四の段 伊織、非番の日に夕と出歩く事

(一)

「伊織、今日はお前が相手をしろ」


 と武蔵は言った。


 ゆうが来てから五日目のことである。

 たまたま非番の日である伊織は、朝餉の食膳がくるのを待って座していたところで、差し向かいの武蔵にそう言われた。

 正直、意味が解らなかった。

 相手というのはつまり、先日までの通りに敵討ちにきたゆうを相手にで返り討ちにするということだろうか。他に考えようはないのだが、念のために聞いてみた。


「そうだ」


 武蔵は、「なんでこんなことを聞くのだろう」とでも言いたげな顔をしていた。

 無茶だ、と伊織は思った


「相手と申されても……私は乱舞の類しかできませんが?」

「いや、謡曲十五徳というのがあってだなあ」

「父上――」


 それはもう聞きました、と言おうとした伊織であるが。


「見せてやっただろう?」


 そう言われ、黙り込んだ。

 脳裏に、先日にゆうと対峙した際の武蔵の足捌きが甦った。

 この時の伊織がどういう顔をしたのかは当人には解らなかったが、じっと見ていた武蔵の方が「ふーん」と呟いて。


「それでは、町を案内してやれ」


 そう言われた。


「案内」


 問い返すでもなく、伊織はその言葉を繰り返した。


「案内――というと、ゆう殿を?」

「うむ。ゆうも明石にきてから日が浅い。まだこの辺りのこともよくしらんだろう」


 それは、そうだろう。

 不慣れな土地に馴染ませるために、案内する――それ自体は常識的な行為だ。

 だが、相手は自分を仇と挑む娘であり、その案内を血の繋がりはないとは言え、家長である養子の自分にやらせるというのは、尋常な話ではない。

 いや――。

 伊織の脳裏に閃くものがあった

 もしも、


「父上」


 と今度は押し潰した声で、重く言う。 

 その口調と眼差しに武蔵は何かを感づいたものか、「ふん」と鼻を鳴らして。


「ゆうに聞け」


 そう言われると、伊織は従うしかなかった。

 


 ……そんなわけで、伊織は明石の城下町をゆうとたつぞうを連れ立って歩いているわけである。

 ゆうが泊まっているという宿はたつぞうが知っていた。

 誰かに聞いたというのではなくて初日にゆうの後を追わせて所在地を確かめておいたのだという。

 その辺りの手際はさすがだなと思ったが、思ってから当然としてすべきことをしただけなのだとも思い至る。自分の身内を仇と狙う相手がいるのだから、その相手の情報を得ようとするのは当たり前のことである。

 孫子に曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからず――などと、わざわざ兵法書の一節を引用するまでもない。

 自分がそのことを考えなかったのが、おかしいのだ。

 もっとも、どうしてそれを考えなかったのかということについても理由は解っていた。


(父上に関係することだからなあ)


 やはり無意識のうちに避けていた――ということだろう。

 そして、たつぞうの案内の元でゆうを訪ねたのだが、さすがに一家の当主たる身の伊織が、共もほとんど連れずにやって来るということは予想していなかったらしく、ひどく驚いた様子だった。

 伊織はなんとなく溜飲が下がる思いがした。ただし、「明石を案内しよう」というと「解りました」とすぐ応じられ、それもすぐになくなったのだが。


(父上も常識からズレている人だが、この人も相当なものだ)


 と伊織は内心で溜め息を吐いていたのだが、ゆうはそんなことを知らぬげに、たつぞうは何処かこのおかしな状況を愉しそうに同道していた。


「改めて、明石の城下町は活気がありますね」


 いつも宮本家を訪れる衣装に野太刀を抱えるようにして歩きながら、ゆうは言った。


「うん」


 伊織は素直にそれを肯定した。

 たつぞうは「へえ」と追従してから。


「明石の城下町といえば、昔は船下城の、船下村をさしていたものですがね」


 と言い添える。

 伊織はその説明をさらに補足した。


「明石舟下城か。殿も最初は、そこに入られたと言うが」

「そうなんですか?」

「私はその時は幼くて来たことがないが、かつて高山右近様が明石船下城をお作りになり、そこに城下町があるとは聞いていたことがある」


 キリシタン大名だったという高山右近の支配地であったのだから、往時は南蛮人もよく往来していたとか、切支丹の寺院もあったとか、そのような話を伊織は寝物語に聞かされたものだ。


「私はもう少し内地の米田の育ちで、いつかそのうち、船下に行きたいと思ったいたが」

「あちらは、すっかり寂れてしまいましたねえ」

「そのようだな」


 元和三年(1617年)に小笠原忠政がこの地に転封された時も、その船下城へと入ったそうなのだが。

 しかし、翌年になって将軍秀忠の命によって新たに明石城を建設せよということになり、城下町もまた新たに作ることとなったのである。それで作られたのが明石城であるが、かなりの突貫工事であった。そのために随分と無茶をしたという。

 何せ近隣の廃城やら神社などを壊して材料として集め、京都の伏見城の一部を移築までしたというのだから相当なものである。

 そうして城そのものは数年でできあがったのだが、城下町の方はというと、実はまだ完成していなかった。

 新たに町そのものを創出するのだから無理もない。

 そのために明石城下は人や木材を載せた大八車の行き来で賑やかなものとなっている。とは言っても、長らく明石に住んでいるたつぞうに言わせると、一番騒がしかったのはやはり城を作っている途上であったとのことで、その時期に比べると大分と落ち着いてはいるそうだ。

 城を作っていた頃と言えば、伊織が生まれ育った米田村からも多くの人が仕事やらの都合で往来していて、まだ幼い時分のことだったのだが、そんな荒々しくも賑やかな様子は確かに記憶に残っている。


「一番盛り上がっていた時期は過ぎたが、まだ活気は続くな」


 噛み締めるように言うと、たつぞうは「へえ」と相槌を打つ。


「とはいえ、いつまでたっても終わりが見えませんな。いつ頃になったら終るものやら」

「うん。まあ、この調子でもあと十年かそこらはかかるかもしれないな」


 たつぞうはまた「へえ」と答えた。

 ゆうはそんな二人の主従の様子を、なにやら興味深そうに眺めている。

 ちなみに、この明石城下町が最終的に全てが完成したのは慶安四年(1651年)であるというから、この寛永六年(1629年)からさらに二十二年もたった頃だ。開始した元和四年(1618年)から数えると、おおよそ三十三年もかかったことになる。


「父上の町割りが悪かったということはないと思うが……」


 とぼやくように伊織が言うと。


「ご隠居様の仕事に間違いはございませんよ」


 とたつぞうは応じる。

 ゆうは少し驚いたように目を広げた。


「ここの町割りを、武蔵様がおやりになられたのですか?」

「あ――ああ、そうだ」


 側で声を出されて、伊織は少しどぎまぎしながら答える。人の流れに飲み込まれないように歩いてゆこうとして、三人はいつの間にか身を寄せ合うようにしていたのだった。


「明石の城下町の町割りは、父上の仕事だ」


 極力興味などないという風を装うように、伊織は父の仕事を説明した。

 そもそもが明石城の建設には小笠原忠政だけではなく、姫路城の主である本多忠政が協力している。

 二人の関係は小笠原忠政が本多忠政の娘を嫁に貰っているという縁戚関係もあるが、小笠原忠政は徳川家康の曾孫にあたり、本多忠政の方はというと家康の孫娘で秀忠の長女の千姫を正室として迎えているという――天下人・徳川家康を中心とした関係からみた方が解りやすい。

 二代将軍秀忠はこの二人を重用していた。娘婿と舅で播磨を治めよ、という意向があったものらしい。そもそも一国一城の令はすでに出ていたのである。なのに姫路城があったのにも関わらず明石城は建設されたというわけで、その一事をとって出すだけでも、随分と両家は特別視されていたということが解る。

 この本多忠政と小笠原忠政が共に治世していた明石に、新免武蔵はいたのである。


「とは言っても、明石城の建設が始まった頃のご隠居様は、姫路に住んでおられましたが」


 とたつぞうは言う。

 ゆうは少し首を傾げる。


「姫路に?」

「へえ」

「三木之助殿らを養子とされていた頃だな。それ以前には明石に住んでいたというが」


 伊織は数度しか会っていない自分の義兄の名前を出した。もっとも、その頃の「三木之助」は彼の知る三木之助とは別の人物であるが、その辺りのことは説明しなかった。話がややこしくなる。

 たつぞうも「へえ」と相槌を打ち、言葉を継いだ。


「まあ、姫路に居を移したと申されても、ご隠居様はあの頃は三十五歳、今よりもなお、元気が有り余っておられました。月に二度三度と京にいったり明石に戻ったりと、せわしなかったものでしたな」

「京では藤原惺窩ふじわらせいか殿の元で林羅山はやしらざん殿と共に儒学を学んだとも聞くが――」


 伊織が言葉を濁したのは、詳細をよく知らないからであるが。

 それと、ゆうが何を言っているのか解らないという風な顔をしている。あまり細かいことに言及しても意味はないように思われた。

 藤原惺窩というとこの国に儒学を根付かせた人物で、林羅山はその弟子で通称を林大学頭。惺窩に見出された羅山は若くして家康に仕え、近年では三代将軍の徳川家光の侍講し、政策にも深く関わっているという――歴史に名を残す大碩学たちだ。

 その二人と武蔵は交流があったらしいが、ゆうにそのことを話しても意味はなさそうだ。


「ご隠居様が京でなされたことは、よく知りませんがね」


 とたつぞうは言った。

 こちらも気をかせて、話題を変えようとしてくれている。


「明石では、小堀遠州様と何度かお話をされてました」

「そういう話もあるな」


 天下の茶頭として豊臣秀吉に仕えた古田織部の弟子の中でも、特に名高いのが小堀遠州だ。明石城建設についても関わっている。


(しかしそんなこと、ゆう殿に面白いものか……?)


 他に振れる話題はなかったものかと、伊織はたつぞうを見るが、たつぞうはというと、どこか遠い目をして言葉を続けていた。

 単に自分が話したいらしい。


「ご隠居様が作庭などに手を出し始めるのはあの時分でしたな。何事も興味があれば熱中してしまう人でしたから……明石城下町の町割りという仕事には、随分と力をいれておられましたよ」


 どの程度のことをしたのかは伊織はよく知らないのだが、たつぞうは武蔵と共にその仕事について廻ったことがあるのだという。

 たつぞうは「へえ」と言って、当時のことを語りだす。


「とはいいましても、わたしは字がほとんど読めませんからな。学なんざこれっぽっちもないものですから。ご隠居様がどんなことを指図していたのかなどはサッパリです」

「はあ……」


 ゆうは、たつぞうの言葉を聞きながら何度も頷いていた。話が解っているのかいないのか、傍目にはよく解らない。ただ、無闇と感心しているということだけはよく解る。


「武蔵様は、色々とできるんですねえ」

「へえ」


 とたつぞうは言って、ゆうの進行しようとしていた方向に手を伸ばして制止させた。

 伊織もまた反射的にゆうの手をとって、引いていた。


「どいたどいたー」

「どかんと轢いちまうぞー」


 声が聞こえて、建材を載せた大八車が駆け抜けていく。


「気をつけないと、危ないですよ」


 とたつぞうは諭し。


「どうも、助かりました」


 とゆうは伊織の腕の中で頭を下げる。


「あ、いや……」

(何をやっているんだ、俺は……)


 伊織は慌ててゆうの手を離しながら、そんなことを思った。仮にも、彼の義父を仇と狙ってきているのに。

 その様子を見ていたゆうとたつぞうだが、ゆうもまた顔に朱を浮かべ、たつぞうは最初に伊織を見て、続けてゆうへと目を向けて「へえ」と呟いた。

 そして。


「埃がたちましたな」


 と言ってから。


「水か瓜でも買ってきましょう」

「そうか」

「こちらで探しますので、お二人は好きに回ってください」

「あ、おい」


 伊織の止める間もあらばこそ――

 たつぞうは、あっという間に人ごみにまぎれていってしまった。

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