第13話 先輩の彼女

 ゲネプロ前の通し稽古。真夏の下手袖はやっぱり暑くて埃っぽい。

 照明くんや音響さんが緊張気味にセッティングを確認している。

 ゲネプロじゃないけれど、伝説級の先輩が観に来ている訳だから緊張もするんだと思う。


 大会本番のプレッシャーに比べたら大したことないとは思うけれど。

 最終週の練習に入るにあたって刺激が入るのは、演劇部にとって良いことなのかもしれない。


「絵里、大丈夫?」


 衣装の制服姿になった眞姫那が、心配げに声をかけてくる。


「何が?」

「先輩、彼女連れてくるなんて、……ちょっと配慮足りないよね」

「なんで? 助かるじゃん。演劇経験者ってことだし」

「そういうことじゃなくってさ。うーん、でも、まぁ、絵里がいいならいっか」


 どうやら眞姫那は、先輩が彼女を連れてきたことを私が気にしていると思っているらしい。

 心配性だなぁ。

 だから何度も言っているのに。「そんなんじゃない」って。


「なに? 村越先輩、あんなのがいいの? 優男じゃん。ただのイケメンじゃん」


 いつの間にか後ろに立っていた、楡井くんが、首を突っ込んできた。

 相変わらず、遠慮というものがない。デリカシーも。そして先輩相手に失礼だぞ。


「うっさい。だまっとれ。男の嫉妬は見苦しいぞ」

「あ、酷いっすよ、川添先輩。パワハラっすよ」

「じゃかあしい! お前は眼鏡の縁が太すぎるんじゃ!」

「うわー。そうやって人の身体的特徴をあげつらって罵倒するのって、ハラスメントの典型的っすよ! ……って、あ、眼鏡は身体的特徴じゃないか」


 なんだか楡井くんは自己解決したみたいだ。


 いつの間にか楡井くんは眞姫那に頭が上がらなくなっているみたいだ。

 ちょっと面白い。掛け合いも。


 きっと今年は、この二人が、うちの演劇部の二枚看板になるんだろうなぁ。


 二人共、スタイルが良くて、華があって、演技のセンスもピカイチ。

 もしかしたらブロック大会では話題になるかもね。


 ふと脳裏に、宮藤先輩の彼女さんの表情が浮かぶ。

 あの人も綺麗な人だった。スタイルも良くて、華があった。

 舞台の上に立ったら、どんなお芝居をするんだろう?

 高校生の時、福岡でどんな舞台を創っていたのだろう?

 今は大学で、宮藤先輩の舞台で、あの人がヒロインを演じているのかな?


 そう考えると、なんだか胸の奥で今度はさざなみが広がった。

 その中に、いくつもの渦が生まれ始めた。

 ぐるぐると回る液体が、私の心臓を、肺臓を、あらゆる内臓を抱え込むように濁流を作る。

 頭の上から、少しずつ、血液が、その渦の中へと、吸い込まれていく。


 私は今、なんの為に、どこに向かって、何をしようとしているんだろう?


 洛和高校演劇部の練習場所。

 大講堂のステージ。

 緞帳裏。

 四〇度に迫りそうな気温の中。

 左手に見えるホリゾント幕に、赤と、白と、緑のホリゾントライトが投射される。

 そしてやがて世界は青一色に染まった。

 プロローグの、その色に。


「照明準備中できましたー」

「音響もオッケーでーす。緞帳のキューください。いつでも始められます〜」


 宮藤先輩が見ている。

 私の大切な人。

 私の憧れの人。

 ずっと好きだった舞台を作った人。

 この演劇部に入るきっかけをくれた人。


 だから、先輩の脚本を、私が形にするから。

 みんなと。

 一緒に。


 先輩が選ぶのが、あの人でも。

 私は、私は――って、あれ? あれ? あれ?


「――絵里、キュー出しだって」

「え? あ、うん」

「大丈夫? ……顔色悪いよ? スタート遅らせてもらおうか?」

「う……ううん、大丈夫。心配いらない。大丈夫。やれる。――先輩に、ちゃんと見せよう。まずは立ち稽古だけ」

「――だね。それでこそ、あたしらの演出だ」


 それでも今は演出であることを忘れる。

 下手袖に入ったら、私はキャスト。

 ちゃんと演じきる。

 宮藤先輩の前で。

 まずはこの立ち稽古で。

 ――先輩の彼女の前で。


 両膝に当てていた手を離し、上体を起こす。

 振り返ると私は声を張った。


「じゃあ開演! お願いしまーす!」


 緞帳の中の地明かりが落ちてステージが暗転する。

 そして灯る、序幕のセットアップ。


 私は大きく息を吸った。

 胸の奥に渦巻き続ける液体の流れを、懸命に整えるように。


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