第二章:ウェアウルフ

1

 深い積雪に足を喰われながらも一歩一歩、指輪の示す方へ進んで行く二人。時折、吹雪に襲われるがそれでもただ只管に歩みを進めた。

 梯子を上り地上へ出てからどれくらい歩いたのか。二人自身も把握は出来ておらず、あとどれだけ歩けばいいかも不明。果てしなさすら感じる旅路に、疲労だけが足元の積雪よりも深く溜まっていった。

 だが、それは何の前触れもなく突然現れた。徐々に激しさを増してゆく吹雪と相反し静まり返ってゆく陽光の中、ぽつりそこに建っている。それは、木々に囲まれ雪を身に纏った小屋。内側から光を零した窓が目のようになったその小屋を、指輪の光は真っすぐ指していた。


「ここなの?」

「らしいな」


 最早、言葉と共に口から吐き出される白息すら見えぬ中、ユーシスとテラは不安を抱えながらも止めていた足をその小屋の方へ。木で出来たドアの前まで行くと、ユーシスの丸まった手がドアを叩きノックのテンポで低い音を響かせた。

 しかし吹雪の所為か向こうから音は聞こえず、ドアもまた開く気配がない。

 そしてもう一度、ユーシスがドアを叩こうとしたその時。耳を付くような音で軋みながらドアは緩徐に開き始めた。隔たりが身を遠ざけるに連れ、二人の間を通り抜けて行く暖かな空気と光。そして人影が一つ。

 服の上からでも分かる程に筋骨隆々とし、オールバックの髪と境目のない口元をも覆った髭は気高さを感じさせる白銀、酸いも甘いも知るかのように刻まれた皺と狼を思わせる双眸。

 照明を後光のように浴びたその男は数秒の間、何も言わずただじっとユーシスを睨むように見下ろしていた。


「おま――」

「入れ」


 先に痺れを切らしたユーシスが先行して言葉を口にするが、低音の声がそれを斬り捨てるように遮った。男はそれだけを言うとそのまま背を向けすぐそこにある暖炉前の(テーブルを横にした)椅子に腰かけた。その前にあったテーブルには煙を立ち昇らせる短身の葉巻と飲みかけの酒瓶が置いてある。

 だがユーシスとテラは直ぐには動き出さなかった。男が椅子へと向かい、座り、葉巻の煙を一度吐き出すまでは。しかし早くしろと言うように男が二人の方を見遣ると、外とは違い暖かさが充満した室内へと足を踏み入れた。再び叫ぶように軋むドアが閉まると背後から魔の手の様に絡み付いていた冷気は遮断され、冷え切った二人の体を暖炉の温もりが包み込む。


「背負ってる物はそこら辺に置け」


 未だ状況は掴めぬままだったが、ユーシスとテラは取り敢えず荷物を下ろしジャケットを脱いだ。


「何か飲みたければ奥にある。好きにしろ」

「――それじゃあ、頂きます。ユーシスは?」

「あぁ、頼む」


 テラは葉巻の指した方へ向かい、男は二度三度と煙を吐き出した。そしてすっかり短くなった葉巻を暖炉の中へ放り込み、カップを二つ手にしたテラがユーシスの隣に腰掛ける。


「いただきます」


 男へ一言伝えテラは一口。同時にユーシスと酒瓶を手にした男も各々、口へと運んだ。


「お前は誰だ?」


 カップをテーブルに置くや否やユーシスはケースから新たな葉巻を取り出し準備する男へ、気遣いも敬意もない疑問の直球を投げ付けた。

 しかし男はカットしオイルライターで火を点け、答えようとはしなかった。それどころかユーシスの方を見さえしない。


「ここに何があるんだ?」


 だが男の口から出て来るのは白い煙だけ。


「何でこんなとこに一人でいる?」

「――うるせぇぞ。口の絶えねぇ小僧だな」


 葉巻を灰皿に置きながらそう呟いた男は、酒瓶を手に取ると口へ運び大きく傾けた。


「そう焦るな。教えてやる」


 落ち着き払った声でそう告げると男はもう一度、葉巻を吸った。そして沈黙の中へ吐き出される白煙。それをみながら二人はただ男から次の言葉が出るのを待っていた。

 そして煙を吐き切った男がゆっくりと口を開く。


「儂の名前は、ヴィクトニル・フィーリル・ヴァールガルド。――ウェアウルフの元王だ」


 その言葉にユーシスは微かに眉を顰めた。


「お前が白狼か」

「あぁ。儂がウェアウルフの原種――白狼だ」

「あの、元って言うのは……」


 そこに他の生き残りの可能性でも感じたのか、だがテラは躊躇いを見せていた。彼にとってそれがあまり深く踏み込んで欲しくない過去かもしれないと危惧していたのだろう。


「ウェアウルフはこれで全員だ。かつて後ろの続いた一族はない、独り残った王と一族とは逸脱したただのウェアウルフ。一族を一人残らず失った今、儂はもはや王などではない。――このままウェアウルフは滅んでいく。少なくとも一族はな」


 ヴィクトニルはそう言いながら横目でユーシスを見遣る。


「いや、ウェアウルフだけではない。吸血鬼を含めた力ある一族が消えた今、人間以外の全てがいずれ滅んでいくはずだ。だが、それが運命なら仕方あるまい」

「吸血鬼? アイツらは滅んでない」


 ユーシスのその言葉にヴィクトニルは完全に顔を向けた。だがそこに特段表情はない。


「何がしてーのか知らねーし興味もねーが、何故かアイツらはテラを狙ってる。だからここに来た。アイツらをどうにかする為にな」


 ヴィクトニルの双眸はユーシスからテラへ移り、数秒見つめると再びユーシスへ。そして何も言わぬまま嘲るように一笑を零した。その笑みの真意を測りかねた二人の訝しむような視線を受けながら葉巻を手に取り口へ。暖炉の弾ける音が響く中、ふーっと白煙が吐き出された。


「あの魔女が言ってた事は全て本当だったか」

「魔女がお前に?」

「あぁ。若いウェアウルフの生き残りがここへ来るはずだとな。その時は最後の吸血鬼が人間を滅ぼそうとしてるとも」

「ならテラが狙われる理由は?」

「そんなものは知らん。だが約束通り儂の知ってる事は教えてやる」


 酒瓶を一度だけ挟みヴィクトニルは話を始めた。


「巨大な本国と各地に点在するノワフィレイナ王国。本国にはウェアウルフと吸血鬼を含む様々な種族が暮らしていた。王国に臣従した種族は本国で暮らすか引き続き自国で生きていくかを決める」


 ユーシスとテラの脳裏にはほぼ同時にスノティーの事が思い浮かんでいた。


「儂はそこで王の一人だった。それも表向きの話だがな」

「じゃあ本当は違うってことですよね?」

「儂は一族を率いる務め以外に興味はない。やっていたのは最低限の事だけだ。その多くはもう一人が好き好んでやっていた」

「吸血鬼か」

「吸血鬼の原種であり王、オーディル。実質ノワフィレイナを動かしていたのはあいつだ。儂は必要ない限り自分の一族が巻き込まれなければ何も言わなかったからな。だがそれで問題は無かった。はずだがな」

「人間との大戦が始まった」

「別に驚きはしない。吸血鬼と人間は正反対のようで似ている」

「どういう意味ですか?」

「あいつらは強欲でプライドが高く、自信に満ち溢れている。そして何より自らの事をこの世界の王だと思ってやがる。いや、それを本気で望んでると言った方が正しいか。――吸血鬼にとって人間は最高の食料だ。血だけでなくその肉や骨までも喰らい尽くす。あいつらの間で人間は高価で取引されるほどだ。圧倒的な実力を有していた吸血鬼は、そんな人間を家畜の様に支配したがっていた。そして人間はそれに抵抗する建前を取ってはいたが、その真意はこの世界を手中に収める事だ」


 口元へ近づいた葉巻は言葉の終わりと共に咥えられ赤々と光った。


「ノワフィレイナはこの世界で最も巨大な国だからな」

「それを落とせば世界を取ったも同然って事ですね」


 ヴィクトニルは葉巻を挟んだ指で肯定的にテラを指した。


「いずれどちらかが強硬手段を取り、火蓋が切られるのは容易に想像出来た。その時、どう一族を遠ざけるか。それが儂のすべき事だったが、結局はその渦に呑み込まれ最悪の未来を迎えてしまった。吸血鬼と人間は似ている。――だがその似ている部分でさえ違う点を挙げるのならばそれは、吸血鬼は種族の大半の同意によって戦いに臨んだが、人間は一部によって強制的に戦いを強いられたぐらいだろう」


 空中へ突進し漂う白煙。


「儂らからすれば人間という種族はイカれてる。少なくとも儂らは自らの一族に対しては無償の愛を持っている。身を挺して一族を守り、一族の為に何かする事への疑問は無い。だがあいつらは違う。人間は自らの種族に対して特段的な愛は持ち合わせていない。特に人間という種族を動かす王は地位や名声に飢え、一族よりも自分を優先する。飽くなき渇望により上まで上り詰め、そして種族ではなく自らの為にその全てを捧げる。例えそれが一族の者を死に追いやる判断であったとしてもな。何より自分と狭い周囲が大事なんだ。常に一族全体を想う儂らには、到底理解出来ぬ事よ。だが最も理解出来ぬのは、通貨などと言い紙切れに価値を見出している点だ。それによって人間は人間を殺し、それどころか望まぬ者まで巻き込み戦争を始める。同じ一族同士で争うなど……」


 ヴィクトニルは呆れ果てたように鼻で一笑し首を微かに振った。


「屡々、人間は自分以外の種族を化物と称するが、他かすれば一族を平気で見殺しにするあいつらこそ化物よ。当然、そうでない者もいるとは思うがな」

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