第12話 宮藤先輩

 八月五日の木曜日。ついにブロック大会の本番まで一週間を切った。

 準備を始めた時にはまだまだ先だって思っていたけれど、気づけばすぐそこに迫っている。


 時間がたつのは早いなぁ。高校生活って短いなぁ。

 時間の長さだけで考えたら高校生活はまだ折り返し地点手前だけど、もしブロック大会で落ちてしまったら演劇部は引退だ。だから部活の意味での高校生活は終わってしまう。

 ……あ、文化祭があるか。コロナで中止されなかったらだけど。


「ねぇ、絵里。今日、冷やし中華の麺って長くない?」

「え? そんな違いってあるの? ていうか、もしそうでも気づかないよ。眞姫那、何? 冷やし中華の麺に特段のこだわりを持ってるわけ?」

「私、何キャラ? じゃなくて、まー、夏休みだからレシピが変わってたり、麺の業者が変わったりしているのかなって」


 古びた白い天板の長机から、厨房を見やる。

 いつもの食堂に平常授業日の活気は無くて、カウンターにもおばさんが一人立っているだけ。

 食堂内には生徒たちもまばらだった。


 洛和高校ではお盆休みを除いて、夏休みの間も食堂を一応あけてくれている。

 部活や補習でやってくる生徒たちのため、あと寮暮らしの子や先生方のためだと思う。

 メニューはグッと減らされているのだけれど。

 ちなみに今日は日替わりランチと冷やし中華だけ。


 私も眞姫那も冷やし中華が好きだから、今日は二人とも食堂で食べている。

 なんというか今日から始まるゲネプロにむけて、気合いをいれる意味も込めて。

 長い麺をジュルジュルジュルジュル。――あ、本当にちょっと長いや。


「長いでしょ?」

「うん」

「緊張してるでしょ?」

「うん?」


 目の前で冷やし中華を平らげた眞姫那がニンマリと笑う。

 なんのことだろう、と思って、「あぁ」と気づいた。

 宮藤先輩のことか。


「絵里が、宮藤先輩と会うのっていつぶりだっけ? 卒業式以来だっけ?」

「ううん、もう一回会っているよ? ゴールデンウィーク頃に一度脚本のことで」

「え、あたし、知らないよ? 何それ」

「全部を全部、眞姫那に報告しているわけじゃないんだからさ。言ってないこともあるよ」

「あら、絵里ってば、意外に油断も隙もない」

「そんなんじゃないってば。単純に脚本使わせてもらうわけだし、練習始める前に作者の意図とか確認しておきたいでしょ? いくら先輩が『村越の好きに創ってくれたらいいよ。僕も自分の作品がどう料理されるのか楽しみだからさ』って言ってくれても、限度ってものがあるし」

「――今のモノマネ似てなかったよ?」

「してないから、モノマネ。だからお願いして、出てきてもらったの」


 なんとなく思い出す春先のマクドナルド。

 そういえばあの日は私服だったし、何を着ていくか、やたら迷っちゃったっけ?


「なるほど。そういう言い訳で見事にデートに誘い出したわけですな」

「どうして、そっちに結びつけるのよ。本当にそんなんじゃないからね!」


 そう言って私は、最後の一口を啜り上げた。

 冷えた麺が口の中に吸い込まれていく。

 酸味の利いた味が身体を生き返らせて、夏らしさが味覚から広がっていく。


 これが最後の夏になるかもしれないけれど。

 それでもコロナに夏を奪われるよりかは、ずっといい。


「――そういえば連絡きてたよ。爽香先生から聞いた。夏のブロック大会。予定通り、開催だって」

「良かったね」

「うん」


 *


 ご飯を食べ終わり、クーラーの効いた図書室でこっそり涼んでから大講堂へ戻る。

 今日は2時から通し稽古。一通りの流れを確認してから、4時からゲネプロだ。

 宮藤先輩は昼からきて通し稽古から見てくれるって言っていた。


「そういえば、先輩の大学の友達って、どんな人だろうね。高校演劇の経験者なんだよね? ヘルプしてもらえるってラッキーだよね」

「うん、そうだね。今日のゲネプロ、ピンスポ足りないところだったもんね」


 サポートで来てもらう予定だった友人が夏期講習で駄目になって、困っていたのだ。

 宮藤先輩だけじゃなくてゲネプロはOBや三年生の先輩が来てくれるんだけど、何だかんだで人が集まるのは最終日かその前日のゲネプロ。初日は人気がない。

 わかるよ。私が逆の立場でもそうしそうだし。

 祇園祭で宵山と宵々山が盛り上がるのと一緒だよね?


「でも、そんな中で初日にヘルプ連れてきてくれる宮藤先輩って、控え目に言って神だよね」

「さすがの宮藤先輩よねー」

「絵里姫憧れの王子様ですものね」

「首締めるわよ?」

「ひええ」


 眞姫那が悲鳴を棒読みしたところで大講堂エントランスの階段を上がり、扉口にたどり着いた。

 外開きの大扉が開くと、Tシャツ姿の楡井くんがぬっと顔を出した。


「あ、お疲れ様っす」

「おつかれ〜」


 陽気に右手をあげて返す眞姫那の隣で私は無言で小さく首を前に出した。

「ども」って感じで。楡井くんも「ども」って返す。


 どうにもあのゼロで待ち合わせた賀茂川の日以来、こうやって面と向かうと話しずらい。

 いろいろ打ち明けあってしまったわけで、へんな気恥ずかしさみたいなものがあるのだ。

 向こうもそれは同じみたいで、練習時間以外は微妙に避け合うみたいな関係にあった。


 でも、お芝居自体は楽しくやれている。

 そこに齟齬はない。私たちはちゃんとチームになれたと思うんだ。


 首に掛けた空色のタオルで汗を拭いながら、楡井くんは「あ、そうだ」と体育館の中を振り返った。


「――宮藤先輩、来てますよ」

「本当?」


 その言葉に思わず反応した。生唾を一つ飲み込んだ。三ヶ月振りの宮藤先輩。

 先輩が来てくれた。ついに宮藤先輩に会える。私たちのお芝居を見てもらえる。

 先輩に託された脚本と、洛和高校演劇部の演出というバトン。その成果を見てもらうんだ。


 扉を抜けて、木目模様のフロアに足を踏み入れる。

 ステージの手前、他の高二の部員と談笑する白いシャツ姿の男性が立っていた。


「宮藤先輩だぁー!」

「おー、川添。調子はどうだ?」

「サイコーっすよ。でも、その好調は今日のステージで、見せつけて差し上げますゼッ!」

「言ったな、こいつ」


 眞姫那が先に先輩にじゃれつく。

 宮藤先輩はみんな好かれているから、眞姫那とも仲良しだ。

 ひとしきりじゃれ合った後、先輩の視線がふとこちらへ向けられた。

 その深褐色の瞳が、私を捉える。先輩の視界に私が入る。

 私という、この存在が、宮藤先輩に認識されている。


「村越。おはよう。舞台はどうだ?」

「おはようございます。それは今日確認してください。……きっと、悪くないと思いますよ」

「おぉ。脚本家を前に言ってみせたな。これは楽しみにせざるをえないなぁ」

「先輩、絵里にプレッシャーを掛けないでくださいよ。先週だってリハーサルで、そのチキンっぷりを晒したばっかりなんですから」

「こら、眞姫那! いらないこと言わないでよっ!」


 そんな私と眞姫那の掛け合いを、宮藤先輩は楽しそうに笑って眺めていた。

 なんだか先輩の笑顔を見ているとホッとする。

 その時、私は先輩の左後ろに立っている女性の存在に気づいた。

 知らない女の人だ。……誰だろう?


「ん? ――ああ、村越と川添には紹介がまだだったな。今日、一緒に練習を見て、あと照明のヘルプに入ってくれる西脇佳奈さんだ。福岡の方の高校で演劇やっていたから、舞台知識はあるから安心してくれていいよ」


 その女性は「はじめまして」と一歩前に足を進めた。

 ヒールのあるパンプスで上品な黒いストレートのパンツ。白い涼しそうなブラウス。

 肩まで延びたサラリとしたボブヘアを掻き上げると耳には青い石のついたピアスが見えた。

 綺麗な人。大人の女性だ。――私とは随分と違う。


「――はじめまして。今日はよろしくお願いします」


 思わず頭を下げる。

 顔を上げると、彼女は「気にしないで、私も高校演劇、久しぶりでワクワクしてるの」と両手を振って困ったように笑った。

 やおら、その後方から誰かが声をあげる。


「宮藤先輩の彼女さんなんだって〜!」

「こら、お前、やめろよ。あんまり茶化すな! あんまりからかうようなら、ゲネプロ手伝ってやんねーぞ!」


 振り返り、宮藤先輩は冗談っぽく、犯人を羽交い締めにしにした。

 残されたその綺麗な女の人は、バツが悪そうな苦笑いを浮かべていた。


「本当に先輩の――彼女さんなんですか?」


 私はなんとか、その質問を絞り出した。


「――うん、まあ、そうね。宮藤くんとは仲良くさせてもらっているわよ。あなたの話も聞いているわよ。村越絵里さん」


 そう言って彼女ははにかむような――大人びているのに可愛らしい、そんな笑顔を浮かべた。

 私の知らない世界で宮藤先輩が出会い、選んだ、私の知らない女の人が、私の持っていない表情で、私のことをを見つめている。


 心の奥に広がる夏の海岸線で、潮がすぅっと引いていく。

 何が起きたのかわからないけれど、そんな心地がした。

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