第32話 守屋山に登りました(^^)ノ

江戸後期の国学者にして紀行家、民俗学者の菅江真澄(すがえますみ)は「信濃の旅 すわの海」の中で諏訪大社の祭祀について言及している。


その内容は、イサクの燔祭(はんさい)を連想させるものであった。


先ず、柱に縄で縛られた歳の頃が八歳程の少年に、神官が小刀で切り付けようとするが、それを、待て待てと、止める者が現れ、少年は解放される。


その後、七十五頭もの鹿の首が神殿に捧げられ祭りは終わる。


守屋山(もりやさん)と言う名前は、恐らく、創世記に記されたモリヤの地にある山を示していると思う、と夫は語った。


諏訪大社上社の祭祀は、恐らく土着の信仰や大和政権によって押し付けられた信仰が交わった事で、より複雑化していったと思われる。


しかし、未だ古代イスラエルの祭祀がルーツである事を偲ばせるには十分である程、その痕跡が窺える。


ふう。


その後、熊出没注意の看板を尻目に、急登をしばらく進み続けて山頂に到着したのは、正午をちょっと過ぎた頃だった。


山頂は、風が適度に吹いてくれていて、心地良くて助かる。


私達は、付近にある手頃な岩に腰掛けて、お昼に用意して来た、おやきをリュックから取り出した。


おやきの具材は、何が好きかと言う話しになり、私は茄子が好きだと言った。


夫は、おやきは何を食べても美味しいけど、やはり、野沢菜に勝るものは無いと、ドヤ顔で言った。


おやきを食べ終わり、しばらく山頂の景色を楽しんでから、私達は下山を始めた。


野沢菜から連想したのか、麓に帰るまで、夫は、野沢温泉の素晴らしさを延々と語っていた。


野沢温泉は、お湯の温度が高いので、行くなら真冬するべきであり、真冬に浴衣一枚で外に出て、温泉街を散策をすると、当然身体が冷える。


身体が冷えたら、途中に点在している外湯に入るのが最高に楽しいのだそうだ。


夫は、野沢温泉に行くと地獄と極楽は紙一重である事が良く分かると言ったが、私には、よく分からなかった。


私が、行った事もないのに分かるかい、と言うと夫は、じゃあ、次回は野沢温泉に行こうと言ってくれたので、今から楽しみにしておきます。

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