第1部 親衛隊結成編
第1章 ソン、お世話係を辞めさせていただきます
第1話 ソンside
変わらぬ朝。変わらぬ毎日。何が起きるというわけでもない平和な日々の中、今日も今日とて僕はホン王子のお世話係として奔走していた。
「ソン、喉が渇いたから何か飲み物がほしいのだ!」
「かしこまりました、王子。今すぐお持ちしますね」
いつものように王子からお願いされ、僕はキッチンへ走る。そこで水を汲んでから、再び王子のところへ。あ、ちなみにただの水道水じゃなくて、アルカリイオン水です。さすがにただの汚い水を王族が飲むわけにはいきませんからね。
「お待たせしました、王子。お水でございます」
「ありがとうなのだ!」
僕が水を持ってくると、それを王子は美味しそうに飲み干した。
「はー。やっぱりソンはさすがなのだ。いつも吾輩のお願いを最高の状態で叶えてくれる」
「そんな……滅相もございません」
「本当なのだ。吾輩、ソンがお世話係でよかったのだ。この調子でこれからもよろしく頼むのだ、ソン!」
にこにこ笑顔で満足そうにお腹をさする王子。僕にとっては今の言葉だけで十分だった。普段とてもわがままで、欲望に忠実すぎるがあまり無茶なお願いをされることも多いけれど、この方は感謝の気持ちを忘れない。「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えることは、にゃんとして大切なこと。ホン王子はそれができる。だから僕はどんなお願いをされても、最終的に王子のことを嫌いになれないのだ。
「しばらくは吾輩一匹でも大丈夫なのだ。ソンもいつも一生懸命働いてくれてるから、少し部屋で休むといいのだ」
そんなわけで少しの間、僕はお世話係の仕事を休憩することが許された。大抵の場合王子につきっきりの僕だが、たまにこうして自由時間というか休息を与えられる。あんまり王子にべったりなのも、さすがにしんどいですからね。たまには自分の時間というのも必要なのです。
王国で働いている者たちには、専用の宿舎が用意されている。ほとんどの者はそこで寝食を共にしているが、特に重要な役職に就いている者には王宮内に個にゃんの部屋が用意されている。僕もホン王子専属のお世話係ということで、王宮内に部屋がある。ちなみに隣はホン王子の部屋だ。万が一王子の身に何か起きた場合でも、すぐに駆けつけられるように、というのが理由。
「はあー。やっと休めるー」
部屋に着くなり、僕はベッドに一直線。ボフッとうつ伏せでベッドに倒れ込んだ。この時間だけは王子のことは考えず、自分のしたいことをしよう。と言ってもまだ何をするかなんて決まってないけれどね。何せ呼ばれるのも解放されるのも王子の気まぐれ、この休憩時間もいつ終わるかなんて分からないのだから。
とりあえず、そうだなあ……お腹空いたな……。何か食べようかな。うーん、でもちょっとだけ寝ようかな……。しばらく葛藤する僕だったが、ようやく重い腰を上げてキッチンに向かうことに決めた。よっこいしょと立ち上がって首を回す。その時に視界にちらっと鏡に映った自分の姿が見えた。ベッドの前に置いてある、全身が映るくらいの大きさの鏡だ。特に意識したわけでもなく、ただ何となく視界に入っただけ。それだったのに、その時映った自分の姿を見て、僕は固まってしまった。
「は……え……? 何で……」
禿げていた。背中の毛が、うっすらとではなく、所々で大量に。
「何で何で? 換毛期じゃないのに。ていうか換毛期でもこんな抜け方しないのに!」
あわわわわ。どうしようどうしよう。もしかして、大変な病気? え、僕死ぬの? どうしようどうしよう。何で王子気づかなかった? 気づくわけないか、王子だもんな。僕のことなんて見えてないんだ、自分のことしか見えてないもんなあのにゃんは。
とにかく、こんな状態でゆっくり休憩をとるなんてできるわけがない。原因を解明すべく、僕はあるにゃんの元へ向かった。
王子の目を盗んでやってきたのは病院。お目当てのにゃんはここの院長の息子。そしてホン王子の担当医。
「――で、抜け毛の原因が知りたくておいらのところに来た、と」
「……うん」
すると彼は深く溜息を吐いた。
「あのねソンさ、おいらは内科医なんだすが」
「……だって、どこに行けばいいか分からなかったから。とりあえず知ってるし、話しやすいし、ミンのところでいいかって、思って……」
「語尾がよく聞こえないだすが。はあ……仕方ないだすねえ」
やれやれと彼、ミンは肩をすくめて言った。茶色と白の混じった毛を持つ茶白トラの彼は、僕や王子とほぼ変わらぬ年齢でありながら医者をしているすごく優秀なにゃんなのだ。本にゃんは「自分はまだまだ未熟者」と言っていたが、僕から見ればすごいこと。ちなみに、僕を含めホン王子の側近は同年代の者しかいない。これは、大人だと何かしら悪いことを企んで王子や国王様に近づこうとする者が多いが、僕のような同年代、それも小さい頃からの仲である者ならまだ安全だし王子も気を許せるため、らしい。
「本当は皮膚科に行った方がいいんだすが……」
そう言いつつも、ミンは「特別だすからね」と僕を診てくれることになった。
「ありがとう~」
「まあ病にゃんを見捨てるのは、医者として気分が悪いだすから。それで、いつからこうなったのか心当たりはあるだすか?」
「分からない。そもそも気づいたのがさっきだし……」
「うーん、なるほど……」
ミンはふむふむ、と頷きながら紙に何かを書いていく。
「それじゃあ、毛が抜ける以外に何か体調に変化があったりとかはしただすか?」
「いや、特に変わりないと思うけど」
「そうだすか……」
するといよいよミンの前足が止まった。多分困っているのだろう、僕に自覚症状がないから。何だか申し訳なくなってくる。
「ごめんね、何も分からなくて。役に立たなくて」
「いやいや、気にしなくていいだすよ。それよりソンさ、最後に聞くだすが、最近何か精神的に疲れたなとか感じることはあるだすか?」
「え…………ない、と思う」
それは自分でも驚くほどにあやふやな返答だった。精神的な疲れを感じたことなんて、思い出す限りではないはずなのに。それなのに、すぐに言葉が出てこなかったのは何故だろう。
「なるほど……だすか」
ミンがぼそりと呟いた。しかし何て言ったのかはっきりとは聞こえない。
「ん? 何て?」
「ああ。自覚なしだすか、と」
「へ? ということは、自覚がないだけでやっぱり僕は悪い病気なの!?」
またも不安な気持ちに襲われる。どうしよう、そんなの嫌だよう。よよよよよ……。
今にも涙が出てきそうな僕をミンがどうどう、と宥める。
「落ち着くだす。確かに病気は病気だすが、別に死ぬようなものじゃないだすよ」
「本当……?」
「そうだす。恐らくソンさの毛がないなーいの原因はストレスだす。きっと知らず知らずのうちに負担になってたんじゃないだすか、王子のお世話係とか」
「え……?」
王子のご機嫌取りって神経使いそうだすもんね、とミンはまるで分かったように頷く。でも正直僕はそれどころじゃなかった。ショックだったのだ。物心ついた時からホン王子のお世話係としてやってきて大変なことも多かったけれど、こんなふうに体に変化が出るほど辛いと思ったことはないはずだったから。でも……現に背中が禿げているということは、そういうことなのだろう。僕は心の中では悲鳴を上げていたのかもしれない。それにしても、ここに来るまで全く自覚がなかったというのも恐ろしい。
「僕はこれからどうすればいいの……?」
本当に原因が仕事にあるのだとしたら、僕は一度ホン王子から離れた方がいいのだろうか。でもそうなると王子のお世話係はどうなる? 誰が王子を近くで支えていくことになる?
王子は、あれで実は警戒心が強い。王族という身分のため、幼い頃から地位、名誉、富目当ての欲に塗れた大人たちに囲まれてきた王子は、大人に対する不信感が特に強い。だから彼は自身の周りに置く者を厳選してきて、僕のような同年代の者にしか心を許していないのだ。それが、僕がいなくなったらどうなる? 代わりを見つけるのはきっと難しいだろう。
「できれば悪化しないように、ストレスのかからない生活を送ってもらいたいんだすが。例えばストレスの原因かもしれない王子から少し離れてみる、とか……」
ミンが提案した内容も、僕が考えていたのと似たようなものだった。やはり早く回復するためには原因を遠ざけるのが一番良い方法なのだろうか。だけど……まだホン王子が原因だと決まったわけじゃない。
「そっか。そうだよね。でも……ごめんなさい。それはできない」
「……なるほど、そうだすか」
せっかくの提案を蹴ったというのに、意外とあっさりミンは受け入れてくれた。まるで僕がこう答えることを分かっていたかのように。
「一番大事なのは、患者の意思だすからね。ソンさがそう決めたのなら、おいらはそれを尊重するだけだす」
「ミン……」
「また何かあったら相談に乗ることはできるだすから、あんまり溜め込みすぎないこと。いつでも話聞くだすよ」
「うん、ありがとう」
こうしてこの日は、そのまま様子見ということで話は終わった。
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