狐の嫁入り

三郎

本文

 私には好きな人が居る。その子は優しくて、頭が良くて、運動はちょっと苦手だけどいつも一生懸命で、食べることが大好きで、ちょっとぽっちゃりしている体型がゆるキャラみたいで癒されると、同性から人気がある女の子。なんだかんだで男子からも密かに人気があるらしいが、彼氏がいるという話は一切聞かない。けど、好きな人はいるらしい。彼女曰く『背が高くてスタイルが良くてカッコいいバイト先の大学生』らしい。

 対して私は、背は低いし、スタイルは良くないし、カッコよくもない。そして何より——

 私は女で、彼女も女。同性同士の恋なんてフィクションの中だけの話だ。現実で叶うわけがない。

 私の好きな人は、いつだって男に取られてきた。私の方が好きなのに。ずっと前から好きなのに。想いを伝えるのを躊躇っているうちに、奴らはいとも簡単に私の好きな人を連れ去っていく。ずるい。ずるい。ずるい。異性愛者はずるい。異性愛者なんて嫌いだ。叶わないと分かっていながら、同性に恋してしまう自分も。

 きっと彼女もいつかはどこかの男に連れ去られるのだろう。そう思っていた。しかし——


「……あのね。私、みんなに嘘ついてるの」


 ある日、彼女は私を呼び出してそう言った。


「嘘?」


「……うん。私ね、臆病なんだ。人に嫌われるのが怖いの。だから、ずっと嘘をついて生きてきた。けど……バイト先にね、自分を偽らずに堂々と生きてる人が居てね。その姿を見て、勇気を貰ったんだ」


「自分を偽らずに堂々と生きる?」


「これは、本人から許可をもらったから言うんだけど」そう前置きをして、彼女は言った。


「レズビアンなんだって。彼女」


 レズビアン。その言葉を聞いた瞬間、心臓が飛び跳ねた。ドッドッドッドッと心臓の音が騒がしく響く中、彼女の声が静かに頭に入ってくる。


「私もなんだ」


 耳を疑った。聞き返すと彼女は私から目を逸らし、下を見ながら「女の子が好きなの。でも、誰でも良いわけじゃない。君のことは恋愛対象として見てないから安心して」と言う。彼女はその一言が私の心臓を突き刺したことには気づかず、私を見ないまま続ける。


「背が高くてスタイルが良くてカッコいいバイト先の歳上の人。あれね、そのレズビアンのお姉さんのことなんだ。……好きというか、憧れ……かな。その人には彼女が居てさ……でも諦められなくて、この間告白したの。そしたら『君の恋人にはなれないけど、味方にはなってあげられる。だから、もう同性を好きになる自分を責めちゃだめだよ』って言ってくれて。それで決めたの。自分がレズビアンであることを否定しないって。まだあの人みたいに堂々とは出来ないけど、身近な誰かにカミングアウトして、少しずつ味方を増やして自信をつけていこうって」


「……私以外には、もう言ったの?」


「ううん。君が最初だよ」


「私が最初?」


「うん」


「なんで?」


「なんでって……君なら話しても大丈夫だと思ったから」


 そう言いつつも、彼女は私の方を見ようとしない。自分を抱きしめるように左腕に回された右手が震えている。


「さっきも言ったけど、誰でも良いわけじゃないんだ。君のことは恋愛対象として見てない」


 念押しするように、彼女は震える声で何度も繰り返した。呪いのように私を突き刺さす。彼女のことを勝手に異性愛者だと決めつけていた私に罰を与えているようだった。


「分かってる。レズビアンだから誰でも良いわけじゃないことくらい分かってるよ」


 そんなこと、私が一番よく分かっている。私が恋をする人間はいつだってたった一人だった。その人しか見えなくなって、他の女も男も目に映らなくなる。


「分かってるよ。だって——」


 だって私も貴女と同じだから。そう言った瞬間、彼女が顔を上げた。


「本当に?」


「本当だよ。初めて恋をした時からずっと、相手は女の子だった」


 曇っていた彼女の表情に光が差し、太陽が顔を出す。狐が嫁入りする。

 私の方も雨が降る。だけど狐は嫁には行かない。私のは、普通の雨だ。


「本当の、本当?」


「本当だよ。私もずっと言えなかった」


 ずっと否定していた。私のような人間は世の中にたった一人だと思い込んでいた。実際には、レズビアンという言葉が出来て世に浸透するほどには存在していたはずなのに。私はずっと、私だけではなく、私のような人たちを——彼女を否定していた。

 彼女が私に近づき、私を抱きしめた。そして涙声で言う。「君が友達で良かった」と。


「……うん。私もだよ。君が友達で良かった」


 噓を吐くなと心臓が騒ぐ。本当のことを言え、意気地なしと。

 うるさい。言えるわけないだろう。だって彼女は私を恋愛対象として見てないと念押しするように何度も言ってきたのだから。

 あれはレズビアンだから自分を狙っていると勘違いされたくないからというだけだろう。

 そうかもしれない。だけど——


「希望ちゃん。ごめんね。私、もう一つ嘘ついたんだ」


 背中に回された彼女の腕の力が強くなる。心臓が潰されそうなほど強く。圧迫された心臓が、さらに激しく高鳴る。

 彼女に聞こえてしまうから大人しくしてくれと頼んでも、心臓は騒ぐことをやめない。むしろ、彼女の身体の柔らかな感触に興奮してどんどんうるさくなる。


「私ね——」


 彼女が何かを言っているが、心臓がうるさすぎて何も入ってこない。黙ってくれと言い聞かせながら、必死に彼女の声を拾いに行く。


「私、希望のぞみちゃんが好き」


「は……?」


 その瞬間、世界から音が消えた気がした。

 私の身体にしがみついていた彼女が顔を上げる。澄んだ瞳で私を真っ直ぐに見つめながら、彼女は繰り返した「キミガスキ」と。

 キミガスキ。彼女の口から放たれたその音を「君が好き」という意味のある言葉に変換するまで数秒かかった。

 信じられなくて思わず聞き返すと、彼女の顔がまた曇ってしまう。


「ち、違うの! 否定するわけじゃない!」


 自分でも驚くほど大きな声が出た。降りかけた雨はすぐに止み、太陽が、出ても良いのかなと期待するように少しだけ顔を覗かせた。

 良いよと、言っても良いのだろうか。ずっと自分を——彼女を否定しきた私が。こんな私が、良いのだろうか。


「……否定するわけじゃないなら、何? 良い返事、期待していいの?」


 良いのかじゃない。彼女がそれを望んでるんだ。もう逃げるわけにはいかない。


「わ、私も——」


 言え。言うんだ。好きだって。


「私もずっと前から——」


「うん。前から? 何?」


 顔を覗かせて様子を伺っていた太陽が飛び出してきた。何を言われるかもう確信したようにニコニコしながら私の言葉を待つ。

 その眩しい笑顔から目を逸らし、絞り出すように言葉をこぼす。


「好き……だよ」


 沈黙が流れた。

 どれだけ待っても返事はなく、彼女の方に視線を戻す。すると彼女は「聞こえなかったからもう一回」と悪戯っ子のような笑みでアンコールを要求してきた。


「う、嘘。絶対聞こえた」


「聞こえなかった」


「嘘だ」


「ほんとほんと。……お願い。もう一回言って」


 冗談っぽい雰囲気から一変し、泣きそうな声で彼女は言う。今度はちゃんと彼女を真っ直ぐに見据えて、言葉を紡ぐ。


「好きだよ」


 震えたけれど、ちゃんと言えた。彼女も「今度はちゃんと聞こえた」と笑った。雲一つない彼女の顔に、雨が降る。


「好きだよ」


 繰り返し、彼女を抱きしめた。

 こうして私の恋は初めて実った。この恋はまだ二人だけの秘密。だけど少しずつ、打ち明けられそうな人だけに打ち明けようと彼女と約束をした。そうして少しずつ味方を増やしていけばきっと、いつかは堂々と出来るようになるだろうから。彼女に勇気をくれたあの人のように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狐の嫁入り 三郎 @sabu_saburou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ