奇妙な旅人(4)

 四人と一頭が村に着いた頃には、日が傾き始めていた。

 ミノカと呼ばれる村である。大陸北西の大国ムルパと北方のハーケンに挟まれたムールン公国の領土の北端に位置する。

 ムールン公国はムルパ王に臣従するムールン公爵家が代々領有してきた土地だ。遡ればムルパ王家の分家に当たるムールン公爵家は古来より様々な権益をムルパ王から認められており、公爵家の領土は形式上はムルパ王国の一部だが事実上は独立国だった。当代の公爵であるコウゲン・ロナ・ムールンは十六年前のハーケンでの戦役において、自ら魔動鎧まどうがいを駆って戦い多大な戦果を上げたため、ハーケン戦役で活躍した七人の英雄の一人として数えられ、大公の称号を与えられていた。そのためこの地域をムールン大公国と呼ぶ場合もあるが、それまでの慣習に従ってムールン公国と呼ばれる事が多い。

 その公国の北端にある寒村の中を、サキたちの一行は進んでいた。

 村を鳥瞰することが出来たならば、木の葉のような形状をしていることが分かっただろう。南北に長く、北側に行くにつれて細長くなっていく。村の中央を貫く街道と、そこから東西に延びる無数の小道や畦道はちょうど葉脈のように見えた。葉の外側には、樹木が生い茂った森林部が続き、さらにその外側には山々が連なっている。もっと上空から周辺の地形を見渡すことが出来れば、二つの山脈がぶつかる部分にできたわずかな平地の上に村が乗っているのが分かっただろう。地上からでも、遠方に見える青々と茂った西の森の向こうにうっすらと山々の姿を見えた。その中に一際優美な稜線を持った高い山があり、その山頂からは薄く噴煙が昇っていた。その山の頂から少し下がった場所に、奇妙な突起物のような物があった。遠目にはハッキリとしないがどうやらその突起物は数本あるらしい。その突起物のために、せっかくの美しい稜線が台無しにされていた。

 村の南北の長さは六ルカレヌ(約三キロメートル)ほどあり、街道の東西には大麦畑や牧草地などが広がっている。そののどかな風景の中に、丸太づくりの家々がまばらに点在していた。

 戸数は五十軒足らず。人口は二百人を僅かに超える。大麦や烏麦の栽培と畜産が主な産業の小さな村だ。

 巨大な木の葉の茎に当たる部分、つまり街道が村に入る部分の東西は木が生い茂っていて、そこを抜けると急に視界が広がる。村の境界には分かりやすい柵や看板があるわけではない。家々も密集するわけではなく、あちらにぽつり、こちらにぽつりと建っていて、それを見て旅人はいつの間にか村の中に入っていることに気づくのだ。

 そのまましばらく道なりに進むと、道のすぐそばに円柱状の巨大な岩石が地面から突き出ている場所に行きつく。人の背丈の三、四倍ほども高さのある巨石である。道の傍に岩があるというよりは、岩を避けるように道が作られたというのが正しいのかもしれない。

 その岩石を通り過ぎてさらに進むと巨大な木の葉の中央に当たる部分に、他の家より一回り大きな石造りの家が見えてくる。屋敷と言っても良い。石を積んだ胸ほどの高さの壁が、正面と裏口の傍を除いて屋敷の周りをぐるりと囲んでいる。その壁の外側をさらに囲むように、数件の家が建っていた。そこがこの村の中心地だ。

 四人はその中心地へ向かう間、野良仕事中の農夫が手を止めて物珍しそうに眺めてきたのに出くわした以外は、誰と出会うこともなく進んだ。

 しかし、村の中心にはさすがに数人の人の姿があった。

 その中から一人の青年が、四人の姿に気づいて近寄って来るのが見えた。

「お嬢さん! 一体どうしました? ……この方々はどなたですか?」

 赤毛の髪をした青年が、開口一番にそう尋ねたのも無理はない。馬上のマリーは顔こそは拭ってきれいになっているが、髪の毛は泥だらけなのだから。

「ヨナさん、父さんはどこかな? 急いで伝えないといけないことがあるの」

 馬上から真剣な面持ちで答えるマリーに、青年はすぐに連れてきますと伝えて、屋敷の中に飛び込んで行った。

 程なくして屋敷の中から壮年の男が姿を現した。後ろから、ヨナと呼ばれた青年も付いてくる。

「父さん!」

 あわてて、馬を降りようとするマリーだが、馬の背に乗ることなど無いものだからもたついてしまう。この辺境の寒村では、馬は荷物を運ばせたり、畑を耕すために重い鋤を引かせたりする為の労働力であって、移動するための乗り物ではない。その上、女ともなると尚更馬に乗る機会など無いのだ。

「待って」

 サキは小声でそう告げてするりと馬から降りると、マリーの手を取って馬から下ろした。

 馬から降りたマリーとポロが事の顛末を早口で告げるのを、村長は険しい顔で聞き届けた後、サキに向かって謝意を口にした。

「娘を助けていただいてありがとうございます、旅のお方」

 そう言って、彼は右の拳を軽く握った状態で親指を立て、親指の腹を唇に当て拳を顎の下に当てた。聖印と呼ばれる秩序の神に祈りをささげる仕草であり、畏まった挨拶をする時や謝意を伝える時にも大陸全土で使われるものである。サキとリュードッグも同じ仕草で挨拶を返した。本来女性の場合は、小指を唇に当てるのが正しいのだが、サキはあえて男性の仕草で挨拶をしたのだ。

「聞けばしばらく滞在したいとか。この村にいる間はぜひ我が家にお泊りくだされ」

 村長はサキの手を握ってそう言った。

「やあやあ、それは助かりまするなぁ!」

 リュードッグはサキの代わりにそう答えながら村長に近づくと、サキから奪い取るようにして彼の手を握った。

「サキ様、ここは是非、お言葉に甘えましょう」

「ああ、そうだな。よろしく頼む」

 サキの言葉にマリーは、やった! と小さく跳ねて喜ぶ。

「こら、マリー。お客人の前で。早く汚れを落としてきなさい」

「ハーイ」

 心の籠らない返事をのこして、マリーは石造りの屋敷の中へ去って行くと思いきや、パタパタと跳ねるように戻ってきた。

「サキ! 大事なことを言い忘れてた!」

「ん、どうしたの?」

 マリーはサキの手を取ってブンブンと縦に振った。

「今日は助けてくれてありがとう! この恩は生涯忘れないわ!」

「どういたしまして。でも、そんな大げさにとらえる必要はないよ。まともな寝台で休ませてもらえるだけで、お礼としては十分」

「そんなわけにいかないわ。とにかく、この村に居る間はこの家を自分の家だと思って、羽根を伸ばしてね」

 そう言うと、マリーは手を放して再び屋敷の中へ向かう。扉から中に入って居なくなったかと思えば、上半身だけ扉の外に戻ってきて叫んだ。

「あ、この外套は洗ってから返すからね!」

 片手をあげて返事をするサキ。村長はため息交じりにやれやれと首を振る。

「申し遅れました、旅のお方。私はこの村の長をしております、バドと申します。お見知りおきを」

「これはご丁寧に。こちらはサキ様。それがしはリュードッグと申す。ゆえあって諸国漫遊の旅をしておる」

 サキは黙って頷く。サキが迂闊に話をして性別が露見してしまうのを防ぐため、旅の間に誰かと話すのは基本的にはリュードッグの役割なのだ。

「それはそうと村長殿、このあたりでは白昼堂々と魔獣が出るのは良くあることなのですかな?」

 リュードッグの言葉にバドは大きくかぶりを振った。

「まさか。そんなものが出ると知っていれば、娘を隣村まで使いにやったりはしません」

「ま、それはそうでしょうな。今日見たのは中型の魔犬、軍の基準でいうところの甲種二級というやつですな。まあ、軍の基準の中では雑魚ということになりまするが、ハーケン領内ならともかく、それ以外の地であんなものが人里近くに出るというのは異常ですな。近頃このあたりで何か変わったことは?」

 あ、と小さくバドの口から声が漏れた。何か思い当たる節があるらしい。

「村の牧場から牛が数頭居なくなりまして……柵を乗り越えて脱走したものとばかり思っていましたが……」

「ふむ。十中八九、連中の仕業でしょうな。まあ、サキ様とそれがしで残らず倒したので過分の心配は無用でござろう。ほかに幾つも群れがあるとも思えませぬからな」

「それはそれは。感謝してもしたりません。このあたりで魔物を仕留められるような方はおりませんでな。用心のために大公様の兵を出していたただくようにお願いするつもりです。近頃大公様はお体の加減が優れぬと訊きますので、魔物が出たなどと伝わって心労をお掛けしたら心苦しくはありますが……」

「ふむ、ムールン大公への領民の信頼は篤いようですな」

 リュードッグの言葉に村長は、ええまあ、と曖昧に頷いた。

「公明正大なお方ですよ。……まぁ少々、女性にだらしないという噂はありますが」

 村長の言葉の最後の方は、独り言のような呟きになった。そこで、はたと気づいたように言葉をつづける。

「お客人をいつまでも立たせて置くわけにはまいりませんな。ささ、中へどうぞ。良ければ旅のお話などお聞かせ願えませんかな」

 バドはそう言って先に立って石造りの家へ向かう。それまで黙って聞いていたポロは、馬を預かります、と言って手綱を取って引いていった。ヨナ青年も、ポロを手伝うためについて行く。二人は村長の補佐のような仕事をしているらしい。

「あのポロという男、左腕が肩より上に上がらないようですな」

「ふーん、四十肩ってやつ?」

「いえ、おそらく古傷によるものでしょうな。それはそうと……サキ様」

 村長の後を追いながら、声を潜めてリュードッグが言う。

「腕輪を外しましたな?」

「ん、何のことだ?」

 サキはすっとぼけてみせるが、リュードッグには通じないらしい。

「このリュードッグを謀るにはサキ様は少々心根が素直すぎますなぁ。あのむすめを相手にした時の話し方を聞いていれば分かりまするぞ。あれほど口を酸っぱくしてと言ったはずですが」

 リュードッグの小言に、サキは口をとがらせる。

「アタシだってドグにと何度も言っているぞ。当たった試しがないんだから」

 痛いところを突かれた、という顔をリュードッグはしたが、それで引き下がるつもりは無いらしい。

「それとこれとは話が別でござる。腕輪をつけていただかないと、御身に迫る危険をいたずらに増やすことになりまするぞ」

「分かった分かった、ドグの言うとおりだ。ただ、あのに関して言えば、危険とは無縁だと思うけどね」

「それでもお気をつけくだされ。どこで見聞きしている者がいるか分かりませぬからな。あの娘にその気がなくとも、周りの人間までそうとは限りませぬ。サキ様の正体を知られるわけにはいきませぬし、オーマ様の消息の手がかりを掴むためにも気をつけませぬと」

 とがらせていた口を元に戻して、サキは真顔になって一段と声を潜めた。

「分かっている。ドグこそ、そんな話を人前ではするなよ。何かの間違いで誰かに聞かれたら大問題だ」

「もちろんですとも。このリュードッグ、そんなへまをしでかしたならば、腹掻っ捌いて責任を取りまする」

 白髪の老兵は胸を張ってそう言った。

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