第13話 フェナカイトの魂 (4)

 僕は被害者だ。


 敵国に家族を奪われた。

 地位を奪われた。

 国を奪われた。

 何もかもを奪われた。

 死にたかった。

 死ねなかった。

 死ぬことを許されなかった。

 生きるしかない今がある。

 従うしかない今がある。

 人形から抜け出せない今がある。

 自由の無い今がある。

 孤独じゃない今がある。

 動けない今がある。

 人形の未来なんて無い。

 人でなしの未来は無い。

 未来が欲しい。

 手を伸ばせば届くはずだった。

 暗闇を覗いてもどこにもない。

 孤独でもいい。

 未来が欲しい。

 

 彼女も被害者だ。


 鬼神に騙された。

 過ちを犯さざるを得なかった。

 家族を奪ってしまう未来がある。

 村を破壊してしまう未来がある。

 孤独になる未来がある。










 彼女にはこれからがある。

 僕みたいにならない未来が。

  













 結論。僕は彼女に惚れていた。

 だからこそ、彼女には僕のようになって欲しくない。

 そして。



 彼女に付く悪い虫は追い払わなければいけない。



「っ……!」


 アンガスに殴りかかった僕が居た。


「まぁいつかこーなると思ってたよ」


 あっけなく止められた拳が行く先を失くしてしまっている。


「戦闘能力の無い貴族のお坊ちゃまが、何かできるはず無いでしょ」


 本当にその言葉の通りだった。人を殴ったことも無い、ただの子供だった。そんな奴が不老不死を手に入れたところで、現状を変える力など持っていない。明確だった。


 そのまま地面に叩きつけられ、脳が激しく振動する。一瞬目の前が何も見えなくなったと思えば、腹部に強く衝撃が走る。何度も、何度も、何度も、何度も。


 何かがおかしい。神であろう者なら、こんなことせずとも僕を一発で葬れるはずだ。最も苦しむ方法で殺すなら、きっと神々しい力を使って、永遠の拷問空間に飛ばすことだって可能なはずだ。


 なのにどうして、ここまで人間らしい方法を使うのだろう。


 答えは、わかりきっていた。




 アンガスは、鬼神なんかじゃない。

 ——ただの、狂人だ。





疑心を討てベラットミス・残月の憂いよラカントミューム


 アンガスがただの狂人ならば、この言葉を理解できるだろうか。


 僕はアンガスが僕自身に与えた影響を十分にわかっていた。だからこそ、この魔法をアンガスに使うのだ。


「てめぇみたいなガキが魔法なんて使える訳ねぇんだよ!」

「……へぇ」


 僕を殴る腕が止まる。


「どうしたのぉ? もぅ殴らないの?」

「ちが……てめ、なに。をせ?」


 アンガスは腕どころか、身体全体が動かないようだ。僕はその内に拘束を無理やり解いて、そのまま彼を見下すように立ち上がる。


 その時に深く被っていたフードが風によって頭から外れる。


 レアルの真っ黒な髪は、灰色が少し混ざったような銀色の髪に変わっていたのだ。


「まぁ、洗脳には使いやすいよねぇ。魔導書って」

「うlが、あで、あうい」


「なぁに喋ってるかわかんない。ちゃんと喋ろぅ?」


 アンガスは僕と初めて出会った時に、僕に魔導書を見せたのだ。それも、不老不死になる魔導書を。


 超常現象を発言通りに実行してしまえば、現実的にあり得ない数字を出して人を信用させてしまえば、魔導書の痛みもあって人は勝手に洗脳される。


 五百年近い年数も嘘に違いない。数字は嘘をつかないというが、うそつきは数字を使うという。まさにその典型なのでは無いだろうか?


 どこで魔導書を入手したかは知らないけれど、随分と調子に乗っていたじゃないか。


「狂人が神を演じちゃダメだよぉ。ね?」


「うゆぎん、あぬ。あでぃ、あうでゅあ、お」


「……だからぁ何語だっての」


 首をごきごきと鳴らして、アンガスを見下す。


 先ほど唱えた魔法は、モノの年月を操作するといった類。今はアンガスの脳だけを急激に年寄りにしている最中。多分、今のアンガスは脳がぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような特殊な感覚に襲われていることだろう。


 彼の脳自体にかかった魔法。一年を一秒で過ぎていく。碌な思考ができるとは到底思えないし、急に老人化したせいで正常な物の捉え方もできないかもしれない。


 この魔法が彼の脳をどこまで老化させるか僕は知らなかった。この際、彼がどうなってもいい。死ねばいい。我ながら無慈悲だと思った。





 レアルはすっかり忘れていた。気にかけていた少女のことを。

 今なら本の回収が間に合うかもしれない。彼は丘を下りて、彼女のいる村まで一直線に走って行く。






 フェナクは外にいなかった。村全体は見渡せるくらいとても小さい。村の外に出ていない限りは一瞬で見つかるはずだ。


 偶然見かけた村人に行方を聞いた。


 指をさされた、かなり古い家が彼女の家族が住んでいる家だと。雑に礼を言った。その人は僕のことをかなり怪しんでいたと思う。今、この村の人にどう思われたっていい。


 手遅れにさえならなければ。



 ドンドンドンドンドンドンドン! ドンドンドンドンドン!



 強く、強く彼女の家の扉を叩いた。扉が壊れてしまうんじゃないかってくらいに、叩いた。こんな風にすれば、誰であれ異常に気付くと思ったんだ。


 返事は無かった。


 扉に耳を当てる。荒い息の音だけが聞こえた。


 ゆっくり扉が開いた。中は暗闇だった。


 招かれているような気がした。


 何も考えられなかった。


 家の中に入った。



「……こんにちはぁ。えっと、フェナクさん?」


 靴に液体が触れた。足元を見ると、予想していた通りの液体が靴に染み込んでいく。

 暗闇に目が慣れていく。ああ、そうか。



「手遅れだった……んだ……」



 心で思うだけに留めておきたかった言葉が零れた。



「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいぃ」



 膝から崩れ落ちた。ズボンに血液が染み込んでいくが、もうそれすらも気にするのも嫌になっていた。


 血液と涙が混ざり合っていく様を、ぼやけた目で見ていた。


 そうか、泣いているのか。


 よくよく思い出した。家族が死んだときも、国が滅んだ時も、何かを失った時も、僕は泣いただろうか? 泣いていないんじゃないか。


「僕、泣けなかったんだ。全部失って、大好きなものも居場所も無くなった時に」


 口の歪みが気にならないほどスラスラと喋れていることに、気づく僕はいない。


「でも、どうしてだろ」


 この暗闇のどこかにいるフェナクに語り掛ける。


「愛してるから、かなぁ。よくわかんないけど」


 ぐちゃくちゃと咀嚼音が聞こえたような気がした。今彼女は魔導書を読んだ反動で暴走状態にあるのだろう。こんなことを今言っても、彼女には聞こえない。忘れてしまう。だからこそ、言えた。


「一目見て綺麗だなって思った。アンガスが……旅人がフェナクを壊そうとしてた。そこに自分を重ねちゃって、あはは、僕って散々な人生だったからさ、こうなって欲しくないなって」


 ぼろぼろと零れ落ちていく涙を拭って、息を吸う。

 落ち着け。まだ、まだ彼女に言いたいことはある。


「僕、結局、家族も国も、自分のこともなんにも愛してなかったんだなって、こうやって泣いて今、初めて知ったよ」


 確かに、彼女の気配が近づいているのを感じた。 深く、深く、深呼吸する。これを言ったら、彼女に食われてもいい。




「今まさにフェナクを失いそうになって、こんなに泣いてるなんて。僕ってばぁ、フェナクのことを愛していたんだね……」




 気持ち悪いよね、食べていいよ。

 そう心に思った瞬間、黒い皮膚の化け物が口を大きく広げた。



「僕は——————」





 ◆




 時は戻って現実へ戻る。過去への現実逃避はもう終わりだった。


「あっはぁ……泣いてるじゃん、僕ぅ」


 反動か何かは知らないが、あの時はあれだけ愛していたのに、今では大嫌いになった。この感情は、年月は経てば経つほど増えていって、もう自分の中でどうにかすることができないくらいには肥大していっている。


 そう考えると、デュレイは良いストッパーになってくれるかもしれない。この感情を打ち消してくれるかもしれない。


 ……あんな態度をとったのは、良くなかったかな。


「まだ嫌われてるかもだけど、会いに行こっと」


 そこで僕はようやく立ち上がった。ほぼ完全に治った身体を軽く動かして、彼らの残り香を追っていく。


「これで終わりにしよう、恋も、何もかも」


 今の彼は、口の歪みが直っていた。

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