5

 彼女が消え、体を起こしたユーシスは立ち上がるとテラの元へ。そして彼女の拘束を解いた。


「ユーシス」


 不安気な声でユーシスの首に腕を回し抱き付いたテラは少し震えていた。


「私、もしかしたらって思っちゃって……」


 抱き締める腕に心配の分だけ少し入る力。ユーシスはそれをただ黙って受け止めていた。今の彼の中にあったのは、自分の身に起こった危険などではなく呵責の念だった。もう二度と、その決意を嘲笑うかのように起きた出来事。それは首に回る腕よりもキツく、まるで喉元を締め付けられているようだった。

 そんなユーシスから離れたテラはショルダーポーチからハンカチを取り出し、彼の喉元へ。少量だが溢れる新鮮な赤を拭うが一本線の傷はすぐに元通り。テラは再度ハンカチを傷口に当てるとユーシスの手を取り上から押さえさせた。

 そしてテラは階段を上がるとアタッシュケースを手にユーシスの元へ。


「テラ」

「やだ」


 ユーシスが名前を言い終えるよりほんの少し先にテラはそう返した。


「そうだよな」

「どうせ謝ろうとしたんでしょ? でも私は謝ってほしくない。だから、やだ」

「でも俺の所為で――」

「違うでしょ? 私の所為じゃん。もしユーシスが私と一緒に居なかったら、そんな風に怪我する事もない訳だし……。だからユーシスが謝るのは違う。でも私が謝ってもどうせユーシスは受け取ってくれないし――」


 一瞬、顔を俯かせたテラは言葉を堪えるような表情を浮かべていた。

 だがすぐに顔を上げユーシスと目を合わせると微笑みへと変え、彼の手を握った。


「だからさ。お互い何も言わないで駅に行こうか。次の列車には十分間に合うし。ほらっ」


 ユーシスの返事を聞く前にテラは手を引き歩き出した。そんな彼女の後姿を少しばかり見つめたユーシスは隣に並ぶと、血の止まった喉元からハンカチを離しテラからスーツケースを受け取った。

 当初乗る予定だった列車は間に合わず、次の列車へと乗り込んだ二人。疎らに乗客のいる車両で微かに揺られながら弁当を食べ、まだまだ先は長いが既にテラはユーシスに凭れかかり眠ってしまっていた。

 列車の音を除けば無人の様に静まり返った車両。そんな中、足音がひとつユーシスの後方から聞こえてきた。ゆっくりとしたテンポで近づいてきた足音はユーシスの隣を通り過ぎるとそのまま彼の正面の席に腰を下ろした。


「アンタか」


 そこに居たのはビディだった。足を組み座席に背を預けた彼女は真っすぐユーシスを見ていた。


「それは?」


 指を差されずともその言葉が喉元の傷を指している事は明白だった。


「吸血鬼に会った。アンフィス」


 その言葉に深刻そうに眉を顰めるビディ。


「吸血鬼の生き残りの一人、アンフィス・ラミア・エマ・トリニタス・イルプス。確かなの?」

「別に信じてくれとは言ってない」

「そうとは言ってない。ただそれだけの傷で済んだのが意外だっただけよ」

「アイツはテラを捕らえに来たわけじゃないらしい。だがいずれ、とは言ってたがな」

「なら何しに? 今更挨拶に来た訳でもないでしょう?」

「デュプォスだ。様子の違う奴が居たんだ。知ってたか?」


 ビディは記憶を探っているのか少し沈黙した。


「――えぇ。そう言う存在がいるという事だけはね。原因も原理も分からなければ直接見た事もないのだけれど。それで? そのデュプォスをどうしたの?」

「殺した。奴がな」

「――そう」


 だがビディは少し顔を顰め、分からないと言うようだった。


「てっきりそう言う存在は他のデュプォスをまとめ、指揮する役割に使うと思ってたけど――殺してしまうのね」


 その脳裏で何を考えているのか黙り込んだビディは微かに何度か頷いていた。


「そういや魔女ってのも、もう残ってるのはあと一人だけらしいな」

「彼女がそう言ってた?」

「あぁ。魔女のクソってな」

「そう。でもそうね。魔女も私が確認出来てるのは一人だけ」

「確認出来てる? アンタだろ? その最後ってのは」

「もしかしたら今もどこかでひっそりと生きてる魔女がいるかもしれないでしょ。私は世界の隅々まで魔女を探し回った事はないわ」

「まぁ別にどーだっていい。――それより何しに来たんだ? わざわざ話し相手にでもなってもらいに来たのか?」

「まさか。そこまで暇じゃないわ」


 するとビディは懐から折り曲げられた紙を一枚取り出し、カードの様にユーシスへと投げた。受け取ったそれを開くとそこに書かれていたのは住所。


「そこに行けば山を登る為の装備を用意してくれてるわ。人間だけど私の旧友だからあんたの事も分かってる。そこは気にしなくていいわ」

「山なんか登ったことないのに大丈夫か?」

「大丈夫よ。ウェアウルフは丈夫なんだから」

「俺じゃない」

「大丈夫。でもちゃんとリードしてあげなさい」


 ビディはそう言うと立ち上がって歩き出したが、ユーシスの横を通り過ぎる際に一度足を止めた。


「今更言う必要はないと思うけど、私が案じてるのはこの子の無事だけ。その為にあんたがどうなろうと構わない。だからもし、あんただけが生き残るようなことになったら……」


 その先を口にすることは無く、ビディは代わりに肩をぽんと叩くとそのまま車両を後にした。

 それから列車はまるで窓の中で四季を駆け抜けていくかのように徐々に景色を変えていき、いつしかそこは白銀世界へと彩られていた。乗る前より随分と冷えた空気に身を包まれながらも列車を降りた二人は、ビディから渡された住所へと足を進めていく。


「おぉー! 良い感じのとこだね」


 住所の場所に建っていたのは、コテージのような木造の建物だった。辺りは自然に囲まれ、背後には天にまで届きそうな山が聳えている。

 外観を見上げ眺めた二人は中へと入った。


「いらっしゃいませ」


 森閑とした空間へ溶け込むように足音を止めた二人へ少し遅れてやってきた声。

 二人のとは別の足音と共にやってきたのは、朗らかで人生経験が豊富そうな女性。凡そビディと同じぐらいだろう。という事は彼女がその旧友なのかもしれない。耳打ちや目を合わせるような事をせずともユーシスとテラの脳裏には同時にその言葉が浮かび上がった。


「あの。私達ビディさんの――」

「あぁ。はいはい! ビーちゃんの言ってた」

「ビーちゃん?」

「ごめんなさい。いつもそう呼んでるからついね。ビディから話は聞いてるわ。私はこのエスマのオーナーしてるローズ・デイアスよ。よろしくね」


 ローズはずっと浮かべていた莞爾とした笑みのまま二人と順に握手を交わした。


「それで、ベラルーラに登る為の装備をご用意して下さってると聞いたんですけど」

「えぇ。してるわ。でも今からは登らない方がいいわ」


 二人は一度、目を合わせた。


「どうしてですか?」

「これから大きく天候が荒れる予報なの。最初から辛い登山になるし、なにより危険だからね。登るなら明日かな」


 どうしようか、そう問いかけるようにテラが視線を向けるとユーシスは一度頷いて見せた。


「――それじゃあ、この辺りで泊まれる場所ってありますか? 出来れば安い所がいんですけど……」

「その必要はないわ。うちに部屋を用意したから」

「えーっと。私達、実はそこまでお金に余裕が無くて……」

「何言ってるの。要らないわよ。遠慮せず泊ってって」

「でもいいんですか?」

「もちろんよ。ビディから頼まれた大事なお客さんだからね。さっ、こっちよ」


 先に歩き出したローズと数歩遅れてその後を追う二人。最初は申し訳なさのような感情が大きかったが、階段を上がり部屋に着く頃には感謝の気持ちで心は満たされていたテラへローズはドアを手で指し口を開いた。


「ここがあなたの部屋で、」


 視線はテラからユーシスへ。


「隣があなたの部屋よ」

「二つもですか?」

「一部屋ずつの方が良いでしょ?」

「これまでも一部屋だったので、一つだけで大丈夫ですよ。なのでこっちの部屋だけで」


 テラはそう言ってユーシスのだと説明された部屋を手で指した。

 そんな彼女にローズはハッと気が付いたような表情を見せる。


「分かったわ。それと夕食は十八時から二十一時の間に下の食堂に行くか内線で言ってくれれば部屋まで運ぶからね」

「はい。ありがとうございます」

「それじゃあごゆっくり」


 軽く頭を下げたローズはその場を後にし、その後姿を途中まで見送った二人も早速部屋の中へ。

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