6

 一人用ソファに寝転ぶように座るアンフィスは、壁の的へナイフを投げては消し手元に戻してはまた投げるを繰り返していた。

 そんな部屋へ入って来るや否や呆れたような声を出すメル。


「ちょっと。アンフィス」

「あ?」

「折角のあのデュプォスが現れたのに殺しちゃったでしょ?」

「別にいいだろ」

「良くないよ! あれ使えるんだから。それにもしかしたら素質あるかもしれないしさ」


 だがアンフィスは何も言わずただ不貞腐れたような表情で今までより力を籠めナイフを投げた。空を突き刺し飛んでいったナイフは中心より大きくズレた的の端へ。


「あぁーもぅ。あのデュプォス自体レアなのにさぁー。アンフィス、二回も殺しちゃうんだもんなぁ」


 返事の代わりに鳴り響くナイフの刺さる音の中、ドアが開くとオリギゥムが姿を現した。


「あっ、オリギゥム聞いてよ。アンフィスがまーたあのデュプォス殺しちゃったんだよねー」

「また現れたのですか。中々に運がいいですね」

「そーなんだよ。もういないけどね」


 今にも溜息の零れそうなメルの声の後、オリギゥムは相変わらず不貞腐れたような表情のアンフィスを見遣る。


「恐らくこれはどうしようもない事なんでしょうね」

「別にそこまで毛嫌いしなくても良いでしょ。アンフィスは使う側なんだし」

「うっせーな。別にあんなのいらねーだろ」

「アンフィスって」


 メルは言葉を口にしながらアンフィスの手からナイフを取った。


「粗雑に見えて結構、繊細だよねっ」


 そしてナイフを投げるが中心と端との間へと突き刺さりメルは小さく声を漏らす。

 そんなメルを他所に立ち上がったアンフィスは数歩だけ足を進めると手元にナイフを戻した。


「お前には分からねーよ。一生な」


 言葉の後、アンフィスの歩き出しと共に投げられたナイフは真っすぐ的の中心をとらえるが、それを確認するより先にドアは閉まり彼女は部屋を後にした。


          * * * * *


 カチッ、と心地好い音が響くとローズは何度か引っ張り留め具がしっかりと填まっている事を確認した。


「これで大丈夫ね」

「ありがとうございます」


 登山用の装備を身に着けたテラは軽く頭を下げながらお礼を言った。


「でも本当に二人だけで大丈夫? 知り合いのガイドを付けてあげられるわよ?」

「いえ、大丈夫です」

「そう。――それじゃあ気を付けて」

「はい。ありがとうございました」


 そして二人はついにベラルーラへと足を踏み入れた。

 地面には土など存在すら確認出来ないほど雪が積もり、緑の木々でさえ覆い尽くそうとしている。そこはまさに辺り一面、白銀世界。頭上は大小様々な雲が浮かぶ蒼穹で煌々とした太陽が二人を照らしていた。雪降りはないものの呼吸が可視化される程には冷え切っている。

 そんな中を踏み出す度に積雪へ足を沈めながら進む二人。テラの呼吸は踏み出す足に合わせるように急ぎ足で繰り返されていたが、一歩先のユーシスは同じ道と距離を歩いて来たとは思えない程に落ち着き払っていた。


「思ったより、キツいね」


 風も無くしんと静まり返った山中へ響くテラの小さく覚束ない声。ユーシスは後方からのその声に足を止めると振り返った。


「休むか?」

「ううん。もう少し行けるから」


 そんなあまり説得力のないテラを見つめるユーシスだったが、彼女は大丈夫だと言わんばかりに再び歩き始めあっという間に前へと出た。横を通り過ぎ先へと行くテラの後姿を数歩分見つめユーシスはその後を追った。


「どこに行くか分かってるのか?」


 だがテラの足はその言葉で直ぐに止まった。


「分かんない」


 そんな彼女を追い越しさっきの流れを無かったかのようにユーシスは再度、前を歩き始める。


「ねぇ、もし限界まで疲れたらそのリュックみたいにおんぶしてくれる?」

「もし休めるとこも無くて歩けなかったらな」

「じゃあ安心か」


 そんな会話もほどほどに二人は更に山を登った。

 それから途中、休憩を挟みながら指輪の示す方へ只管に足を進める二人だったが、突然テラの声がユーシスを止めた。


「ゆ、ユーシス!」


 不安と緊張の入り混じった声。振り返ったユーシスの陰へ隠れながらテラは横の方を指差していた。

 そこに居たのは一匹の狼。辺りの白銀世界へ紛れ込むように疎らだが白を被り木陰からこちらをじっと見つめている。


「大丈夫だ」


 ユーシスは目線を合わせるようにその場でしゃがみ込んだ。時が止まったように視線の交差するユーシスと狼。

 するとその沈黙を破るように狼が木陰からユーシスの方へ足跡を残し始めた。一歩一歩交互に積雪へと沈む四足。テラは依然と表情を不安に染めながら後ろでその状況の流れる様をただじっと。

 ユーシスの元までやってきた狼は足を止めると微かに見上げ再び沈黙が訪れた。かと思ったがユーシスの伸ばした手が狼の頬に触れると、つい先程までの張り詰めたような空気は解きほぐされ一気に和やかなものへと変わった。柔和な表情で撫でられる狼はもはやペットの犬。同時に緩むテラの表情。

 テラはユーシスの言葉通りになると彼の隣にしゃがんだ。


「これってユーシスがウェアウルフだから?」

「さぁ。どうだろうな。でも昔、地上でたまたま会った時も俺にだけやけに懐いてたからそうかもな」

「ねぇ。私も触って大丈夫?」


 心躍らせながらも若干ながら鬼胎を抱くテラの声に手を取ったユーシスは狼へと彼女の掌を触れさせた。ユーシスの手とふんわり毛皮に挟まれまるで翼が生え大空を飛ぶような感覚に包み込まれたテラの手。それはここまでの登山で溜まった疲労を全て取り除いてしまうような心地好さだった。

 そんな予想外の癒しと休憩を得た二人はその狼と別れると再び山を登り始める。一歩一歩着実に。あとどれだけ先にあるのかも、それが何かさえも分からないモノを求めて。

 それは吹雪により視界が悪くなっていた時の事だった。


「あれ見て!」


 一歩後ろのテラに肩を叩かれたユーシスは視線を彼女の指す少し外れた方へ。そこには丁度、吹雪を凌げそうな岩陰があった。


「あそこで少し休もう。これじゃ進めないよ」

「そうだな」


 ユーシスの返事を聞き先に歩き始めたテラ。

 すると二歩ほど進んだ彼女の体は突如、雪山へと呑み込まれ始めた。前方へと倒れながら同時に沈んでいく。その刹那、ユーシスは反射的に動き出し彼女の手を掴んだ。だが踏堪えるには体勢も悪ければ、テラ自身その驚愕が無くとも何も出来ぬ状況。ユーシスは彼女を追うようにして同じ方へと倒れて行くしかなかった。

 その最中、二人が目にしたのは、大きな割目。つい先程まで辺りはただ白銀に染まっていたはずだが、そこには今まさに二人を呑み込まんとする割目があった。

 テラはヒドゥンクレバスへと足を踏み出してしまっていたのだ。まるで雪でカモフラージュしじっと獲物を待っていたかのようにあったそれへ。雪山が大きく口を開けたかのような割目へ二人は落ちて行った。

 このまま落下していく。早々にそれを悟ったユーシスはテラを引き寄せると彼女を抱き締め出来る限り守ろうとした。互いに背はザックにより守られていたがそれ以外はガラ空き。

 壁面に何度もぶつかってはボールのように弾かれながら二人は抵抗すら許されぬまま下へ。その際、自分よりテラを優先していたユーシスは頭や体を幾度となく無防備に打ち付けていた。更に最後は薄暗い底への落下時に頭を強打。そのまま温かさに混じった激痛と共に意識は遠ざかって行った。

 そんなユーシスの腕から起き上がったテラは彼ほどではないものの体中に痛みを覚えながらも真っ先に彼を見遣る。


「ユーシス! ユーシス!」


 体を何度も揺すり声を荒げるがユーシスはピクリともしなかった。その動きに合わせるようにテラの心は激しく不安定に揺らいでいく。余裕と安堵は零れ落ち、呼吸は口で大きく繰り返された。

 すると、不安に埋め尽くされそうなテラの心を表すかのような薄暗い辺りを一筋の光が照らした。横から顔を照らされ手で影を作りながらもその方を見遣るテラ。

 そこには確かにライトを持った誰かが立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る