7

 それから適当な建物から屋根へ上り裏路地などを見下ろしながら軽快に街を駆け回るユーシス。屋根から屋根へ跳び移っては辺りを見回し、人影がないかを確認する。あればそれがジャックかを観察し、ジャックが見つからなければ少し離れた場所まで一気に移動し再度、辺りを見回した。それを作業的に繰り返していく。

 だが規制のお陰か全く人けの無い道が伸びているだけで、ジャックはおろか人影さえもほとんど見つける事が出来ないでいた。人影があったとしても規制を無視し出歩いている人間か、酔っ払い、ホームレス。誰一人としてジャックの姿を知らないユーシスが見てもそうじゃないと言い切れる人だけ。

 そんなユーシスの足は周りよりも頭一つ分高い建物の少し広めの屋上で止まった。


「ほんとにいんのかよ」


 ユーシスは一人愚痴を呟いたつもりだったが、それに反応したイマチが鳴声を上げた。その声に引っ張られるようにユーシスの顔は肩のイマチへ。


「お前も少しは探したらどうだ?」


 しかし、イマチは首を傾げるような動きを見せるだけで飛び立とうとはしない。


「好きにしろ」


 そんないまちに溜息交じりでそう返すとユーシスは足元の路地を見下ろした。建物の間に伸びる昼夜問わず人けの無さそうな路地。だがこれまで同様にそこにもジャックらしき影はない。

 すると夜の静寂へ紛れるように黙り街を見下ろすユーシスの肩から突然イマチが飛び上がった。羽搏く音に彼を見上げると同時に後方を向いたイマチの鳴声が夜に響き渡る。


「ったく。悠長だな」


 鳴声の直後、すぐ後ろから独り言のように呟く声が聞こえユーシスは反射的に振り返った。

 月光を受けそこに立っていたのはローブを羽織ったソル。ユーシスはその姿を双眸に映した瞬間、一瞬目を瞠りその後に苛立ちを表すように顔を顰めた。


「あのデュプォスはお前の仕業だったのか」

「こんなとこで一体何してる?」

「ジャックの正体もお前か? あいつらの為に? だとしたら落ちたもんだな」

「ジャック?」


 だが聞こえてきたのは「思い当たる節が無い」と言う声。それが真実かどうか定かではないが。


「そのついでにまたテラを捕まえようってか?」

「今はアタシの仕事じゃない。それよりやる事があるだろ。ユーシス」

「今更お前に命令される筋合いはねぇ」


 更に眉間へと皺を寄せたユーシスは無意識の内に戦闘態勢を取っていた。


「今度こそ俺が勝つ」


 だがしかし、ソルは微動だにしない。むしろ呆れたように嘲笑的な笑みを浮かべた。


「相変わらず威勢だけは一丁前だな。子犬みてーに吠えるだけで何の脅威もない」

「お前こそ相変わらず上から目線だな。いつまで俺より強い気でいやがる?」

「いつまで? それはアンタ次第だろ。アタシが強いんじゃない。アンタが弱いんだよ」


 ゴング代わりの言葉にユーシスは地面を一蹴しソルへ一気に接近した。勢いそのまま殴り掛かるユーシスだったが、ソルは余裕だと言うように既の所で受け止め、更に反撃の一撃をひとつ。しかし顔を他所へ向かされただけで、すぐさま向き直すと同時に拳を振るう。

 そこから屋根上というリングで切られた戦いの火蓋。最初からユーシスは気持ちを乗せるように次から次へと怒涛の攻めを続けた。しかしどれも戦況を動かすような一撃には至らず、ソルを動かす事すら叶わなかった。それどころか余裕な面持ちのソルは去なしているようにも見える。

 それがユーシスの中で燃え去る炎へ油を注いだのか、攻撃は更に激しさを増した。

 だが、そんな攻撃の隙を突いたソルの足が腹部を一蹴。減り込むほどの強烈な衝撃と共にユーシスの体は強制的に間合いを取らされた。


「ほらどうした? 今度こそ勝つんじゃなかったのか?」


 更なる苛立ちに皺は深みを増し、大きく舌打ちをしたユーシスは既に痛みの消えた体で再度、立ち向かっていく。一発、二発。だがユーシスの拳は、軽快なステップで躱すソルへ掠りもしない。一方でソルは余裕だと主張するように反撃も防御すらしなかった。


「弱いアンタに付き合わされるこっちの身にもなってみたらどーだ?」


 風に吹かれる花弁の如くひらり躱すソルの声は息ひとつ乱れておらず、むしろ溜息交じりですらあった。

 するとソルは自分の首へ鋭く伸びたユーシスの手を叩くように逸らすと、流れる身のこなしで膝蹴りを腹部へ減り込ませた。一瞬動きの止まるもすぐさま顔をソルへ戻したユーシスだったが、彼女の顔を拝んだのと同時に頬へと襲い掛かる拳。その際、響いた音が容赦の無さを物語っていた。

 地面へ飛び散る鮮やかな赤。再度、顔を上げたユーシスは突き刺すような視線をソルへ向け口元の鮮血を拭った。


「まだまだこれからだぞ?」


 するとこれまでとは一転、先制したのはソル。だが先程までとは打って変わり防戦一方のユーシスに余裕の二文字は見当たらない。数発に一回、体へは鈍痛が走り辛うじて最小限で抑えられているといった様子だった。


「吸血鬼とウェアウルフ。そこに差はない。吸血鬼を喰えるのはウェアウルフだけだ。ウェアウルフを喰えるのは吸血鬼だけだ」


 話しをしながらもソルの攻撃は激しさを増していき、一発二発と防ぎきれない分が鈍い音を響かせた。段々と追いつかなくなってゆく、ユーシスのガード。それどころかガードすら関係ないと言わんばかりに一発の重みすらも増していった。

 そしてそれは最初の鍔迫り合いのような攻防が嘘のようにサンドバッグ状態となっていた時の事。


「なのにアンタは何度やっても喰われっ放しッ」


 言葉尻の語気を強めながら振り下ろされた拳にユーシスは地面へと殴り飛ばされた。最早どこから痛みが響いているかも分からない体は地面へと打ち付けられるが、今の彼にとってその衝撃はほんの誤差程度でしかなかった。


「こっちは着実に進んでる。テラが必要になるのも時間の問題だ」

「何の為に、テラを狙ってやがる」


 痛みに耐えながらも四つん這い状態でユーシスはソルを見上げた。赤い斑点の出来た地面を背景にそんなユーシスを見下ろすソルは嘲笑的に鼻を鳴らした。


「今のアンタが知る必要はねーよ」


 そう言って透かさず飛んで来た足が腹部を蹴り上げる。宙を舞い、背から地面へと落下したユーシスが一瞬瞑った目を開ける頃に差す影。


「アンタ、白狼と会ったんだろ?」

「だったら――なんだ?」

「ならもうちょいやっても大丈夫だな」


 ソルの背後から微かに顔を覗かせた月すら覆い隠しユーシスの眼前では足裏がその準備を始めていた。防ぐか躱すか。ユーシスの脳裏で瞬時に下されようとした判断。しかしそれは妨害するような痛みにより一歩、遅れてしまった。ほんの一瞬。でもそれは蝶の羽搏きが竜巻を引き起こすように大きな遅れと化し、何も出来ぬままのユーシスへ目の前の足は今にも振り下ろされようとしていた。

 だがソルは、その足を振り下ろさず地面へと戻しながら後ろを振り返った。遅れてユーシスもソルの視線先を見遣るが、ただ夜が広がっているだけ。

 心の中で首を傾げながら一歩先に相手の顔へ視線を戻したユーシスへ遅れてソルの視線が戻る。


「いくら弱いアンタでも流石に死なね―だろ」

「何言って――」


 だがユーシスの言葉を聞き切る事無く、ソルの全身を蝙蝠の群れが渦を巻きながら包み込み始めた。そしてあっという間に姿が見えなくなると、その姿は夜空へ昇っていく蝙蝠と共に消えていった。

 ほんの数秒、誰も居なくなった虚空越しに何食わぬ顔で煌めく月を見つめ続けるユーシス。訳が分からず、苛立たしい。彼の中では色々な感情が混沌としまるで月も星の無い夜空のようだった。

 それから暫くの間、ユーシスは背中を地面へ着けながらやり場のない感情を胸にただじっと――。しているわけではなかった。

 それはソルが消え、直ぐの事。聞こえてきた物音と肩を叩くように吹いた風。ユーシスはつい先程ソルが振り返った方向へと視線を向けた。


「ん~。ウェアウルフ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る