6月10日 お題:悪堕ち・『黒髪』

「あれは……」

 道の先で角を曲がった一人の少女。

 帽子を目深に被っていて、顔は見えなかった。

 だが、一瞬見えた、あの髪は…… あの艶めいた濡羽色の長髪は…… 間違えるはずもない。あれは彼女の…… ひと月前、私がこの手で、その命を奪った……親友のものだ。

 

「待って!」

 なぜ彼女が生きているのか…… そして生きているのなら、どうして私にそれを教えてくれなかったのか…… 理由は分からない。

 それでもとにかく、彼女ともう一度言葉を交わしたくて、私はその背を追いかける。


 徐々に近づいていく距離。

 だが、ある程度近づいたところで、誰かに追われていることを気づいた彼女は、走って逃げだしはじめる。

「あっ! ちょっと!」

 結局、私たちは入り組んだ路地を右へ左へと駆け抜け…… やがて、行き止まりへとたどり着く。


「はぁ……はぁ……やっと、追いついた……」

 路地の奥で、一人立ち止まっていた彼女は、私が追いつくと、ゆっくりと振り向いた。

「……久しぶり、だね。由奈ちゃん」

「幸音……」

 振り返ったその姿は人違いでもなんでもなく、紛れもなく彼女そのものだった。


「やっぱり……生きて、いたんだ……!」

「……来ないで」

 しかし、近寄ろうとする私を、彼女は拒絶する。


「どうして……」

「私はもう、貴女の隣にはいられない…… いては、ならない……」

「どうしてっ!」

「それは――」

「それは、私から説明してあげるわ」

 どこからともなく声が響き、私の背後に一人の女が舞い降りる。


「お前……っ!」

 現れたのは、私たちの宿敵である、魔物を率いる人外の女。

 女はゆったりとした動きで近づいてくる。

 私は臨戦態勢をとるも、今は主武装を何も持っていないことを思い出して唇を噛んだ。

 女はそれを知ってか知らずか、私など眼中にないかのように脇をすり抜けて幸音に近づき、その体に馴れ馴れしく触れる。


「くっ……」

「どうして幸音ちゃんが生きているのか…… どうしてあなたの側に居られないのか…… それはね……」

 勿体付けるようにして、女は残酷な真実を開示し始めた。

「……幸音ちゃんは、もう人間ではないから」

「なっ……」

「見せてあげなさい、幸音」

「……はい」

「……っ!」

 女の言葉に従うようにして、彼女の背中から、大きな翼が現れる。

 濡羽色の髪と同じ、美しい漆黒の翼。


「く、くく……あははははっ!」

「なん、で……」

 絶望を隠し切れない私を、女は嘲笑う。


「ぜぇんぶ、あなたのせいなのよ」

「どういう……ことだ……」

「あなたは、私が寄生させた魔物ごと彼女の胸を貫いた。あなたは、それで彼女も魔物も死んだと思っていたようだけど…… でも、どちらも死んではいなかったの。それでも、互いに命の危機に瀕していた彼女たちは、互いの命をひとつに合わせることで、その存在を繋ぎとめた」

「そんな……」

「良かったわねぇ、お友達が死んでいなくて。まあ、魔物となってしまったんだけどね。……ふふ」

 言い返す言葉が見つからず、私は歯を軋らせることしかできない。


「さあ、もう行きましょう、幸音」

「……はい」

 悪魔のような翼を広げて飛び去っていく女。


「さようなら、由奈ちゃん。 ……わたし、待ってるから」

 そう言い残すと、幸音もまた、女の後を追うように羽根をまき散らして飛び去ってしまう。


「幸音……」

 一人残された私は舞い散った羽根をひとひら掴み、握りしめた。

「絶対に、迎えに行くから」

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