バレンタインと相合傘、そして

 週の初め、月曜日。今日も今日とて学校だ。

 とは言え校内は、何だかソワソワした雰囲気。それもそのはず、今日はバレンタインデーだから。

 だが今年はいつもと違い、例年以上に空気がざわざわしているような気もする。


 僕はというと、あまり気にすることなく、自分のクラスへと向かう。

 しかし席に座ったところで、普段はあまり接点のない男子に声をかけられた。いわゆる陽キャグループの一人だ。


「なあ、藤奏」

「あれ、神林君。珍しいね、どうしたの?」

「いや、お前、二組の月島さんと仲いいじゃん?」

「うん、まあ」


 あれか、バレンタインだから、何か狙ってるのかな。

 僕は少し警戒心を強める。


「じゃあさ。この動画のこと、知ってる?」


 そう言って彼が見せてきたのは、『REDAWN』の演奏動画のページ。

 予想外の話に少し動揺しながらも、それを隠して話を続ける。


「うん、ファンナイの作曲の人のだよね。ニュースでもやってた」

「そうなんだけど、噂のことは知らねえんだな」

「噂?」

「ああ。こっちの女の子の方、二組の月島さんに似てないか、って」

「……そうなの?」

「あくまで噂だけどな。だから、月島さんと仲いいお前なら、何か知っているんじゃないかって思って」

「そういうことね。でも残念ながら、僕は何も知らないよ。多分彼女ではないと思うけど」

「そうかー、残念。悪かったな、急に話しかけて」

「いいよ。でもさ、もしこの動画の人が月島さんだったら、どうするつもりなの?」

「いや、どうってことはねえけどよ。

 あのメロと一緒に演奏したとか、もう芸能人みたいなもんじゃん。同じ学校にそんな人がいるって何だかすげえって思うし、それこそデビューとか、してほしいよな。月島さん可愛いし、応援するよ。何なら今の内に、サインとかもらっときたいね」

「はは、まあ、この動画の人が彼女なら、って話だけどね」

「ま、そうだけどよ」


 なるほど、そういうことになっているのか。でもこれ美音の方、大丈夫だろうか。

 神林君が離れていくのを待って、僕はスマホを取り出す。


『大丈夫?何か噂になっちゃってるみたいだけど……』


 ひとまず彼女の様子を確認しよう。


 しかし朝の時間、彼女から返信が来ることはなかった。そのままホームルームと、一時間目が始まる。

 授業中、僕のスマホが震えた。こっそり画面を見ると、どうやら美音からの返信だ。


『やばい、動画に出てるのが私って話が広まってる。

 色んな人が話しかけてきて、返事ができなかった。ゴメン。とりあえず否定してる』


 僕もこっそりスマホに文字を打ち込む。


『僕のところにも一人、何か知ってるかって尋ねてきた男子がいた』

『げ、そっちにもなんだ。今日は二人とも大人しくしておいた方がいいかもね。私は知らないで通すつもりだけど、調の方に疑いが行くのは絶対マズいよ。放課後は時間ある?』

『僕は一日空いてるけど……ホントにそっちは大丈夫?』

『心配しないで。調が変に入って来ちゃう方が、最悪の可能性もあると思うから』

『……ごめん。でも本当に、無理だと思ったら連絡ちょうだい』

『ありがと。じゃ、放課後のことはまた連絡する。一旦切るね』


 お互い、授業中にスマホをいじるタイプではない。


 一抹の不安を残しながらも、授業をこなしていく。


 昼休み。僕はそれとなく、美音のクラスに様子を見に行ってみた。

 廊下を通りながら何気ない風に中を伺うと、美音の机の周りに人だかりができている。見ると、他クラスの人まで来ているようだ。

 ……大丈夫だろうか。

 でも、ここまで注目を浴びていると、強引に行動しようものなら、僕にまで衆目は集まるだろう。


 結局、美音に声をかけることができないまま、昼休みも終わってしまう。


 本日最後となる六時間目の途中、美音からメッセージが届いた。こっそりディスプレイを覗くと、


『やっと六時間目だね。何とか耐え凌いだよ。【クワイエット】ってカフェ、知ってる?十六時にそこでどう?』


 知らない店だけど、メッセージと一緒にURLが添えられている。そこをクリックすると、情報サイトで店の紹介や所在地を見ることができた。なるほど、学校からも駅からもやや離れるから、生徒に会う可能性も低そうだ。


『了解』


 僕は短く返信して、スマホのディスプレイをオフにした。


 六時間目が終わり、教室を出る。

 待ち合わせ場所に行かないといけないけれど、一旦美音のいる二組の様子を伺うことにしよう。


 二組はというと、人だかりができてはいるが、部活に向かった生徒も多いせいか、昼休み程の人数ではなさそうだ。


「ちょっと、いい加減にしなさいよ!美音、困ってるじゃない」


 あれは、ええと、藤堂さんだ。年末のコンサートに来てくれていた。


「そうね。みんなちょっとはしゃぎすぎじゃない?まだ動画の真偽も分かってるわけじゃないのに」


 こちらは波多野さん。

 よかった、助けてくれる人もいるみたいだ。


「うん、みんな、ごめん。私、今日は用事があるんだ。ちょっと帰してくれると嬉しいんだけど……」


 美音は疲れている様子だけど、それでも笑顔で懇願している。


「ほらほら、そう言うことだから、道空けて~」


 藤堂さんの仕切り。この様子なら大丈夫だろう、僕も学校を出ることにした。


 空に雲がかかってきている……降らないといいのだけれど。折り畳み傘はかばんに入っているものの、それでも雨は面倒だ。


 三十分程歩いて、待ち合わせ場所に指定されたカフェに入る。おそらく僕の方が先だろう。案内された席に座ると、スマホで到着の旨を美音に伝える。注文は少し待っておこう。


 それにしても、なかなかいい雰囲気の店だ。

 店内の席数は少なめで、その分空間をゆったりと広めに使っている。椅子も机もダークブラウンを基調とした落ち着いた配色。お客さんもしっかり入っているけれど、読書したり、コーヒーを楽しんでいたり。連れ立ってやってきている人たちも談笑しているのみで、騒がしい様子はない。

 『クワイエット』という名に相応しいカフェだった。


 五分程で、美音が店に入ってきた。店員さんに何かを伝えながらキョロキョロしているので、軽く手を振って見せると、向こうもこちらに気付いたようで笑顔になる。


「お待たせ」

「いや、今来たところだよ。とりあえず注文しようか」


 店員さんを呼び、僕はカフェオレを、美音はチャイティーを注文する。


「大変だったよね」

「ううん……と言いたいところだけど、今日は大変だった」

 

 そこで美音はキョロキョロと周りを見渡す。知り合いがいないか警戒しているのだろう。

 そして、更に声のトーンを落とした。


「みんな、あの動画が私って決めつけちゃってて、メロの正体とか、デビューするの?とか、色々聞かれちゃって。

 まあ、実際あれは私なんだけど……うう、バレないって思ったけど、甘かった……」

「そうかあ……。ごめん。僕も、こんなに早く学校に広まるなんて思ってなかった。うーん、どうすればいいかな……」


 僕が何かをできればいいんだけど、メロの名前で彼女に対し何かを言明することは、結局噂を肯定することになってしまう。かと言ってメロの名前を出さないことには、僕はただの一高校生だし……。

 悩む僕に対し、美音は首を振りながら答える。


「今まで通り、音楽活動を頑張ればいいと思う。私に関係ない作品をアップしていけば、その内皆醒めていくんじゃないかな……。変につつく方が逆効果だよ、きっと」

「うーん……そうだね」


 早急に、別の作品を作ろう。

 僕がそう決意を固めていると、空気を変えるように美音が明るい声を出した。


「はい、この話はお終い!

 それよりも、これですよ、これ」


 彼女はガサゴソとかばんの中を探ると、何やら小さい紙袋を取り出した。


「じゃーん、ハッピーバレンタイン!」

「え、僕に?」

「当たり前でしょ。今他に誰がいるの?」

「う、そりゃそうか。ありがとう」

「こちらこそ、いつもありがとね」


 うわ、義理とは言え、めちゃくちゃ嬉しい。


「ありがとう!大事に食べるよ」

「口に合うといいなあ。さ、今日はもう帰ろ。私、傘持ってなくてさ」

「あー、降りそうだもんね。じゃ、行こうか。ここは僕が払うよ、チョコのお礼」

「おー、おっとこ前~」


 レジで会計を済ませていると、サーッ、と外で音がする。


「お待たせ、降ってきちゃったね」

「そうなんだよね……私、やっぱりここで時間潰そうかな。もうちょっと待ったら弱まるかもしれないし」

「あ、僕、傘持ってるよ。入ってく?」

「え?や、でもそれは、悪いし……」

「雨雲レーダー見てみようか」


 スマホの天気予報アプリを開いてみる。


「……ダメだ、しばらく止まなさそう」

「え、そうなんだ……」

「じゃあ、傘、貸すよ。コンビニくらいまでなら走れるから」

「いやいや、それこそもっと悪いじゃん。……わかった。お言葉に甘えて、コンビニまで」

「了解」


 店を出ると、僕は折り畳み傘を開く。

 もちろんそれほど大きな傘じゃないから、自然と二人は身を寄せ合わざるを得ない。とりあえず、美音が濡れないようにしないと。


「調、こっちに傘寄せすぎじゃない?」

「いいって。こんな時くらい、カッコつけさせてよ」

「……ん」


 顔を赤らめる美音の仕草に、こっちまで恥ずかしくなってきたぞ……。


「あ、でもさ!みんながあんなに期待してくれているんなら、逆にこっちの世界に入っちゃうのも手かもよ?」


 強引に話題を変えてしまった……。


「え、どういうこと?」

「デビューしちゃってもいいんじゃない?ってこと」

「いや、それはこの前言ったじゃん。その気はない、って」

「僕もまた、美音と何かしたいし」

「それは、やっぱりメロとは関係ない所でよくない?」

「僕の曲では嫌なら、他の人のでもいい。すごいクリエイターさんはたくさんいるよ。そうして美音がヴァイオリンを弾いて、世間に認めてもらっていけばいい」


 あれ、何だか早口になっちゃってるな……。何でこんなこと言っているんだろう。


 美音が急に立ち止まる。俯いたその表情は見えない。


「えーと、美音……?」

「……調のバカ!!何にも分かってないんだから!!」

「え、み、美音さん?」

「もう、知らない!!私、帰る!!」


 僕を振り切って、走り出してしまった彼女。

 慌ててこちらも追いかける。


「待って、美音、待って!」

「バカ、着いてくんな!!」

「傘、傘差せって!風邪ひくよ!」

「もう、放っといてよ!!」

「……わかった。せめて傘だけでも持ってって!!」


 折り畳み傘を何とか強引に手渡すと、僕は立ち止まった。


 こちらを一瞥する美音。


 少し迷ったような様子だけど、手にした傘を頭上に翳すと、翻して、駆けていってしまった。


 その顔が涙で濡れていたのは、雨の中でも見間違えようがなかった。

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