7

 まず真っ先に出迎えたのは痛み。それから徐々に蘇る記憶。

 そして一瞬にして目を開くと共に体を起こしたユーシスは、頭を駆ける鈍痛など微塵も気にせず辺りを見回した。


「ユーシス!」


 その求める声が聞こえると彼の双眸は瞬時にその方向へ。安堵が全てを溶かした表情のテラは目が合うとユーシスに飛び込んだ。そんな彼女を抱き締め返しながら心弛んだユーシスの表情もまた穏やかなものになっていた。

 だがそんな安堵感も束の間、ユーシスは遅れながら自分の居場所を確かめる為に辺りを見回す。

 円形に張られた布に囲まれ絨毯や棚など比較的小さな家具数点で彩られた空間。特にこれといった特徴は無かったがひとつ気温だけはそうではなかった。二人へ向け暖房機が温かな空気を懸命に送っていたはずだが、それでも尚テラとユーシスは肌寒さを感じていた。


「ここは?」


 その言葉に離れたテラは口を開き返事をしようとした。

 だが割り込むように聞こえてきた女性の透明な声がその疑問に答えを与えた。


「ここは我々の暮らす街。いえ、街と言うにはあまりにも小さ過ぎる上にまだ腰を据えられていません。ですので仮拠点とでも言っておきましょうか」


 雪のように真っ白で長い髪と着物から顔を覗かせた透き通るような肌。触れれば壊れてしまいそうな青年が入り口には立っていた。だがそのまだ幼さ残る容姿とは裏腹に二人を見つめる双眸は真っすぐ凛とし、堂々と自信に満ち溢れていた。


「誰だ?」

「この方は我らスノティーの女王、ルミナ・グロス・グラキエース様だ。言葉には気を付けろ」


 ユーシスの問いかけに答えたのは一歩前へ出る事でルミナと並んだ長身の男。傍にいるだけでルミナがただ者ではない事を物語る氷のように冷たく鋭利な双眸が友好的とは言い難い視線をユーシスへと向けていた。


「ゴレム。相手はお客様ですよ」

「申し訳ありません」


 ルミナの一言にゴレムは頭を下げながら元の位置、一歩後ろへと下がった。


「申し訳ございません。彼はゴレム・スブシディウム。見ての通り私はまだまだ未熟なものでして色々と助けて貰っています」

「確か俺達は落ちたはず。お前らが助けてくれたのか?」

「手当もね」


 テラにそう言われそれが当たり前と言わんばかりに一定間隔で痛みを伝えている頭へ手をやるユーシス。感覚はあったが改めてそこに包帯が巻かれている事を触覚を通じて確認した。


「あの場所は我々が移動する際に使用しているのです。今回は食料調達の最中、貴方方を発見したという訳です」

「助かった」

「いえ。我々は元より外からの者を排斥するような一族ではありません。むしろ手厚く歓迎する風習があります。と言っても以前は険しい雪山の奥、今ではこのような場所に居る為、あまり来訪者というのはいませんが」


 ふふっ、っと口元を手で軽く隠し少しだけ顔を伏せたルミナは女王と言うより一人の女性としての笑みを零した。だが、顔が上がるとそれは消え女王としての穏やかながら凛々しい表情へと戻っていた。


「――それよりお尋ねしたい事がございます」

「何だ?」

「貴方はウェアウルフとお見受けいたします。そして彼女は人間。それで間違いありませんね?」

「あぁそうだ」


 それに対しユーシスは考える必要も無く頷きながら返事をした。


「でしたらまず、お伝えしたい事がひとつ。スノティーは元々ノワフェイナ王国に属しておりました。その意味はご理解いただけてるでしょうか?」

「いや。だからどうした」

「では失礼ながらハッキリと申し上げましょう。確かに我々は他の種族に比べても友好的な種族です。ですが、その歴史的背景からいくら我々と言えど人間と言うのは――少々手放しに歓迎できる存在ではないのです。特に今はより一層。全員が全員そうという訳ではありません。ですが良く思わない者が多数いるのもまた事実」

「すみません。ご迷惑をおかけして……」


 テラはその説明に頭を下げる共に顔を俯かせ曇らせた。


「いえ。ただ種族が同じと言うだけの貴方を責めるつもりはありません。もしそうなら、元よりこの場所へ招き入れていないでしょう。ただそのような者達もいるという事でして、もしかすると何かご無礼があるかもしれないと言う事です。もしそのような事がありましたらスノティーの長として心よりお詫び申し上げます」


 そう言うとルミナは女王とは思えぬ程に深く頭を下げた。


「そして、次に貴方にお願いがひとつあります」


 顔を上げた彼女の視線はユーシス目を見つめていた。射貫くように真っすぐと。


「どうか我々にそのウェアウルフの力をお貸しいただけないでしょうか?」

「力を貸す? 何にだ?」

「実は――」


 言いづらそうに言葉を詰まらせるルミナ。


「我々の元女王――私の母親を殺して欲しいのです」


 説明なしでは理解出来ぬ申し出にテラと共にユーシスは眉を顰めた。


「何を言っているのだ。そう仰りたいのですね。分かります」


 そんな二人の表情からと言うよりそう思う事を分かっていたのだろう、ルミナは先にそう言葉を口にした。


「順を追ってお話します。――それはノワフィレイナ王国崩壊後の事です。ノワフィレイナ王国に属しているとは言えスノティーは離れたこの山に多少ながら独立した形でブゥアージュと言う王国を築いていました。その時、ブゥアージュを一族を収めていたのは私の母親であるエイラ・グロス・グラキエース。離れた場所に位置する事もあり事後はさほど影響はなかったのですが、魔の手は我々の元にまで伸びてきました。人間はブゥアージュを侵略すると魔女やその技術力などを利用し瞬く間に制圧していったのです。そしてスノティーを手中に収めると彼らはとんでもない事を始めました」


 言葉を止め、今にも出血してしまいそうな程に下唇を噛みしめるルミナ。


「他種族をどうにか意のままに操れないかという人体実験です。人間にはない特殊な力を有する他種族を操りたかったのかその真意は分かりません。ですが、彼らはスノティーの者を使い魔女の魔力を利用しながら実験を始めたのです。その所為で多くの者が苦痛の中、命を落としていきました。侵略の際に命を落とした者、実験により命を落とした者。スノティーの住人はほとんどが殺されてしまいました。そして最後は母だったのでしょう」

「お前は? こうして生きてるって事はそれを逃れたって事だろ?」

「はい。私を含め複数のスノティーを母は自らを犠牲にし逃がしました。そのおかげで今も絶えず一族は続いているのです」

「そんな母親を殺して欲しい。と言うと生きているって事か?」


 ルミナは一度深く頷いて見せた。


「はい。生きています。その経緯は分かりません。ですが今もあの場所で――スノティー一族が居たあの場所で今も亡霊として」

「亡霊? 生きてるんじゃないんですか?」

「これは事件の最中、逃げてきた者が語った事です。実験により自我を失った母は、操るどころか暴走し人間を次々と殺してしまったそうです。いえ、人間だけでなく残った数少ないスノティー者まで……。母は現在、街に入る者を誰彼構わず攻撃し殺そうとしてしまう殺人マシーンへと変貌してしまったのです。最初は信じられず何度かここの者を送りました。ですが話は動かぬ事実だったようで、実際に数人は母の手によって……」


 正確には言葉にしなかったがその語られなかった言葉は二人へ確実に届いていた。


「母はとても優しい人でした。私にとっても、そして一族の者にとっても。――そんな母が今はただ近づく者を殺している。それが耐えられないのです。母を止めて下さい! 本来ならば私や一族の者がやらねばならぬ事であるのは百も承知です。ですが、そうするには我々はあまりにも母を――エイラ女王を知り過ぎています」


 その言葉を口にするのさえ決意が必要だったのだろう。ルミナは耐えるように眉を顰めていた。

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