第25話

 多分、人生で一番、必死に走ったと思う。

 電話の内容はたった七文字だけ。それだけで俺はスマホを落とし、ホシさんの声を無視して黒服の本部から飛び出した。外に出るとすぐに青い矢印が見えた。新宿区で見るのは初めてだ。

 その先には真っ白な髪を指で弄る、制服を着崩した女子高生がいた。ブルーグレーの瞳が俺を捉えて手招きした。

「こっちこっち、車で送ったげる〜」

「ここがどこだかわかってんのか」

「知らなーい。ただ頼まれただけだもん。弟くんを連れてきたら今度デートしてくれるって約束したんだから早く来てよ」

 黒服の本部がバレる心配と警戒をしていたけど、問答無用で腕を引っ張られて車の後部座席に押し込まれた。タテハといいチョウはみんな馬鹿力を持ってるものなのか。

「車出していいよー」

 女子高生が俺の隣に座ると、運転席の男が車を走らせた。黒い矢印で運転手はイモムシだと気づいたが、今は時間が惜しくて大人しくしていた。どうせ丸腰だし何もできないのはわかっている。

 俺の腕に絡みつくように女子高生に体をくっつけられ、タテハとは違う甘い香りに鼻が馬鹿になりそうだ。

 やけにスピードを出しているとは思ったら、すぐに着いた。俺の家の前だ。

「じゃ、またね〜」

 あんなにべったり絡みついていたのに、降りようとしたらすんなりと離れて意外だった。まあ面倒くさくないからいいか。

 走り去る車を横目に、俺は深呼吸をしてから家の中に入った。

「やっぱり真弥に頼んで正解。今度ちゃんとデートしてあげよ」

 玄関を開けてすぐに匂いで吐いた。家で待ってる。その言葉だけで来てみれば、本当にタテハがいるとは。

「あー匂いダメなんだっけ? 窓開けるかー」

 まるで自宅だと言わんばかりに勝手知ったるように窓を開けたタテハは、俺にタオルを投げつけた。

「ジュースあるけど飲む?」

「ゲホッ……いらねぇ」

「まあ座ってよ。ちゃんと話をした方がいいと思ってさ」

 タオルで口を拭いてそのまま床も拭いた。アイツの匂いのするタオルなんか捨てるしかない。

「いつからウチに居座ってんだよ」

「週四で掃除だけしに来てるだけ〜。寝泊まりはしてないから安心しなよ」

 靴を脱いで床がやけにキレイだとは思った。コイツが小まめに掃除にしに来ているなんて胡散臭い。何か裏があるに決まっている。ソファーに座ってジュースを飲んでるタテハの正面、テーブルを挟んだ向いの床に座ると、タテハもソファーの前の床に座り直した。

「なんのつもりだよ」

「ユーマが床でオレがソファーじゃ、フェアじゃないっしょ?」

「ここはお前の家じゃないしな」

「そう怒んないでよ」

 タテハは困ったように肩をすくめた。今までにない大人しさが気味悪い。

「じゃあとりあえず邪魔が来る前に話すか……オレはチョウと人間のハーフ。なんて言っても親のことなんにも知らないんだよね。気づいたら他のチョウやイモムシといたし、母親が人間だってのも、どこの誰かってのも最近になって教えてもらったし」

「それが嘘で間違いだってことはないのか」

「血縁を探れる奴に見てもらったから間違いないんじゃね。まあユーマの親父は何にも聞いてなかったみたいだけど」

 タテハの言葉に俺は反射的にテーブルに拳を叩きつけた。眉一つ動かさないでタテハは俺を見ていた。

「なんで父さんを殺した」

 力を入れすぎて拳が震える。どこにも行き場のない熱量に頭が沸騰しそうだ。

「オレとユーマを引き剥がそうとしたから」

 あっさりと答えた声は軽くて、俺は気づいたらタテハに殴りかかっていた。

 理由がなんであれ、一発は殴ってやると決めていた。無理だろうと思っていた。力も反射神経も負けていたから。でも、いま俺はタテハの左の頬を、よろけるくらい勢いよく殴った。

 タテハは反撃も防御もしないで続けた。

「オレ、家族ってのがよくわかんないんだよね。周りは他人だし、遊んではくれるけど家族とは違うんだろ? こう──思いやりっての? 強いとか弱いとか関係なく助け合う家族ってのが、よくわかんないけど欲しかった」

「そんな理由で父さんを……」

「だって親父が死んだらユーマと血の繋がりがあるのってオレだけだろ?」

 タテハの言葉に俺は床にへたり込んだ。そんな子供みたいな理由で父さんはコイツに殺されたのか。

「オレの鱗粉も命もあげる。だからユーマ、オレと家族ってのをやって?」

 首を傾げながら笑うタテハを前に、俺はただ床を叩くことしかできなかった。

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