奇妙な旅人(3)

 しばらく後、マリーは馬上の人となっていた。

 リュードッグと名乗った老兵が、逃げる魔物に追いついてとどめを刺したのを遠目に見た後だ。

 彼は魔物の後ろ足からサキの投げた剣を引き抜くと、左手で器用にふるって難なく巨大な魔物を倒してしまった。サキが自分より弱くはないと言ったのは嘘ではないらしい。

 リュードッグはサキが投げた剣を持って帰ってくると、右腕を探してくる旨を告げて慌ただしく走り去っていった。

 その後姿を見ながらサキが器用に指笛を鳴らすと、遠ざかっていた鹿毛の馬は速足で寄ってきた。サキは馬の鞍袋から取り出した清潔な布を同じく鞍袋から取り出した水筒の水で濡らし、マリーに手渡した。

 マリーは顔と手を拭って少しさっぱりとすると、自分が倒れた場所の水たまりの傍にしゃがみ込んで、その中から手探りで落とした髪飾りを探し出した。すっかり泥に汚れてしまったそれと再び汚れた手を遠慮がちに拭う。

「どうかしたの?」

「いえ、なんでもありません」

 声をかけて来たサキに返事をしてから、マリーは立ち上がってサキの傍へ歩み寄ろうとしたが、二、三歩歩くと立ち止まってしまった。足の疲労がまだとれていないのもあるが、何より気が抜けてしまってうまく歩くことが出来ないのだ。

 その様子を見て、サキは自分の愛馬に飛び乗ると馬を歩かせてマリーの傍へ寄り、馬上から手を差し出した。うまく歩くことが出来ないマリーを馬に乗せることにしたらしい。マリーは拭ったとはいえまだ汚れが取れきっていない自分の両手を見比べて、出来るだけ奇麗な方の――ほとんど違いは無かったが――手を伸ばし、サキの手助けを受けて注意深く馬に乗った。

――陽だまりの匂いだ。

 馬上で体を寄せたサキから漂ってきた香りに、マリーはそう感じた。優しくて懐かしくて、そして女性的な香りだった。その香りを嗅いでから、自分の衣服から泥の匂いがするのに気付くと、その匂いがサキにも届いているかと思うと、堪らなく恥ずかしく感じた。

 その気持ちに気づいたのか否かは分からないが、サキはそっと自分の外套をマリーに羽織らせてから馬をゆっくりと歩かせた。マリーはその気遣いがうれしくもあり、それをさも自然の事のようにできるサキを眩しく感じた。

――男の子と二人で馬に乗るなんて……。彼は、女の子と二人乗りするのに慣れてるのかしら?

 マリーの知っている同年輩の男の子たちは、こんなことをしたら顔を真っ赤にするか、口元を緩ませてしまりのない笑みを見せることだろう。サキのように涼しい顔をしているところは想像ができない。

――もしかしたら、高貴な血筋の方なのかもしれないわ。

 サキの堂々とした振る舞いと鼻筋の通った凛々しくも中性的な顔を見て、マリーは頭の片隅でそう思った。

 準男爵や騎士の様な下級の爵位を持つ者、あるいは聖職者の身内なのではあるまいか。とは言え、もっと偉い人物、例えばこの地を領する大公の身内などとは思わなかった。そんな人は庶民からすると雲上人であって、お目にかかることはめったに無いのだ。

 そんな事を考えこむマリーの様子が気になったのか、サキがマリーの俯いた顔を覗き込むようにして顔を近づけてきた。その陶器のような白い顔との距離が近くて、マリーの喉から思いがけず高い声がもれた。

「素っ頓狂な声を出してどうしたの?」

 怪訝そうに尋ねるサキに、マリーはしどろもどろに弁明する。

「ご、ごめんなさい……私……その……男の子とあまり親しくしたことがなくて……」

 マリーの言葉に、サキはきょとんとした顔を一瞬見せてから、破顔した。

「ごめんね、だますつもりは無かったんだけど……」

 そう言いながら、サキは自身の左手首で揺れる銀の腕輪を外した。

 サキの顔つきが変わった。マリーはそう感じた。

 何がどう変わったのか言葉で説明するのは難しい。外見から受ける印象が、今までの凛々しいものから柔らかいものに変わっていた。瞳の輝きが増し唇は艶やかになった様にも見えるが、先ほど迄とどれほど違うのかと聞かれると説明する自信がない。自信はないが、体つきも少しばかり華奢になった様に見える。

「軽い幻惑魔術を周りにかける魔動器まどうきさ」

 サキはそう言って外した腕輪を摘まみ上げて見せた。声も先ほど迄より少し高くなったように感じる。

 魔動器。使用者の魔力を消費して、それぞれが持つ特定の効果を発揮する道具のことである。マリーはその存在は知っていたが、本物を見るのは始めてだった。

「腰の曲がった老婆を筋骨隆々の巨漢に見せることはできないけど、男みたいな女を女みたいな男に見せることぐらいはできる」

 先ほどまでの、大人びた雰囲気の少年の姿は無い。

「アタシは女だよ」

 そこにいるのは朗らかに笑う少女だった。

「女……の子?」

「『女の子』って程上等なものじゃないけどね。用心棒が居るとはいえ、女が旅なんてしていると色々と面倒に巻き込まれやすくてさ。できるだけ男のふりをしてるんだ」

 そう言って、彼女は悪戯っぽく笑う。

「そういえば、名を名乗っていなかったね。アタシはサキ。ワケあって方々を旅してるんだ」

「サキ……様」

 マリーが名前をオウム返しに唱える。

――このあたりでは、聞かない名前。髪も黒いし、東方の出身なのかしら?

「ただの、サキ。呼び捨てで良いよ」

「でも、先ほどの方は、サキ様とお呼びしてましたけど?」

 あー、と言いながらサキは髪をかき上げる。

「あの爺やは頑迷でね。様なんて付けなくて良いって言ってるのに、一度言い出したら聞かないんだ」

 サキは、後方を振り返って老人の姿を探したが、老人の姿はもう見えなくなっていた。

「じゃ、じゃあ、サキ、って呼んで、良いかな?」

 マリーは気恥ずかしそうに上目づかいにサキの顔を見る。サキは優しく微笑んで答えた。

「うん、そうしてくれると嬉しいな。アタシもマリーって呼んで良いかな?」

 その言葉に頷いたマリーだったが、すぐさま首を傾げた。

「なんで名前を知ってるのかって顔だね。さっきこの街道を北上していたら、おじさんが一人、息を切らせて走って来るのに会ったんだ。話を聞いてみたら、隣村へ行った帰りに怪物に襲われて、連れとはぐれて逃げて来たって言うじゃないか。それで、慌てて馬を飛ばして君を追いかけたってわけ。名前なら、その時に聞いたんだ」

「そうだったのね。ポロおじさんも無事だったんだ。良かった」

 心から安心した様子のマリーをサキは不思議そうに見つめる。

「あのおじさんは君のお供だったんだろ? 自分を置いて逃げ出した相手に、やけに同情するんだね」

 そう言われて、マリーは確かにそうだと思った。

 だがその直後に、腰に下げていた使い古した鉈を颯爽と構えて巨大な怪物と対峙する中年太りの男の姿を想像して、考えを改めた。それは野犬でも出た時の用心のためのもので、犬は犬でもあれほど大きな魔物に通用するとは思えなかった。

「ポロおじさんが鉈を振り回したところで、どうにもならなかったんじゃないかな? 無事でいてくれて良かった」

「確かに、そりゃそうだ」

 サキがおどけた仕草で肩をすくめると、二人は声を上げて笑った。

「ね、サキ。さっきは凄く強かったけど、あんな怪物と戦ったことが前にもあるの?」

「まあ、何度かね。街道沿いにあんなのが出るなんて事はそうそうないけど、ちょっと道を外れたら出会うこともあるよ」

「そうなのね……。ね、聞いてもいいかな?」

 問いかけにサキは黙って頷く。

「あんな大きな魔物には、普通の人では太刀打ちできないって聞いたことがあるんだけど、サキと、あの、リュードッグさんは軽々と倒していたよね。それってつまり……?」

「うん、ま、そういうこと」

 サキは悪戯っぽく片目を瞑って見せる。

「アタシとドグ……リュードッグは魔術師だよ」

 サキの回答にマリーは瞳を輝かせた。

「やっぱりそうなんだ! 私、魔術がつかえる人に会うのは初めてなの。村の呪い師のおばあさんが、指先から火花を飛ばすくらいのことは出来るのだけど。ちゃんとしたのは初めて」

「そっか。どうだった? 初めてのちゃんとした魔術は。もっとも、アタシ達が使う身体強化の術も見た目には地味だけどね」

 マリーは強く首を振って反論する。

「そんな事ないよ。あんな風に素早く人間が動けるなんて、考えもしなかった。凄くて見ててドキドキした。あれはまるで……」

「まるで……?」

「悪い竜を倒して洞窟の底で眠り続けるお姫様を助け出す王子様みたいだった」

「何それ、おとぎ話?」

 苦笑するサキに、マリーは頬を膨らませる。

「もう、笑ったりして意地悪。確かにおとぎ話だけど、このあたりでは昔から伝わっている話なのよ?」

「へえ、そんな話があるんだ。アタシはこのあたりに来るのは初めてだから、知らなくても許してよ」

 サキは答えながらマリーの膨らんだ頬を指で突いた。マリーの口から空気が漏れ出て間の抜けた音がすると、二人は声を出して笑った。

「サキ様ー! お待ちくだされー!」

 聞き覚えのある胴間声が後ろから追いかけてきた。

「お、やかましいのが追いついてきたね」

 後ろを振り返ると、右腕の先を見つけたらしいリュードッグが追いかけてくる。その後ろには中年太りの男も付いて来ていた。マリーとともに隣村を訪れて帰路に魔物に襲われて逃げた男、ポロである。

 サキは腕輪をつけ直すと、人差し指で自分の口を塞ぐ仕草をした。

「腕輪を取ったのは内緒でお願い。この距離じゃ分からないだろうけど、ばれると口やかましくってね」

 マリーはクスリと笑うと頷いた。

「腕、見つかったみたいね。あの腕が飛び出すのを見たときには驚いたわ」

「あれは当たらないからやめろって言ってるんだが、聞きやしない」

 やれやれと首を振りながら、サキは手綱を引いて馬の足を止めた。

「ね、どうしてリュードッグさんはあんなに大きな篭手をつけているの? あれが武器なの?」

「ん? ああ、あれは篭手じゃなくて義手だよ。十六年前の戦役で腕を失って、魔動鎧まどうがいの腕を義手に改造して取り付けてるんだ。……ああ、そんな顔する必要ないよ。なんだかんだ言って、あの腕を気に入ってるらしいしね」

「そうだったのね……私の村でも十六年前は何人も戦争に行ったって。領主様に引き連れられて。あの走って来るポロさんもそうだって。戻らなかった人もいるって聞いたわ」

「相当激しい戦いだったらしいからね。アタシも生まれる前のことだから、話に聞くだけしか知らないけど」

「それなら、サキは私とそんなに歳が変わらないのかしら? 私はね、戦役の終わった年の十二月生まれなのよ」

 マリーの言葉にサキは一瞬口角を上げてから、すまし顔を作る。

「ならアタシの方がちょっとだけお姉さんってわけだ。アタシはその年の八月生まれだからね」

「あら、四カ月なんて誤差みたいなものじゃない?」

「双子だってちょっと早く生まれた方が兄や姉になるのだから、四カ月も違えば十分さ」

 マリーは返事をする代わりに、もう一度頬を膨らませて抗議した。サキはもう一度頬を突こうと指を伸ばしたが、マリーは指が近づいて来るのを見ただけで吹き出してしまった。その様子にサキも笑いだし、馬上の二人は笑いあいながら、近づいて来る徒歩の二人を待った。

「サキは、今日は私の村に泊まるのよね?」

「うん、しばらくは滞在させてもらうつもりだよ。村に宿はあるのかな? なければ馬小屋でも畜舎でも、雨露が防げる場所を貸してもらえると助かるんだけど」

「まさか、私の命の恩人をそんなところに泊めさせないよ。うちに泊まって頂戴。村に来る人はみんなうちに泊まるの。そのための部屋もあるんだから」

「へえ、客を泊める部屋があるってことは、マリーは良いところのお嬢さんだったのかな?」

 このあたりの農民が暮らす住居は、暖房と炊事場を兼ねた大きな暖炉を中心に、部屋が一つか二つある丸太小屋仕立てのものが一般的だ。いつ訪れるかもわからない客人のための部屋などそうそうあるものではない。

「お嬢さんって程じゃないけどね。村長の家だから村の中では一番大きいのよ。私の父さんが村長なの」

 杏色の髪の少女は胸を張ってそう言った。

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