拾参

翠の左から薙ぎ払う5本の斬撃は正確に膝立ちする文司を6等分する軌道を描く。

護慈はベッドで横に成っている様だが、女は文司に腰を抱えられて仰け反らされている。

刃は最初に文司に迫るが、護慈は護衛として文司に背後から迫る刃に気付き護衛の仕事に思考を切り替えた。

独学で鍛え上げた目で刃の軌跡を見切り、魔装の召還は間に合わない事を理解し脚を文司と刃の間に割り込ませる。しかし、位置的にも足の長さからもどうしても5本全てを防ぐことは出来ない。

刃は全てが必殺の位置を狙っている。上から頭部、首、心臓、腹、腰で上半身は即死、腹から下は応急処置の間も無く出血多量で死亡するだろう。

護衛として苦し紛れに鬼技で足の表面に岩の装甲を展開する。想定通り頭部意外の刃は岩の肌を割り込ませる事が出来た。

岩の肌に刃は確かに当たった。

それでも頭部を狙う斬撃だけはどうにも成らず、護慈の努力も虚しく文司の頭部は輪切りにされる。

そればかりか岩の肌で防いだはずの光の刃は岩の表面を削ぎながらも軌跡を変更せずに進み、岩の肌を通り抜けた瞬間に元の長さに戻り文司も女も輪切りにした。


「間合いが変わらない!?」


自身の身だけは鬼技で作り上げた岩で防いだものの、ベッドで寝転ぶ護慈には2人分の血肉がバケツの水を引っ繰り返した様に降り注ぐ。胴体も含めた切断面からは腸らしい細長い管状の内臓も縄の様に護慈に落ちる。

気持ち悪そうに死体を振り払い刃の発生源らしき廊下に続く扉を睨む。

護慈に壁の向こうを感知する術は無い。訓練や経験から常人よりは音に敏感だが床の高級絨毯のせいで足音はほぼ鳴らない。

直ぐにスーツのズボンだけ掴んで廊下に飛び出すと遠目だが廊下の角で走り去るスーツ姿が見えた。

直感的に文司殺害の犯人と確信して護慈は走り出す。

このまま室内の惨状が発見されれば護慈は容疑者の1人であり、仮に真犯人が見つかっても護衛としての仕事は激減するだろう。

ここで犯人を捕まえても護衛としての信用は地に落ちたが、だからこそ犯人は許しておけない。

必ず殺してみせると決意して身体に付着した血肉を撒き散らし、走りながら不安定な姿勢のままズボンを何とか履く。

犯人らしきスーツの男を追って廊下の角を曲がればそこはエレベータホールに成っており、エレベータが屋上に向けて動いていた。

動いているエレベータは1つだけ。

護慈は直ぐに上に向かうボタンを押して高層ビル特有の動作の早いエレベータに乗り込んだ。そのまま屋上にボタンを押し、直ぐにエレベータの天井扉を殴り開けてエレベータの上に懸垂の要領で上がり、直ぐ隣で動くエレベータの様子を確認する。

攪乱の為にどこかの階で止まる様な事は無く素直に屋上に到着し、護慈が乗るエレベータよりも先に扉が開き誰かの足音が鳴った。

エレベータの扉が開いた護慈が屋上に設置されたエレベータ用の小さい部屋に踏み出す。客室の有る階と異なり絨毯が敷いておらず足音が鳴った理由に納得して足音を追う。

小さい部屋にエレベータは3台止まれる様に成っている。部屋の隅には掃除用具が入っているらしい一般的なロッカーが有り、その隣には配電盤等の金属質な箱が壁から生えている。

そしてエレベータの正面には扉が有り、そこから屋上に出られる様に成っている。

護慈がエレベータから降りた瞬間に扉が閉まり、誰かが屋上に駆け出した事は分かる。

仕事を邪魔されたばかりか鬼ごっこに付き合わされた護慈は大きく息を吐いて苛立ちを落ち着かせ意識的に歩いて扉を開いた。

屋上はヘリコプターが停められる様に成っている為か扉を開くと夜景が広がっており、真っ直ぐな通路が直ぐに右に曲がって階段に成っている。

その先のヘリポートに向けて階段を登る人影が居るが、屋上に設置された照明が逆光に成って人相は分からない。それでも体格と影からスーツを纏った男だと判断は出来る。

階段を登る男の方も護慈には気付いている様で護慈を見下ろしながら手を大きく振ってヘリポートに誘ってきた。


「良いだろう」


護慈も男の動機はどうせ仕事だろうと思っている。

男は標的として、護慈は護衛対象としてしか文司の事は見ていない。

だから文司個人の死には何の感情も抱いていない。

ただ、護慈としては今後の仕事がやり辛く成ったので八つ当たりに近い落とし前を付け、次の仕事に繋げたいだけだ。

相手も文司と纏めて護慈を排除出来なかったので殺人の発覚を遅らせる為に誘っているのだろう。

光りの刃を使える事から魔装や鬼技を用いる相手なのは分かっている。

身体を解しながら階段を登り護慈はズボンからメリケンサックの様な物を取り出し右手で握る。そのメリケンサックは一般的な物と同様に金属の輪は有るが、握りが完全に別形状だ。

拳銃のグリップを思わせる形状をしており、人差し指は輪から外し引金を引く事が可能に成っている。

引金を引けばトパーズが仕込まれた撃鉄が自動で起き、本来なら弾丸が入る位置に設置されたトパーズと打ち合う様に作られている。

まだ階段を登り切らない内に護慈は引金を引き、自身の魔装を召喚した。

護慈の周辺に薄く黄色に発光する岩が複数現れ、その岩が割れて内部から装甲が出現し護慈の肩や胴体を覆っていく。破片と成った岩も装甲の無い部分に付着して鎧の様に変質する。

岩骸鬼(がんがいき)。

異端鬼、岩上家の魔装であり歴史的にも希少な防御を主体とした無手の鬼だ。

護慈が右手に握っていたメリケンサックは大型化し、肘から指先に掛けて杭打機が装備されている。剣の間合いよりも更に短い、完全に殴り合いを想定した装備だ。

階段を上がりながら、ヘリポートの逆光の中で文司を殺害したらしき男も左指を鳴らして魔装を召喚するのが見えた。

翡翠の騎士を思わせる装甲を纏い右手に十文字薙刀を持ち、左の肩から赤いマントを垂らし高層ビルの屋上と言う立地から発生する強風にはためかせる。

客室で見た5本の光刃の正体は分からない。薙刀にスリットでも有るのかもしれないが、逆光な事も有って護慈には確認出来なかった。

翡翠騎士はヘリポートの奥で待ち構えている。

岩骸鬼もヘリポートへ進み、発着マークの前で右手を腰に引き左手を前に突き出し構えた。

今更、何も話す事は無い。

仕事を完遂した者が後始末の為に薙刀を手にし、仕事を失敗した者が少しでも名誉を取り戻すために拳を握っただけだ。


▽▽▽


翠が屋上で翡翠騎士として岩骸鬼と対峙している頃、玲奈は廊下が少しだけ騒ぎに成っている事を察知していた。

本来なら防音が行き届いた部屋なので扉の外の音が聞こえる様な事は無いのだが、自覚の無い人外の聴力を持つ玲奈は廊下の騒ぎをある程度、聞き取っていた。

騒いでいるのは客では無くボーイの様で悲鳴等は上がっていないが非常に困惑した様子で他のボーイを呼んだ様だ。

翠の犯行が発覚したのかと思ったが話声を聞く限りはそうではない。廊下の壁に血らしき赤黒い液体が付着しており、よく見れば廊下の赤い絨毯にも血が付着している様だ。

ボーイ達は上司に連絡を入れつつ血の跡を辿っている。

恐らく犯行現場は直ぐに判明するだろう。

玲奈は事前に教わっていたドローンの操作を思い出しながら、自分のスマートフォンから翠が使っていたドローンを呼び出し回収する為に操作を始めた。


▽▽▽


翡翠騎士は右手1本で突き出した薙刀を左腕で防がれ魔装の性能差を痛感していた。

客室で光刃を鬼技の岩で防がれた時にも感じていたが岩骸鬼の防御力を突破出来るだけの攻撃能力は持ち合わせていない。しかし岩骸鬼も防御姿勢を取らずに薙刀を受けるのは避けたいのか、リーチ差で翡翠騎士は岩骸鬼を間合いに入らせない。

恐らく岩骸鬼が防御を捨てて踏み込んでくれば翡翠騎士は逃げに徹するしかない。

薙刀を両手持ちに切り替え左半身を岩骸鬼に向けて構え、突きの速度と威力を上乗せする。更に左肩の赤マントで左手の手元を覆って薙刀の軌道を隠す。

岩骸鬼から見れば両手持ちに成った事で上がった速度には対応出来る。威力も向上していたが岩の装甲で反りに合わせて流す様に受ければ傷も受けない。

だが、薙刀の方向を微調整する左手の手元がマントで隠れているのは拙い。

両手持ちに成った威力は受け方を間違えれば装甲が削れる。その為、通常よりも高い集中力を必要とする防御行動に成っており本来の戦闘スタイルに持っていく事が出来ない。

岩骸鬼の本来の戦闘スタイルは左手で敵の攻撃を受けながら装甲の表面が削れる事も構わずに踏み込み右手の杭打機で相手にカウンターを放つというものだ。

装甲を多少犠牲にする事に成る戦術なので消耗戦は避けたく、しかし翡翠騎士の長いリーチの攻撃は岩骸鬼にカウンターの隙を与えない。

魔装を動かすのにバッテリー等は必要無いが、鬼に成る時間が長ければそれだけ激しく体力を消耗する。

可能な限り短期決戦とする為、岩骸鬼は装甲を貫通されて肉体に攻撃を受けてでも間合いを詰める決意をした。

翡翠騎士の突きを受けたタイミングで今までは踏み止まっていたところを、強引に踏み出した。

薙刀の反りに合わせて受けはしたが、やはり岩骸鬼が踏み込んだ事で左腕の装甲は割れて剥がれ弾かれる。

生身の左前腕が露出しても踏み込む姿勢を崩さない岩骸鬼の決意を察した翡翠騎士も今までの様に薙刀を引く事はしなかった。

右腕を振り被り不撤退の決意を示す岩骸鬼を相手に後退しては押し込まれるだけだ。

薙刀を手放して膝を曲げ左半身を思い切り屈ませる。岩骸鬼が振り被った右腕の狙いを左肩に誘導し、マントに意識を集中して赤く発光させた。マントに隠して左肘を構え、杭打機ではなく右拳に向けて素早く打ち上げる。


「なっ!?」


杭打機の様な非常に強力な武装に正面から攻撃を打ち込んでくる者は居ない。

岩骸鬼が右腕が振り下ろす力が最大に成る前に翡翠騎士の左肘突きが岩骸鬼の拳を打ち上げ大きく弾き返す。

マントの下で左手の指にナイフを展開して光りに変質させ、右から左に向けて振り抜く。

既に左腕の装甲が破壊されている岩骸鬼は斬撃の向きに合わせて左半身で受ける事が出来ない。不格好では有るが翡翠騎士に半分背中を向ける様に右半身で斬撃を受ける。

その隙に翡翠騎士は前進しながら手放した薙刀を拾い上げてナイフを仕舞い再び両手で薙刀を構えて岩骸鬼に肉薄する。

たかが肘打ち一発で開いた距離は人外の膂力を誇る魔装でも3歩分だ。直ぐに薙刀の間合いに岩骸鬼を捉え、翡翠騎士は方向を読ませない攻撃を再開する。

左腕を防御に使えない岩骸鬼は先程とは異なり右半身を前にし左半身は完全に背後に隠す。

両手で振るわれる薙刀を右腕1本で捌くのは容易ではなく、次第に岩骸鬼は本来の防御を諦め後退を始める。


「くそがっ!」


一気に飛退いた岩骸鬼は悪態を吐きながら着地と同時に右手を地面に叩き付け、ヘリポートの床を右手で抉り取って左から振り払う様に翡翠騎士に投げ付けた。

弾丸の様な速度で飛来するコンクリート片を発光させたマントで防御しつつ翡翠騎士は薙刀を右手の片手持ちに変え前進の姿勢を見せる。

岩骸鬼はコンクリートを振り払う様に投擲した姿勢を利用して右腕を振り被る事に繋げ、翡翠騎士に目掛けて拳を振り下ろす様に踏み込んだ。今までの翡翠騎士の踏み込みから算出した間合いを考慮し、更に止めを刺す為の渾身を想定した計算だった。

しかし、その間合いを読んだ踏み込みは不発に終わる。

踏み出す姿勢を見せていた翡翠騎士はただ薙刀を振り被っただけであり、その薙刀の穂先が光に変質していた。


「嵐牙転刃」


静かに響いた呪文に合わせて薙刀の光刃が振るわれ、右手を床に打ち下ろした事で岩骸鬼の背中から顕わに成った左手を切断する。

腕を切断された強烈な痛みに岩骸鬼は悲鳴に近い呻き声を上げ右手で傷口を抑えた。

その瞬間を逃さず翡翠騎士が岩骸鬼に肉薄し、岩骸鬼が反応する間も無く首に光刃を振るう。

客室でも証明されている通り、岩骸鬼の岩は光刃よりも硬い。

今回も首を切断される事は無かった。

それでも光刃が防がれた事によって光が拡散し岩骸鬼の視界を奪う。

薙刀も鬼技で防御に徹すれば視界を回復するまでは耐えられるだろう。

岩骸鬼がそう考えて全身の装甲の硬度を鬼技で上昇させた瞬間、兜が何かの衝撃を受けて護慈は即死した。

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