第31話 守屋山とイサクの燔祭(^^)ノ

その日は、朝からとても天気が良かった。


下道を通っても、さほど時間の短縮にならないので、今回は、高速には乗らずに信州へと向かった。


信州に入ってしばらくと、ナビに映った甲六(こうろく)や烏帽子(えぼし)の地名を指差しながら、夫は、監督の別荘がこの辺りにあるらしいと言うと、例のアニメ映画について語り始めた。


あの物語のプロットって、故郷を追放された若者が、前時代の神を倒す事で、生け贄に捧げられた姫を救い出すって言う素戔嗚尊(すさのお)の英雄譚が元ネタになってるよね。


あの物語の舞台って、僕は諏訪だと思ってるんだ。


諏訪には、出雲からやって来た建御名方神(たけみなかた)と土着の洩矢神(もれやしん)との戦いがあったと言う伝承があるんだけど、一説によると、この戦いは、餅鉄(べいてつ)や褐鉄鉱(かってっこう)を用いた原始的な製鉄を行う土着民と、砂鉄を使った、たたら製鉄民との争いだったのではないかと言われてるんだよね。


だいだらぼっちは、鉱山や製鉄が行われていた場所に現れる、言わば鍛治神なんだけど、あのアニメでは、立派な角を持つ鹿のような、羊のような、それでいて狒々(ひひ)のような不気味な顔をした、人格を持たない前時代を象徴とする神が登場するよね。


諏訪には、石棒や柱を依代とする、古(いにしえ)の神が未だ生き続けている。


そして同じように、諏訪には何か重大な事実が秘匿されているって事を監督は、よくよく分かっていたんじゃないかな、と夫は言った。


今日は朝から登山らしい。


その建御名方神(たけみなかた)が降臨したと言う、伊那山地の最北部に位置する、守屋山へと私達は向かっている。


守屋山は、諏訪明神たる建御名方神(たけみなかた)が降臨した山ゆえに、建御名方神(たけみなかた)を主祭神とする諏訪大社上社の神体山と言う説がある。


また、丁未(ていび)の乱の後に、物部守屋の次男の武麿(たけまろ)が守屋山へ逃れて守矢氏に養子入りし、神長になったと言う伝承が残っている為、守屋山は物部氏との関係をも暗示しているのだ。


前回の位山登山で懲りたので、今回は登山用のスカートにスパッツと言う出立ちだ。


ジーンズは登山には適さないぞ。


守屋山の登山口の駐車場に到着したのは、午前10時を回った頃か。


山頂でお昼を食べようと、道の駅でおやきを沢山買って来た。


私も夫も、信州名物のおやきが大好物だ。


登山は登り始めが一番汗が出る気がする。


私は守屋山の風景を楽しみながら、ゆっくりと歩いた。


守屋山の木々は、何か微妙に艶かしくて、凹凸(おうとつ)や窪みが女性の身体のように見える。


不思議な雰囲気の山だな、と私は思った。


夫は、諏訪大社の上社は、いわゆる農耕民族が祀る神社の祭神とは一線を画する、特別な神であると語った。


当たり前の話しだけど、神社って聖域だから、生臭ものは厳禁だよね。


だけど、諏訪大社の上社だけは、全国的に見ても特別で、上社本宮では、二匹の蛙を串刺しにして供物として捧げると言う、蛙狩神事(かわずがりしんじ)や、諏訪大社前宮の十間廊では、鹿の首を並べ捧げると言う御頭祭(おんとうさい)が例年、執り行われているんだよ。


これらは、日本が農耕社会になる以前の、狩猟祭祀を色濃く残していると、一般的に考えられているんだ。


聖書の創世記に、イサクの燔祭(はんさい)と言う逸話が記されているんだけど、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は全て、最初の預言者であるアブラハムを祖とする宗教だよね。


イサクの燔祭(はんさい)と言うのは、その預言者アブラハムが、一人息子のイサクを、モリヤの山で生け贄として捧げるよう、神に命じられた時の逸話なんだ。


モリヤの山とは、今のエルサレム付近にあったとされる山の事だよ。


神の命に従ったアブラハムが、モリヤの山で、イサクの上に刃物を振り上げた瞬間、天から神の御使いが現れて、その行為を止める。


そして、アブラハムが周囲を見回したところ、茂みに角を絡ませた雄羊がいたので、彼はそれをイサクの代わりに神に捧げた、と言うが、イサクの燔祭(はんさい)の概要だよ。


夫は、息を切らせながら、聖書に記されたと言う、イサクの燔祭(はんさい)のエピソードを説明した。


そもそも、本当の意味での預言者って言うのは、神の言葉を預かる人であり、神との契約を更新する役目を負った人なんだよ。


だから、この逸話が意味する所って、それまで神に対して人身御供を行っていた人々が、アブラハムの登場により、神との契約の更新が成され、人でなく獣を捧げものとしたって事なんだと思う。


素戔嗚尊(すさのお)の英雄譚(えいゆうたん)にも、生け贄に捧げられた櫛名田比売(くしなだひめ)を救い出すエピソードがあるんだよ。


そんな出雲の神が、最後に行き着いた諏訪と言う土地には、聖書に記された、この時代のイスラエルの信仰が、未だに存在している。


そう考えたら、それは、とてつもなく凄い事だと思うんだけど、と夫は笑顔で言った。

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