6月11日 お題:悪堕ち・『捕らえた蝶は虫籠の中に』

 王都中央にそびえたつ城、その一室で眠る聖女。

 ひとつの影が、彼女を窓の外から見つめていた。

 影は開かれた窓から部屋の中へと、音もなく侵入する。

 だが、部屋に仕掛けられた結界が反応し、けたたましい音が鳴り響いた。


「っ!?」

 それによって、聖女は目を覚ます。

「……」

 部屋に侵入した影は、それに動じることもなく、ゆっくりと、目を覚ましたばかりの聖女へと近づいていった。

 

「何奴ですか!」

 状況を理解し、聖女はベッドから飛び起きて侵入者から距離を取り、その姿を睨み付けた。

 ボロボロのマントとフードで全身を覆っていて、侵入者の正体は分からない。

「ボクは――」

「聖女様! ご無事ですか!」

 侵入者が質問に答えようとしたとき、結界の音を聞きつけた城の衛士たちが部屋に駆け込んできた。

「曲者め! 聖女様から離れろ!」

 衛士たちは聖女を囲むように侵入者へと立ちはだかり、一斉に武器を構える。

 

「……ちっ」

 苛立ちを隠せない様子で、侵入者は腰に帯びた剣へと手を伸ばした。

「邪魔をするな……っ!」

 次の瞬間、侵入者は目にも留まらぬ迅さで駆けだし、眼前にいた衛士の首を一閃の元に斬り落とした。

「なっ……」「隊長っ!?」「ぐぁっ!」「あがっ!?」

 それから、突然の出来事に動揺する衛士たちを瞬く間に斬り伏せていく。

 数秒もしないうちに、手練れ揃いであった聖女の衛士は、全員が物言わぬ死体へと変えられてしまった。


「ごめん、邪魔が入ったね。 ……ボクだよ。久しぶりだね、聖女様」

 侵入者はそう答えると、ゆっくりとフードを取る。

 聖女は露となったその顔に、そして何よりも、その声に、覚えがあった。


「まさか……ゆうしゃ……さま……?」

「ああ……そうだよ」

「その姿は……一体!? どうして……こんなことをっ!?」

 勇者と呼ばれた少女。だが、以前とは遥かに変わり果てた彼女の姿に、聖女は驚愕を隠せない。

 それもそのはず。かつて明るい金色だった特徴的な短めのくせっ毛は黒くくすんで腰まで長く伸び、透き通る空のようだった瞳は血のように紅く濁り、その背からは歪な形の片翼が生えている。

 聖女に笑顔を向けているが、そこにかつてのような明るさはない。

 かつての彼女の快活さとそれによる魅力は失われてしまった一方で、その歪で陰りのある姿は、新たに危険で妖しげな魅力を醸し出している。

 その姿はもはや、勇者と言うよりも魔族に近しいものであった。


「……負けて、しまったんだ」

「そんな……っ」

 3人の仲間と共に魔王を倒すため王都を旅立った勇者。

 だからこそ、『負けた』、とただその一言だけで、聖女が全てを理解するのには十分だった。


「……の力は、ボクたちの想像をはるかに超えていた」

「そう……だったのですね」

「もはやあれは、絶望そのものと言っても良かった…… 圧倒的な魔力で、ボク以外は近づくことすらもままならず…… 仲間は皆、ひとり、またひとりと心折れて、彼女の配下へと……魔物へと、変えられていき…… 最後には、ボクだけが残された」

 勇者はその時のことを思い出しているのか、左手で自分の身体を抱くようにして、微かに震えている。

「それでも……ボクは諦めなかった。恐怖を押して魔王様に立ち向かい…… そしてとうとう、その体に聖剣の一撃をぶつけた。なのに……」

 剣を握りしめた手に力が籠り、剣が震える。

「なのに、アイツには……傷ひとつ付けられなかった! 結局、ボクはその隙を突かれて渾身の一撃を叩きこまれて気を失い……敗北した。そして、目が覚めたときにはもう、ボクの身体はこの魔族でも人でもない、歪な姿へと変えられ…… 聖剣も、この通り禍々しく変わり果ててしまった」

 勇者は震える手で、歪で禍々しく変形した剣を聖女に見せた。

「っ……」

 聖剣の変わり果てた姿に、聖女は息をのむ。


「それでも、ボクはまだ心折れていなかった。 ……その、つもりだった。でも、雪辱を晴らそうと再び魔王様の前に立ってみて、それは間違いだったと気づいたんだ。玉座に座る魔王様の姿を一目見た瞬間、脚が震えて身体が動かなくなり、涙が溢れ、逃げ出したくて仕方がなくなった」

「勇者様……」

 話をしながら、泣きそうな表情となる勇者を聖女は心配そうに見つめる。

「そうしていたら、魔王様は立ち上がって、ゆっくりと僕に近づいてきた。そして、どうされたと思う?」

 勇者の言葉に、聖女は最悪の展開を想像した。

「……抱きしめられたんだ。まるで、壊れ物を抱くように、そっと。そして、耳元で囁いたんだ『安心しろ、もうお前には何もしないさ。 ……私に、従うと誓うのなら、な』って…… その瞬間、ボクは安堵と共に理解した。ボクはもう、この方には逆らえない……と」

 それは、聖女の想像とはまるで違うが、しかしそれを優に超える最悪であった。

「では、今の貴女は……」

「……魔王様の忠実なしもべ、とでも言うべきだろうね。勇者としては失格さ」

 勇者は自嘲気味に笑う。


「そう、ですか…… そんな貴女が、ここにいるということは……っ!」

 ――もうすぐ魔王軍の攻撃がある。そう理解した聖女は、城中に知らせなければと、駆け出そうとした。


「させないよ」

 だが、彼女が廊下へとたどり着く前に、部屋に新たな結界が張られ、聖女は行く手を阻まれてしまう。

「何のために、ボクがここへ来たと思っているんだい?」

「ひっ……」

 振り返った聖女は、邪悪な笑みを浮かべた勇者の姿を目にし、底知れぬ恐怖から背後の壁にもたれ掛かる。

 そんな彼女に、勇者はゆっくりと近づいていく。


「安心してよ、キミに危害は加えないから。ただ、魔王様の脅威となるキミをここからは出さない、それだけだよ」

「……貴女は、本当にそれでいいんですか?」

「言っただろう、今のボクには良いも悪いもない。ただあの方の命令に従うだけさ」

 問答をする二人の背後で、悲鳴や爆発音、そして激しい戦闘の音が響き始める。

「……みんな、死んでしまうんですよ!?」

「ああ、ボクのせいでね。……好きなだけ、恨んでくれて構わない」

「本当に……変わってしまわれたのですね…… 勇者様……」

 聖女の瞳から、涙が零れ落ちる。

「……残念ながら、ね」

 勇者は彼女の涙を拭い、その体をそっと抱きしめて寄り添う。

「さあ、今夜はもう眠ったほうがいい。大丈夫。明日の朝には、きっとすべて終わっているから」

「こんな状況で眠る……なん、て……」

 勇者が何かしたのか、聖女は急速に眠りへと導かれていった。

 眠りに落ちた聖女を抱えて運び、ベッドへと寝かせると、彼女は部屋の椅子に座って朝が来るのを待つのであった。


 ♦


「ん……」

「やあ、おはよう。静かで、いい朝だね。まるで、昨夜の喧騒が嘘みたいだ」

「……っ!?」

 寝起きに掛けられた勇者の言葉に、聖女は窓から外を見渡す。


「ああ……酷い……」

 窓の外の景色は、それはもう凄惨なものだった。

 道は血で真っ赤に染まり、いたるところに兵士や市民の死体が転がっている。そして、そんな街を我が物顔で闊歩する魔物たち。

 辛うじて生き残っている人間もいるが、彼らが殺されるのも時間の問題だろう。


「勇者様! ここを出してください!」

 助けに行こうにも、勇者の作った結界が、彼女がこの部屋から出ることを阻んでいる。


「……ダメだ」

「どうしてですか! 今行けば、まだ間に合います! もう勝敗は決した、もう私を閉じ込めておく理由もないはずです!」

「……目を見ればわかる。キミはまだ、希望を捨てていないのだろう」

「だったら、なんだって言うんですか?」

「キミのその希望は、キミに縋った人間たちへと力を与える。だからこそ、キミは脅威になりえる。キミがここを出られるのは……その、眩いばかりの希望が失われた時さ」

「……それなら、貴女が直接その希望を摘んでしまえばいいのではないですか? 」

「……そんなことはしないさ」

「何故?」

「だって……ボクは、こんな状況になってもなお希望を捨てない、そんなキミが好きだから」

 濁り、闇を帯びていた勇者の瞳に、僅かばかり光が差す。


「勇者……様?」

 その瞳に、聖女は僅かな希望の色を見て取った。

「……くくっ! ボクとは違って、キミはこんな状況に陥ってなお、ボクがとっくに諦めてしまったものをまだ持ち続けている。だからこそ、キミは虫籠に捕らえられた蝶のようにとても哀れで、そして美しく愛おしい! キミのその希望がどこまで持つのか、楽しみで仕方がないんだ! そんなお楽しみを不意にするなんて、ボクには到底できやしないさ!」

 瞳に灯った僅かな光は、しかしすぐに闇から生じた狂気の色に染められてしまう。

 だが。それでも聖女は、勇者の瞳に見出した光を信じ続ける。


「……勇者様は、まだ、諦めに屈してはいないのではないですか?」

「……どういうことだい?」

「貴女も……私という希望に、縋っている。そういう事です。そして私も……そんな貴女に、僅かな希望を見出している」

「……ふっ、キミの思い過ごしさ。ボクはそんなに期待されるような存在じゃない」


「そうですか…… それでも、私は信じています。いずれ貴女が、私という蝶をこの虫籠から解き放ってくれる時が来ると」

「そうかい。じゃあ、勝負と行こうじゃないか、聖女様。キミが希望を失うのが先か…… それとも、ボクがキミに絆されるのが先か」

 そう語った勇者の顔には、かつてこの上なく楽しそうな笑顔が浮かんでいた。

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