも嬉しくない。あんな馬鹿王子が本来の姿なら、まだ警戒されながらも大人しく勉強してくれていたあの頃の方がよかった。



 それにしても……ソンさんは大丈夫だろうか。探ってほしくなかったようだし平気なふりをしていたけれど、あれは明らかに無理をしていた。彼自身が気づいていたか分からないが、顔もやつれていたし。ま、本にゃんがいいなら私が心配する必要ないですけれどね。


 気分を落ち着かせるために白湯を一口啜り、ほっと息をつく。ふう。やはり五十度くらいが適温ですね。そろそろ昼食の用意ができただろうか。動きたくないと思っていても空腹には勝てないもので、よいしょ、と重い腰を上げて椅子から立ち上がった。


 その時、ドンドンと勢いよく部屋の扉が叩かれた。誰だか分からないが、扉が壊れるかもしれないのでやめてほしい。


「誰ですか?」


 私は苛立ちを隠さず、扉の向こうの者に問いかけた。


「開けるのだ! サン、今すぐ部屋を開けてほしいのだ!」

「え、ほ、ホン王子? どうしてこちらに? 昼食の時間じゃ……」

「いいから開けるのだ!」


 全く、解放されたと思ったのにどうして……。とはいえ声色から王子が焦っていることが伝わってきたので、仕方なく鍵を外して扉を開けた。


「何なんですか、一体。他にゃんの至福の時を邪魔しておいて……」

「ソンがいないのだ!」

「……は?」


 全く状況が理解できない。いきなり私の部屋に入って来たと思ったら、第一声がそれか。


「何故、そう思ったのですか」

「来ないからだ。吾輩が呼んでも来ないからなのだ。いつもならソンって呼んだらすぐに来てくれるのに、今は呼んでも来なかったのだ。反応すらないのだ。もう五分経ってるのに!」


 たった五分ではないか。なんと大袈裟な。というかこの王子、やはりソンさんのことを都合のいい玩具か何かとしか思っていないのではなかろうか。そんなのあまりにもソンさんが哀れだ。報われなさすぎる。


「つまり呼んでも姿を現さなかったから、いなくなったのだと言いたいのですね。実際にソンさんの部屋は確認したんですか?」


 すると王子はふるふると頭を振った。

 はあ……まさか自分の元に五分以内に来なかったからというだけで、ソンさんはいないものだと決めつけたのか。何という自分勝手馬鹿王子なのだろう。怒りを通り越して呆れてしまう。


「あのですね、王子。五分そこらで来ないからっていなくなったと抜かすのは早計すぎるのでは? たまたま近くにいなかったから王子の声が聞こえなかった、という可能性もあるでしょう?」

「でも……じゃあどうして吾輩のお世話係なのに近くにいないのだ。吾輩に何かあったらどうするのだ!」


 おやまあ、なんとどこまでも自分本位な王子だこと。結局彼は、いなくなった(と思い込んでいる)ソンさんの安否を心配しているわけではない。ソンさんという、自分の願いを何でも叶えてくれたり甘やかしてくれたりする存在がいなくなることで、自身が自由に振る舞えなくなってしまうのではないかを心配しているのだ。


「とりあえずソンさんの部屋に行きましょう。もしかしたら、疲れて眠っている可能性もありますからね」

「何に疲れるのだ?」

「……はあ」



 ソンさんの部屋の扉をノックする。しかし返事はない。そのうえ物音一つしない。妙だ。

 私は王子と顔を見合わせた後、先程より強くノックをしてみた。が、やはり結果は同じだった。


「ソンさん? 大丈夫ですか?」


 やっぱり返事はない。まさか、本当に……?

 ドアノブに前足をかけると、すんなりと扉が開いてしまった。鍵がかかってないなんて不用心すぎる。だがそれもそのはず、室内には誰もいなかったのだ。


「やっぱり吾輩の言ったとおりなのだ、ソンいないのだ」


 王子はほら見ろ、と言わんばかりにじっとりとした目つきで私を見る。しかしそれでも、私はまだ認めたくなかった。室内にはいなくても、この王宮のどこかには絶対いるはず。馬鹿王子の主張が正しくて私が間違っているなんて、そんなの私のプライドが許せなかった。


「ん? 何なのだ、あれは」


 塵一つなく綺麗に整頓されたソンさんの部屋。だからこそ妙に目立つ、ベッドの上にぽつんと置かれた一枚の紙。それを王子が前足で取った。


「ふんふん、何々……『ホン王子へ』、ん? 吾輩宛てのお手紙か?」


 そこに書かれていた内容はこのとおりだった。


「ホン王子へ

 まず一言、謝らせてください。ごめんなさい。弱い僕は貴方に直接告げる勇気がないため、こうして手紙という形での報告です。訳あって、僕はしばらくの間王子のお世話係をお休みさせていただくことになりました。詳しくお話することはできませんが、簡潔に言うと、僕は病気です。完全に、とまではいきませんが、治るまでは王宮を離れて治療に専念するつもりです。主である貴方に何も言わず、一匹でこのような決断をしてしまった僕は、とても身勝手で情けない従者であることでしょう。申し訳ございません。ですがこれだけは信じてください。決して貴方の面倒を見ることが嫌になり、逃げたかったわけではないということを。いつになるかは分かりませんが、必ずまた戻ってくると約束します。ただ、もし僕が不在の間に貴方が新しいお世話係を必要とした場合には、僕は潔く身をひくことでしょう。貴方の言葉が絶対ですから、僕はただそれに従うのみです。僕のことは忘れて、貴方はいつもどおり過ごしてください。心配しないで。聞かないで。追わないで。これが、僕のわがままです。許してください。長くなりましたが、どうか王子、お元気で。

                  ソン」


 言葉が出ない。手紙に出てくる、ごめんなさい、許してください、といった謝罪の数々。一体ソンさんはどういう気持ちでこれを書いたのだろう。彼の苦しみが文章に表れている気がした。


 さて、この手紙の受け取り主はこれを読んでどう思ったのか。気になって隣の王子を見ると、どういうわけか体が小刻みに震えていた。何だか様子がおかしい。そのうち、つぅっと一筋の汗が彼の頬を滴り落ちた。そして体の震えは弱まることを知らず、どんどん激しくなっていく。


「王子、大丈夫で……」


 私が言い終わるより先に、王子の体はバタンと大きな音を立てて倒れた。


「え、王子? 王子、大丈夫ですか? 聞こえてますか、王子!?」


 返事はない。どうやら気絶したようだ。まさか手紙の内容にショックを受けて気絶したのか? このお方がソンさんをここまで追い詰めたというのに。心配より先に湧き上がってきた感情は怒り、それから呆れ。だがまあ……それも無理ないのかもしれない。王子にとっては、主従関係であり幼い頃からの仲である、最も身近な存在が何も告げずに知らない間に姿を消してしまったのだから。


 それにしてもこの状況どうしましょう。倒れてしまったにゃんの正しい対処方法を私は知らない。


「とりあえず王子の部屋まで運びますか……」


 どこまでも前足のかかる王子だこと。私は深く溜息を吐いた。

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