結局彼女を追いかけることができないまま、僕は帰宅することにする。傘はコンビニで買った。


「お帰りー、調兄……って、びしょ濡れじゃん!?傘は?」

「あー、うん。ちょっと忘れちゃって……途中で買ったんだけど」

「いつも折り畳み持ってるのに、珍しいね。とりま、シャワー浴びたら?」

「うん、そうするよ……」


 音葉の促しに応じながらシャワーを浴びて、冷えた身体を温めたら、ひとまず自室へ。

 かばんに仕舞いこんでいた紙袋を取り出す。美音からもらったものだ。

 これだけは濡らすまいと抱え込んで帰ってきた。少し皺は入ってしまったけれど、どうにか、大きな被害を受けずに帰ってこれたようだ。


 中には包みが二種類入っていた。

 一つ目の包みは、おそらく既製品だろう。まずはそちらを開けると、有名店のチョコレートだった。六粒入り。とは言え、これ、一粒数百円するタイプの奴だ。

 もう一方の包みは……チョコケーキ?いや、ブラウニーって奴か。そちらにはメッセージカードが入っていた。

 まず目に入ってきたのは『いつもありがとね』という一言と、手書きのヴァイオリンのイラスト。

 その下に小さく、『ブラウニーは手作りだよ☆でも自信ないから、普通のも買っちゃった』と添えられていた。


「はは、美音らしいや」


 女子からの手作りお菓子に、テンションが上がらないわけがない。それだけで十分なのに。

 でもメッセージの通り、きっと、僕に満足してもらえるか不安だったのだろう。味としては間違いのない有名店のチョコもつけてしまう。

 でも僕は、君のそんな、相手のことを第一に考えてくれるところが……。


 そのブラウニーは、有名店のチョコレートより、何倍も美味しく感じられた。


-----------------------


 翌朝。雨は夜中のうちに止んだみたいだけれど、空自体はまだ曇天で。


 登校後、自分の教室には直行せず、ぐるりと美音のいる二組の様子を見に回ってみる。

 昨日ほどの騒ぎはなさそうだけど、美音の姿は見当たらない。まだ来ていないのだろうか。


 会いたいはずなのに、会えなかったことに何故かホッとしている自分がいる。


 そのまま一時間目が終わり、二時間目、三時間目――昼休みが訪れた。

 独り自分の教室でお弁当を食べていると、


「あ、いたいた」


 二人組の女子が声をかけてきた。藤堂さんと波多野さんだ。


「藤奏君、放課後、ヒマ?」

「今日は特に予定はないけど……どうしたの?」

「これ」


 藤堂さんは一枚の紙をヒラヒラとさせる。


「……プリント?」


 保護者への連絡プリントだ。


「美音、今日休みなんだ。風邪だって」

「え、そうなんだ……」


 あちゃあ、やっぱり、昨日濡れたのがまずかったんだ……。


「大丈夫かな?」

「どうだろ。こればっかりは、薬飲んで寝とくしかないよね」

「確かにそうだよね……」

「それで、私ん家、あの子の家の近くでさ。先生から、これを届けるように頼まれたんだけど、放課後はちょっと用事があるんだよね」

「私もなの」


 波多野さんも首肯している。


「だから藤奏君、代わりに届けてあげてくれないかな?」

「え、僕が?そもそも、美音の家がどこか、知らないよ」

「あ、もちろん後で住所送るよ。藤奏くん家はどの辺?」


 僕は最寄り駅を伝えた。


「よかった、そんなに遠いってわけでもないね」

「いやでもさすがに、風邪引いているところに、いきなり男子が押しかけるのは……」


 逡巡する僕に、美音の友人二人が言葉を重ねる。


「大丈夫だよ、藤奏君なら。ほら、美音の家、親が忙しいでしょ?たぶん彼女、一人で不安だと思う。私たちが行ってあげたいのは山々なんだけど」

「そうなんだよね。藤奏君に頼んだって美音には連絡しておくから、いきなりではないよ」


 確かに、彼女たちの言い分は正しいと思うんだけど……。


「藤奏君、お願い!」


 手を合わせて懇願してくる藤堂さん。


「うーん、まあ、届けるだけなら……」


 僕は気が進まないながらも、断り切ることもできず、二人の依頼を引き受けることにした。


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 放課後が訪れる。昇降口まで行くと、そこには意外な人物が待ち受けていた。


「柚季……」


 僕の幼馴染だった。何やら小さな紙袋を持っている。

 あの日以来、結局気まずくて、真面に話をすることができなかった僕ら。


「調、待ってたわ。ちょっと話があるんだけど……」

「あ、でも僕、これから用事が……」

「分かってる。月島さんのところに行くんでしょう?教室で話しているのが聞こえてたわ。

 そのことで、調に言いたいことがあるの。ほんの少しの時間でいいから」

「うーん、でも……」


 それでも躊躇ってしまう僕を見て、彼女は少し笑う。苦笑、と言ってもいいだろう。


「別に、愛の告白とかじゃないから、安心して?」

「いや、そんなつもりはないんだけど」


 結局、彼女の導きに従って、僕らは駅まで裏道を通ることにした。


「……天気、よくならないね」

「うん。今日は曇りの予報みたい」


 柚季の方も切り出すタイミングを探しているようで、最初はそんな当たり障りのない会話しかできていなかったけれど、やがて彼女は話の本題に触れた。


「月島さんと、何かあった?」

「実はちょっと、喧嘩しちゃって……」

「やっぱり……」


 嘆息するような様子の彼女。


「それで、会うのを躊躇ってるんだ」

「うん……正直ね」

「……月島さんに会うのが怖い?」


 柚季の指摘に、僕は思わず立ち止まる。


 そうか僕は今、美音に会うのが怖いんだ。

 彼女にあれ程拒否の態度を示されたのは、出会って以来初めてだったから。次に顔を合わせても同じだったらと想像すると、それは酷く恐ろしいことに思えてきた。


「……言われてみれば、そうなのかも」

「やっぱり。プリントも、ポストに入れて終わりにしようとしてるでしょう?」

「う……」


 図星だった。


「ダメだよ。ちゃんと会ってあげて」

「え?でも……」


 まさか柚季にまでそんなことを言われるとは思わなくて、僕は少し混乱した。

 そんな僕を他所目に、彼女は哀しそうにポツリと呟く。


「私のせいかもしれない」

「え?」

「私が、調の告白を断ったから。

 今の調は、自分の想いが相手に受け入れられないってことに、凄く怯えているように見える」

「そ、そうなのかな?」

「これでも私、幼馴染だから。あのさ、調」


 柚季はスマホを取り出し、その画面を見せてきた。


「動画、見たよ」


 それは『REDAWN』の演奏動画だった。でも……どうして柚季が今、これを見せてくるんだろう。


「……ごめん。実は去年、調の後をこっそりつけちゃったことがあって」

「え!?」


 思わず声が裏返る。


「……本当にごめんなさい。あの時はまだ健人君と付き合っていたんだけど、全然上手くいってなくて、偶然見つけたあなたのことが気になっちゃって……。それで、マンションのロビーで、調が『メロ』って呼ばれてるのを聞いちゃったんだ」

「そうだったんだ……」


 あちゃあ、全く、自分の脇の甘さにうんざりする。


「もちろん誰にも言ってないよ!それでこの動画、調と月島さんでしょう?」

「……実は」

「本当に、二人とも楽しそうだよね。演奏会の時も思ったけど。

 私さ、演奏会を見に行って、凄く焦ったんだ。だって調と月島さん、何だか通じ合ってるんだもん。幼馴染の私以上に。

 喧嘩したって言ってたけど、月島さん、きっと許してくれるよ。ちゃんと行って、声をかけてあげて。体調崩しているなら、なおさら。絶対大丈夫だから」


 柚季のその言葉に、何だか胸の奥につっかえてたものが、すうっと無くなったような気分になる。


 そうか。そうだよね。

 美音が怒ったのはきっと僕が原因だし、それなら、ちゃんと謝らないと。

 それすらできず、ただ避けようしていた。何て酷い人間なんだ僕は。


 そうと決まると、居ても立っても居られない気分になる。


「柚季、ありがとう。僕、行くよ!」

「うん。頑張って」


 柚季。君はやっぱり、最高の幼馴染だ。


 駆け出した僕。

 いつの間にか空には、青色が顔を覗かせている。

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