(二)

 秋の空とはいえ、昼前ともなると日差しは強い。

 通り過ぎてゆく人足たちの、汗の臭いがした。

 上半身裸の筋骨逞しい男たちを一瞥すると、時折に刀傷などが見える。仕事のない牢人たちなのかもしれぬ、と伊織は思った。

 各地でお取り潰しになったという家は幾つもある。一つの家が潰れると、そこに仕えていた武士は多くが牢人となった。帰農して百姓となる者もいたが、そのほうが幸せだろう。伊織が生まれ育った村では、まだ半農半士の侍というのは珍しくも無かった。むしろましな部類に入る。

 主家を無くした侍の多くは、ろくに仕事もできない者が多い。まだ戦国の遺風を残している時代である。

 そのような者達は、今の時代では新たな仕官先を得るというのは不可能に近い。ある程度の経歴があるのならばまた別ではあるが、大坂の陣を最後に、戦さは絶えて久しい。細々とした諍いは消えずとも、もう新たに武功を得るなどということは不可能であろうと思われた。

 戦国から泰平への過度期――寛永年間というのは、そのような時期であったのだ。

 この頃の牢人がどれだけの数がいたのかについては諸説あるが、最大見積もって五十万人もの武士が牢人者として世間に溢れていたという。勿論、それは全国あわせてのものであって、一つの都市に集中していたという訳でもないのだが。

 勃興期の明石城下町での建築土木工事などというのは、その日暮らしの牢人にとっては格好の仕事であるに違いない。


(この中の何人かは、やがてくるはずの戦乱を待ち望んでいる者もいるのだろうか)

 

 そんなことを、伊織は思う。

 いずれ小笠原家の家老にでもなって、藩政を左右する立場となることは半ば約束されている。

 それゆえに、彼は道行く者たちの想いを考えざるを得ない。

 もしかしたら、伊織の父である新免武蔵の如き剣豪として名を馳せ、何処かの家中に指南役としてもぐりこめないかと雌伏している者もいるかもしれない。

 先日聞いた清川殿の言葉からすれば、そのようなことを夢見て兵法者になった者は数多くいるはずだ。

 しかし――それは大いなる勘違いのようなものだと、伊織は思う。

 所領を経営をするために必要なのは算盤などの才幹であって、槍働きなどはなんの足しにもならない。

 そのようなことができる武士というのは、全体でいうとまだ少数派だが、直にそのような能吏の如き武士ばかりになる。

 いつまでも剛勇の士を抱えることが誉れになる、そんな時代は続かない。


(所詮、兵法の流行りも一時のことに終わるだろう)


 そう遠くないうちに、下火になる。

 伊織はそのように思っていた。

 そしてそんな時代になった時、養父たる武蔵はどうするだろうか。


(どうとでも、するのだろうなあ)


 あまり考えたくない人であるが、考えるほどに多才多芸、兵法だけの人ではない。むしろ、兵法が余技であるくらいの勢いで、なんでもこなす。

 学識もあって、話せば面白い。

 彼の主君の小笠原忠政公も、他の幾人もの大名たちも、こぞって御伽衆として抱えようとするのは当然ではあったが。


「そうですか。武蔵様は、今日はお寺の庭の造園の相談に呼ばれたんですか」


 こともあろうに、仇と狙うゆうの口からそのように感心したように言われると、なんだか不思議な気分がしてくる。

 色々と言いたい気分であったが、何を言ってもこの場合は不適当な気がして、結局は。


「そうです」


 と言った。

 言ってから、もう少し言い添える。


「義父上は、色々とできる人です。他に、絵や彫刻などもこなします」

「それは凄いです」

「凄い人です」


 家族からすれば、かなり迷惑な人でしかないのだが。

 その言葉は飲み込んだ。


(たつぞうは早く戻らぬものか)


 伊織はゆうと二人で歩きながら話しているが、たつぞうがふいと姿を消してからもう一刻(二時間)近くたつ。

 未だに帰ってこない。

 通行者の邪魔にならないようにと少し移動したから、それで見失ったなども考えられるが、何かと目端の利くあの年寄りのことである。すぐにでも自分たちを見つけ出すことができるはずだ。

 そうならないのは、そうしない理由があるからだろう。


(多分、おかしな気をまわしているのだな……)


 伊織にもそれくらいの察しはついていた。

 何処かで自分らを監視しているのだろうが――


(あとで叱らねばならん)


 あまり年配者を叱り付けることはしたくないのだが、当主としてはケジメをつけねばならない。

 そんなことを考えつつ、伊織はあれこれとゆうに説明していた。 


「それで、今日は造園の指図をして欲しいのだということで、家におられぬのです」


 武蔵自身は屏風絵だのがまだ仕上がってなかったので気乗りはしていなかったようだが、そろそろ下見だけでもということでせっつかれていたらしい。植木などは冬にするものだからである。

 ゆうは先ほどよりも驚いているようだが、無理もないなあと伊織は思う。

 城下町の町割りなどは、まだ兵法者が関わる余地がある。

 城下町というのは城塞都市としての機能が期待されているもので、それは要するに築城の一部と言えるからだ。

 天真正伝香取神道流などの兵法の流派には築城術が伝わっているというが、武士と土木建築技術というのは不可分のものでもあった。

 これは古代の大陸からそうで、領主は治水などの土木ができないといけなかったのである。また、近世までの戦争というのは拠点防御とその奪取の繰り返しでもあった。砦や城を作るためのそれらの技術は、要するに軍事技術でもあったのだ。

 城普請は戦国武士にとっては出世の糸口であったともいわれ、太閤秀吉も織田家でそれを勤めていたというのは有名な話だ。

 武蔵は城を持ったこともないし砦を築いたということもないのだが、この時代の武士が建築土木技術を持っているということはさほどにおかしくはない。

 だが、寺の造園などというのはまた少し違った分野の仕事となる。

 こちらは土木というよりも――芸術の領分だ。

 勿論、それなりの技術が必要となるのだが、もっとも肝腎なのは数寄の心得である。

 そして数寄とは形式の美でもあった。古くから伝えられる作法があり、それをどう組み合わせるかも含めて感性と知識がないとそれを読み解くことができない。

 侘び寂びだのといったものにも一定の形式があるのだ。

 だから、寺の造園などを任されるというのはただの武士ではなく、数寄者としてもそれなりに評価されていることの証明であった。まして今をときめく小笠原家の城下の寺での仕事ともなれば、そうそう簡単に選出される人選ではない。


「本当に――武蔵様はなんでもやれるんですねえ」


 ゆうの言葉に伊織は振り向いたのは、声に何処か哀愁ともいうべきものが感じられたから――だけではなく、何か誇らしげなものが混じっていたと察したからであった。


(ふーん?)


 横顔を見つめていたが、やがて。


「興味があるのなら、すでに作られている庭を案内しましょう」

「本当ですか?」


 少しぽかんとしてから喜色を浮かべるゆうを見て、伊織は少し戸惑うように躊躇してから、しかしはっきりと頷いた。


「善楽寺というところにも、父上が作った庭があります。そこはかの光源氏が住んでいたという話もあって……」


「面白そう! 是非ともつれていってくださいな」


 子供のようにはしゃぐ、ゆう。

 伊織無言で頷き、この自称仇討ちの娘を案内するのだった。

 


    ◆ ◆ ◆


 

 もう少しで日も暮れようかというところで、散策も終わりになった。

 たつぞうは結局、姿を現すこともなかった。 

 それで伊織は一人でゆうを宿へと送り返すことになった。

 それで目の前の辻を曲がれば到着というところで……彼女は足を止めた。

 伊織が眼を向けると、深々と頭を下げるゆうの姿があった。


「どうも、今日はありがとうございます」


 刀を抱えて、彼女はいう。


「仇討ちなどといって押しかけた素性も知れぬ女に、よくもこれほどの親切をいただいて」


 感謝のしようもありません――と、頭を下げたままに告げた。

 伊織はこほんと咳払いをすると、「頭を上げてください」と言った。


「父上に命じられてしたまでのこと。私に感謝することはない」


 自分としては気は進まなかったのだと、そこまでいう必要はないかと伊織は内心で考える。しかしどう言葉を続ければいいのか解らない。解らないままに声をだした。それでもさすがに、考えのない、思ってもいないようなことを口走ったりはしない。


「それより――」


 と出した時、解らないなりに出した言葉に意味ができた。どう続けるべきなのか、どういう話をすべきかについて覚悟が据わった。

 伊織は、ゆうが顔を上げるのを待った。

 そして。


「貴女は、本当に父上を仇と狙っているのですか?」


 あえて、言わなかったことだった。

 そう。

 仇と仇討ちの間柄としては、武蔵もゆうの態度もあまりにも不自然に過ぎた。

 確かに武蔵という人の行動は普段からどうにも理解しがたいものがあるのだが、ああ見えても兵法者だけあって用心深い。敵とあれば例え女だろうと油断するはずもないし、必要もないのに容赦をするとは思えない。

 それなのに。

 何度となく武蔵はゆうを殺す機会があった。にも関わらず、殺さずに適当にあしらっている。いや、伊織の目からしてみれば稽古をつけているようにさえ見える。まかり間違っても、自分を仇と狙う相手にすることではないし、仇にそのような真似をされて許容するというのも妙なことだった。

 女とは言え――武家の者のはずなのに。

 武家の者が、仇と狙う者にいいように扱われて、耐えきれるものなのか。


(あなたは何者なのだ?)


 伊織は眼差しに力を込め、ゆうはまっすぐにその視線を受け止めた。

 受け止めた上で、瞼を閉じた。

 何を考えているのか、傍目に解らない。

 懊悩しているようにも見えたし、面倒くさがってるようにも感じた。

 やがて。

 眼を開けて。


「武蔵様が、私の身内を殺したのは確かでございます」


 と言った。


「すぐる慶長十四年のことでございます」

「それは――」


 随分と前だ。

 自分が生まれるよりもずっと前。

 ざっと二十一年前――伊織の父である武蔵でさえも二十四歳であったという頃だ。


(そういえば、父上は二十年以上前と言っていた、な――)


「場所は?」


 と聞いたのは、より細かく知ろうとした場合、他に聞くことは多くなかったからであるが。


「下関沖の、船島という小島でございます。今は――岩流島と呼ぶ者もいますが」

「岩流――島」


 そういえば、最初の口上で船島云々とは言っていたのだと思い出す。その後のあれやこれやですっかり忘れていたが。

 しかし、岩流島などとは、聞いたことがない。

 恐らくはその島をそう呼ぶ者は、地元のごく少数だけなのだろう。

 下関といえば長門で、播磨の明石からはそう極端に遠いというわけでもないが、伊織はさほどに注意を払ったことはかった。

 それでも、父がかつて決闘をしたとかの話があるのならば多少は耳にしていたことがあっても……とまで思ったが、よく考えれば二十八年も前といえば世代は完全に入れ替わっている。そこまで時間が経過していると、もはや言い伝えだの伝承だのと呼ぶべきものしか残っていないに違いない。


「そこで、岩流なる者と父上が試合をしたというのか」


 そして、勝った。

 当たり前だ。

 だからこうして、のうのうと面白おかしくも楽しそうに人生を謳歌できているのだ。

 ゆうは、軽く首を振った。


「武蔵様は岩流を船島で撲殺しましたが――それは、勝負をしてのものではございませんでした」

「――――」


 それは。

 どういう――意味なの、か。

 質問を重ねようとした伊織に、ゆうは何処か切なそうに微笑んで見せた。

 開きかけた口を閉じ、また何かを言おうと開けた伊織であったが。


 新免武蔵は天下無敵

 六十余たびと戦えど

 一度も負けたこともなし

 強い強いと皆称える

 されども武蔵が申すには

 我が強いはさにあらず

 相手がみんな弱いだけ

 

 唄だ。

 歌詞は少し違うが、節回しからして同じものが原型なのだろう。このようなものは伝わっていく内に変化していくことがままある。

 伊織はそれを黙って聞いていたが、意味が解らなかった。

 唄の意味ではない。

 どうして、この唄をゆうが口にしているのかが、解らなかったのである。

 歌いおえたゆうは、微笑みのままに言った。


「どうして、こんな唄が広まったんでしょうね――」


 答えを待たず。

 ゆうは軽く一礼すると、ふわりと踵を返して立ち去った。その姿が辻の向こうに消えてなくなるまで見送る他はなかった。

 伊織の隣に、いつの間にかたつぞうが現れていたが、しばらく立ち尽くしていた。

 


    ◆ ◆ ◆


 

 二人が帰ると、武蔵はすでに寺から帰宅していた。

 それは予想されていたことだが、姫路から緊急の文が届いていたとも留守居の者に告げられて「ああ、三木之助殿からか」と伊織は頷く。

 姫路宮本家の宮本三木之助は、先述したが伊織にとっては系譜上の兄にあたるのだが、家が違うということもあってほとんど顔をあわせたこともなく、伊織は彼を兄と呼んだことはない。

 その三木之助からの手紙が武蔵宛にくるというのは、そう珍しいことではなかったが。


「なにやら、その場で読まれていつになく険しいお顔をされました」


 といわれると、心配になる。

 少し躊躇したが、伊織はすぐに挨拶へと武蔵の部屋へと向かった。


「ただいま戻りました」


 襖を開けて挨拶した伊織が見たのは、畳の上に広げられた手紙を難しい顔で眺めている新免武蔵であった。


「うむ」


 と声だけは鷹揚に伊織を迎えた武蔵であったが。

 ふわりと立ち上がると告げた。


「伊織、面倒なことが起きておる」

「は」


 その場で畏まる。決して問い返すなどというような無礼はしない。

 武蔵という人が何を考えているのか解らないし、言動はいちいち適当だが、それでも一流の兵法者であり、武士である。面倒事といえば危急存亡の大事とまではいかずとも、荒事の類であるというのは容易に察せられることだ。

 天下無双の兵法者、新免武蔵守藤原玄信は告げた。


「まあ、それはそれとして、久々に乱舞の稽古をしよう」

「は――――はあ?」


 伊織は、今までの人生でもほとんど覚えが無いような、間抜けな声をあげた。

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