6月 2日 お題:悪堕ち・『パイプ』

 部屋の中央に備え付けられた、大きな円筒型の水槽。

 繋がった無数のパイプが絶えず何かしらの液体や気体を循環させている、その中で……私の親友は、眠っている。そして……人間では、なくなっていっている。

 

 侵入者として捕らえられた彼女たちがこの地下研究所に連れて来られてから、今日で一週間。

 連れてこられた中で唯一、素体として最高の素質を持っていた彼女に、私は持てる技術の粋を尽くし、最高の素体に見合うだけの手術を施した。

 せっかく適合検査を生き延びた彼女に、できる限り長く生きて欲しいというささやかな願いと…… そして、最高の素体を前にして欲望を抑えきれなくなった研究者としての狂気に後押しされ、手術の結果は、まさしく奇跡と言っていいほどの出来栄えだった。

 そして今は、手術によって植え付けた種が開花し、全身の変化が終えるのを待っているところだが……今なお、彼女の身体には僅かな変化の兆候すらも見られない。

 素体としての適合率とはつまり、もたらされた変化に対する細胞の耐性であるため、適合率が高いほど変化に要する時間も長くなる。……が、それにしても流石に長すぎる。

 これまで知られる限り、どれだけ適合率の高い素体でも一週間もする頃には全身の変化が終わっていた。つまり、何か間違いがあったのでなければ、彼女はかつて例がないほどの適合率を誇っていることになる。

 もしそうでなければ、それは私が何か失敗をしてしまったという事…… そんなことは、研究者としても、彼女の親友としても、認めたくはない。


「ねえ……早く、起きてよ……」

 不安で押しつぶされそうになった私はガラスに手をついて、彼女へと呼びかける。

 しかし、どれだけ待っても、彼女が答えることはなかった……

 

 ♦

 

 ――けたたましく警報が鳴り響く。

 何が起きたのか、咄嗟にタブレットから監視カメラの様子を確認する。

 どうやらこの場所のことが露呈したらしく、映像の奥では警察の特殊部隊が続々と突入し、入口からどんどんと制圧していく。

 最奥のこの部屋へと到達するまでには時間があるとはいえ、彼らがここに来るのも時間の問題だろう。

 急いで、証拠とデータの隠滅をしなければ。

 

 ひとまず、メインコンピュータのデータ全てと、全ての通信記録を消去し、そして復元不可能なほどに破壊する。それから白衣を処分し、非常口を開けてそこから誰か逃げ出したように偽装する。

 とりあえずこれで、私が研究員だと気づかれるまでには時間がかかり、他の職員のように出会い頭に射殺されるようなことはないだろう。

 それから――

『動くな!』


 どうやら、タイムリミットが来てしまったらしい。

 部屋の入り口からなだれ込んだ警官隊によって、私は部屋の隅で包囲される。

「ひいっ!」

 私は驚いたように手を上げて、何も知らない少女を装う。

「……行方不明になった少女たちの一人か?」「なんでこんな部屋に?」「何故拘束されていない?」

 どうやら、それでも警官たちの疑いは晴れてくれないようで、私には複数の銃口が突きつけられたままだった。

 

 ――どうするべきか

 考えながら、視線を動かしていると……


 水槽の中の彼女と、目が合った。


「……!」

 目を覚ました彼女は水槽の中で、その体を異形へと変貌させていく。

「な、なんだ!?」「撃て!撃てぇ!」

 警官たちは彼女を危険と判断したのか、ありったけの銃弾を撃ち込んだが、しかし水槽の防弾ガラスはビクともしない。

 やがて、完全な異形の――私がシミュレートした通りの姿へと、変貌を遂げた彼女は、その拳の一撃でいともたやすく水槽のガラスを突き破って外へと飛び出し、人外の咆哮を上げる。

 

 それからは、あっという間だった。

 彼女はその鋭利な鉤爪で銃もろとも警官の身体を引き裂き、強靭な顎でプロテクターごと肉を食いちぎり、剛腕の一撃で骨を殴り砕き……

 数分もする頃には、警官たちは物言わぬ血と肉の塊へと変わり果てていた。

 

「あーあ、殺しちゃった。ニンゲン」

 そして、警官を全滅させた彼女は人の姿に戻ると、さして悲壮感もなく、さらりとそう言ってのけた。

「気分は、どう?」

「もちろん、最高だよ!」

「ふふっ、流石は私の最高傑作ね」

 全裸の彼女に、予備の白衣を掛けてやりながら聞くと、彼女はかつて見せたことのない凶暴な笑顔で、そう答えた。


 ――狂暴性の付与、及び倫理観の排除は成功。

 シミュレートと同じか、それ以上の結果に、研究者としての精神が高ぶるのを感じる。


「それで……約束通り、全部説明してくれるんだよね?」

「ええ、もちろん」

 壊し損ねていたタブレットで所内の警官隊が全滅したことを確認し、私は彼女に説明をする。


「私の母親が、この組織のボスでね。幼い頃から研究に関する知識を詰め込まれてきたの。せめて高校までは……って、普通の生活を送らせてもらったけど、卒業後には私も正式に組織の一員となる予定だったの。みんなと距離を置いていたのは、この前の私の誕生日にこの研究所を送られて、卒業までに経験を積んで早く一人前の研究者になれ……って言われていたから、みんなの事、巻き込みたくなくて」

「……」

「まあ結局、それが裏目に出て、こんな結果になっちゃったわけだけど」

 

「……みんなは、どうなったの?」

 恐る恐る、彼女が聞いてきた。答えはきっと、分かっているのだろう。

「処分されたわ。貴女以外皆、素質無しでね」

「やっぱり……」

「全部私のせいね…… こんな私が、人並みの幸せなんて、初めから望むべきじゃなかった」

「……どうして?」

「だって、そうでしょう? 私は悪の家系に生まれて、私自身もいずれ悪に……いえ、きっともう、悪に染まっている。悪はいずれ、正義に滅ぼされるが運命。そうでしょう?」

「悪だから……幸せを諦めるの?」

「こんな私と関わったから、あの子たちは死んで…… 貴女だって、もうまともな人間ではなくなって、こちら側の……滅ぼされるべき悪の存在となってしまった。これが私のせいではなくて、なんだというの?」

「……少なくとも、私はこの体になったからといって不幸だとは思っていないし、幸せを諦めてもいないよ」

「どう、して……?」

「だって、この身体になっていたから君を守れたし…… 悪なら悪らしく、何もかも踏み躙って幸せを求めたっていいんじゃない?」

「それは……」

「確かに、みんな死んでしまった。だけど……いや、だからこそ、私たちにはもう、心配するべき相手なんてもういない。そうでしょ?」

「……」

 彼女の言葉が、私の心の奥底に潜んだ悪を刺激していく。

「何より……私は君と二人で、幸せの花を咲かせたいんだ。責任、取ってよね」

「……そう、ね。……わかったわ。もちろん。貴女のこと、幸せにして見せるわ。たとえ何をしてでも、必ず、絶対に」

「約束、だよ」

「ええ!」


 私たちの咲かせる幸せの花、それは徒花と散り行く運命なのか、それとも、運命に抗い、結実となるのか……

 どちらだろうと構わない。最期を迎えるその時まで、私たちは悪らしく、美しく残酷に咲き乱れてみせよう。

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