拾弐

パーティが終了する30分前の22時30分、翠はスマートグラスに映る4つの反応の内、3つが移動を開始したのを見た。


「玲奈さん、動きが有った」

「……分かりました」


玲奈の好きな様にさせていた翠だが、玲奈も翠の仕事はこれからだと理解しておりワインを必要以上に勧めて来る事は無かった。

ただスキンシップは激しく隣に座っていたのは最初だけで20分もしない内に肩を付け、左腕に抱き着き翠の太股を撫でたり肩に頭を乗せたりしていた。

流石に翠が仕事の話をすれば名残惜しそうだが身体を離す。冷蔵庫に向かいミネラルウォーターを取り出し翠に手渡した。


「少しでもお酒を抜きましょう」

「ありがと。反応は、隣部屋に1つ。他の2つは少し離れてるけど別室か」


そう言って装着したままにしていた左手の召喚器を確認する様に数回拳を握り、緩めを行い問題が無い事を確認してミネラルウォーターで口の中を注ぐ。

大きく息を吐いて、左手で指を鳴らす。

鉱石が打ち合わされた音の直後に翠を囲う様に翡翠を思わせる装甲が現れ翠の身を包み、右手に十文字薙刀を掴み左肩から赤いマントが靡く。

即座に右手の薙刀を引き絞り、マントを薄く発光させながら槍の穂先を光に変質させる。


「嵐牙転刃」


静かに呟かれた呪文に合わせて翡翠騎士が薙刀を振るい、その軌跡に合わせて穂先の光が鞭の様にしなり、標的が居るらしい壁に斬撃を放つ。

振り抜かれた先、壁には何の傷も無い。

それでも翡翠騎士の兜の中で翠はサーモグラフィ機能で隣室を確認すれば標的が斬撃の軌跡に合わせて胴体部分で両断されている。

同室の女性らしい細身の人影もまとめて両断されており隣室の中は2人分の血肉が部屋中を濡らしているだろう。

高層ビルでもあるこのホテルでは強風対策の為に窓は開かない様に成っている。その為、血の匂いが隣室が気付く事は無く、後ろ暗い客の為に室内の機密性を高めているので廊下にも匂いは漏れない。

左手の指を鳴らすと翡翠騎士の魔装が解除されて翠が姿を現し、小さく息を吐いた。


「じゃ、残りを片付けて来る。絶対に部屋から出ないでね」

「はい。お気を付けて」


翠に右手を両手で包む様に握った玲奈はその手を額に当てた。

祈る様な仕草にどれだけ玲奈が翠に依存しているかが分かるが、額に手を当てていたのは5秒も無い。

静かに手を離し1歩大きく下がった。


「早く帰ってきて下さいね」


首を小さく傾けながら微笑む玲奈に吸い込まれそうな感覚を振り切って翠は強引に視線を外して退出した。


……影鬼のスーツ男が手に余るって言う訳だ。自覚出来ない内に影響が有る劇薬じゃないか。


頭を振って思考を仕事に切り替えネクタイを締め直し翠は残りの3つの反応を確認した。

2つは同じフロアに居て、残りの1つはまだパーティ会場だ。

手近な反応に向けて歩きながらスマートグラスのサーモグラフィ機能を右レンズだけ起動しつつ、廊下に監視カメラが無い事を確認する。

床に敷かれた高級な絨毯はブーツの足音も完全に吸収してしまう。

標的の部屋に近付くと室内には標的と女らしき影が見えた。女の方はシャワーを浴びている様で男から離れた場所で髪に手を当てている。

歩きながら召喚器に意識を集中して左腕を肩まで限定召喚して赤いマントを垂らし、指のナイフを展開する。同時に部屋で使ったのと同じ技を発動し赤いマント薄く発光させ、ナイフを光に変質させた。

口の中だけで小さく呪文を唱えて左手を室内に向けて振り、女も標的も見境無く切り裂く。

5本のナイフの軌道によって6つの肉片に断たれた2つの温度の内、シャワールームに居たと思わしき方はシャワーで血液が流れて一気に温度が下がるかと思ったがシャワーの温度が高い様であまり直ぐには温度が下がらなかった。

直ぐに魔装を解除して次の標的に向けて歩き出し、直ぐに同じ様に追跡装置の反応の有る部屋を見る。

今までの標的は全員、これから女との一夜を過ごすところだったが今度の相手は違う様だ。

室内には4人、標的と別に1人男らしき者が居て机を挟んで席に着いている。それぞれが背後に女を伴っているが女達は立っているので恐らく商談なのだろう。

依頼人の意図は分からないが標的の男を排除するに際にどの程度まで巻き込んで良いのかは指定されていない。

しかし、やり過ぎると面倒も増えるので翠は1度部屋の前を通り過ぎて最後の反応を見直した。

今はパーティ会場を抜けた様だが翠の居るフロアよりも上に居る。一応エレベータで向かってみると、先程の標的と同じ様に誰かと商談している様だ。


……これは1回撤退かな。


あまりホテル内を歩き回っていると怪しまれるので翠は1度部屋に戻った。


「お帰りなさい」

「ただいま。ちょっと人が多くて残りは2人だね」

「多い、ですか?」

「商談中なのか標的以外に3人も居てね、目視出来ない状況だと確実性が低い。最後の1人なら押し切っちゃうんだけど、流石に2人残ってるからまだ無茶は出来ないかな」

「そういう事でしたか」

「まあ夜は長いし反応の変化に合わせて偵察するよ。廊下にカメラも仕掛けて来たし」

「ふふ、慣れているんですね」

「ま、反社会組織だけあって汚れ仕事に使えそうな物はいくつか持ってるよ」


そう言ってポケットから適当な仕草で翠が取り出したのは複数の小さな機械だ。

カメラや集音機の様な物も有るが、外見ではただのパチンコ玉にしか見えない物も有る。


「特撮とかで見るヒーローのサポートアイテムみたいですね」

「犯罪者が使っているからそんな良いもんじゃないけどね」


適当に話しながら緊張を解く様に溜息を吐きながら翠はソファに腰を下ろした。

まだ標的は残っている。スマートグラスを外して両目を揉み、再び装着する。

そんな翠を労わって玲奈はワインではなくミネラルウォーターと炭酸水を翠の前に置き、飲みたい方を直ぐに手に取れる様に気を遣った。

その気遣いに感謝しつつミネラルウォーターを手に取ってサンドウィッチを頬張りながらミネラルウォーターで口の中を潤した。サンドウィッチは流石に運ばれてきてから時間が経っているのでパンの部分が硬く成っているが普段から食生活が適当な翠は気にしない。

部屋に備え付けの電子レンジの音が鳴り、翠が不思議に思っていると玲奈が蒸しタオルを用意していたらしい。

静かに微笑みながら差し出される蒸しタオルを受け取って翠はスマートグラスを外して目に当てて天井を仰いだ。


「あ~、これ良いな」

「ふふ。手をマッサージしましょうか?」

「手のマッサージ?」

「はい。手には色々なツボが有りますから。目の疲れを取るツボが有名なんですけど」

「じゃあお願いしようかな」

「はい」


静かにソファに腰を下ろした玲奈がまずは翠に右手を取った。

蒸しタオルで視界を塞いでいる翠には何をされているか分からないが、玲奈の細い指が指の間や各指の腹を解す様に揉み始める。

自身を持って始めただけあって玲奈のマッサージは気持ち良く蒸しタオルで視界を塞がれている事も有って翠は凄い睡魔に襲われた。


「ま、待った待った、これだと寝ちまう」


翠は思わず手を離して蒸しタオルを取った。


「あ、あれ?」

「どこで覚えたんだこんなテクニック」

「えっと、色々な仕事をしてたんですけど、マッサージ店に居た時に覚えました」

「玲奈さんがマッサージ店はヤバイんじゃいの?」

「え?」

「あっと、お客さんから指名する代わりに性的な事を求められたり?」

「その、有ったには有ったんですが、店長とかバイトの仲間が助けてくれたんです」


……影鬼のスタッフだな。


「変な事聞いてゴメン。でも良い人達が周りに居てくれたんだね」

「はい。皆、今頃どうしてるのかなぁ」


……俺達の事務所を見張ってるんだろうなぁ。


口の中だけで溜息を吐きつつ、影鬼がここまで玲奈を重宝する理由が翠には相変わらず見出せなかった。

上手く教育してスパイにしたらとんでもないハニートラップの達人に成りそうだ。

噂の通りに影鬼に繋いでおきたい人材に派遣して弱点を作るというには勿体無い能力に思える。スーツ男が持て余した本当の理由は聞いていないが、影鬼の様な組織が彼女の利用価値を見誤るとも考え辛い。

少し考え込んでいる間にも翠の右腕に玲奈は抱き着き安心し切った様子を見せている。

だからと言って朱夏の様な翠と気安く話す異性に対して嫉妬を向ける事も無い。

言い方は悪いが浮気しても笑顔で許してくる様な非常に都合の良い女に見える。

そんな事を考えつつスマートグラスを掛けて追跡装置の反応の見てみれば同じフロアで商談していた者に変化が有った。細かい動きを繰り返しているので服を脱いだり室内を動き回ったりといった変化だろう。

状況が分からないのは同じなので翠は一端状況を確認する為に持ってきたキャリーケースを開いた。荷物は主に着替えや玲奈の化粧水だが、仕切りの中に掌サイズの車が入っている。

一種のドローンでスマートフォンで操作が可能で、画質は良くない小型カメラと雑音も拾ってしまう集音機が積まれていた。

性能を上げようとすると大型化、又は高価に成るのでコストメリットを考慮した性能だ。

タイヤの全高は車の本体より大きく上下に引っくり返っても装甲が可能に作られている。

ボランティアやチャリティ活動の一環で翠はドローン操縦の資格を保有しており、資格取得の為に機械的、電気的な知識も持ち合わせいる。

魔動駆関を積まない魔装も含めて器用に立ち回れる、そんな変則的な人材として翠は影鬼内で重宝されていた。

トイレの天井に設置されている換気扇の蓋を開いてドローンを放り込み、ソファに戻ってスマートフォンで操作を始める。スマートグラスの反応に向けてカメラ映像を頼りにダクトの中を進む。

あまり期待はしていなかったが、意外にもすんなりと反応の有る部屋に辿り着きトイレの換気扇の前に停車させてカメラと集音機を調整する。


『影鬼を名乗る男の連れていた女、アレは良いなぁ』

『ちょっと、女の前で他の女の名前を出す?』

『黙れ。お前は所詮、金で買っている女だ。口答えを許すと思うな』

『ちょ、冗談だって』

『なら良い。さっさとシャワーを浴びろ』

『はぁい』


翠の想像通り今の標的は女と2人らしい。

状況を察した玲奈は既にソファから立ち上がって翠を見送る姿勢を取っている。

翠はミネラルウォーターで口の中を潤してから退出し、残る2つの反応に注意しつつドローンが待機する部屋に速足で向かう。周囲に誰も居ない事を確認しつつ左腕全体の魔装を限定召喚し、爪を展開して光りに変質させる。

標的の部屋の前を通り過ぎる際に腕を振って爪を室内に向けて振るい、追跡装置の反応ではなく室内の間取り全てを切り裂く。

ドローンが送って来る音声情報では急に男女の会話が途切れ、サーモグラフィで覗けば2人分の肉片が床に落ちていた。


……ラスト。


最後の1つの反応は動いている。上の階では有るが廊下を歩いている様で部屋の中を移動しているには移動が直線的で長い。

死体が発見されるタイミングは出来れば翌日の10時以降が良い。ベストなのはホテルのチェックアウトの時刻を過ぎても連絡が付かない為に従業員が不審に思って部屋を確認し、そこで発覚する事だ。

その為に廊下での殺害は望ましくない。

エレベータらしき座標で止まったので移動待ちの様だ。

翠は数人のルームサービスらしき料理を運ぶボーイと擦れ違いつつ、エレベータの横に設置されたトイレの個室に入り鍵を閉める。スマートフォンでドローンの様子を確認しつつエレベータ付近まで操作していると追跡装置の反応も同じフロアに到着した。

廊下に等間隔で配置されるダクトからエレベータ前を見れば、到着したのは文司だ。

何かスッキリした顔をしつつ背後には女とボディガードらしき厳ついスキンヘッドの男を従えている。


『もう、文司さんったら元気なんだから』

『いやぁ、私もまだまだ現役だからな』

『あら、今夜はまだまだ可愛がって貰えるって事かしら?』

『ははは、良いとも。長い夜を楽しもうじゃないか』


……好きだねぇ。そういやあのボディガードは見覚えが有るな。


翠も遠巻きに顔を見た事が有る程度の相手だが、影鬼に所属する異端鬼の1人で岩石の様に硬い装甲を持ち攻撃的な防御能力を持つと聞いた事が有る。

噂通りの能力なら部分召喚した魔装の爪では通らないだろう。

念の為に翠は影鬼図書館の連絡先にメッセージを送り、文司に影鬼所属の異端鬼が護衛に付いている事を伝えた。

別に影鬼は異端鬼同士の戦闘について制約は設けていないので翠に影鬼に確認する義務は無い。だが今回はどちらも影鬼からの仕事で動いている以上、影鬼にとってどちらが都合が良いかを聞いておくと後の面倒が減らせる。

メッセージに対して直ぐに返信が来た。異端鬼、岩上護慈(いわがみ・ごうじ)との戦闘は避けたいが、暗殺が最優先で護慈の殺害も許可するらしい。

それだけ影鬼の中でも影鬼鋼牙の勢力を削ぐ事は優先度の高い案件の様だ。


……なら異端鬼の護衛なんて理由を付けて外して欲しいな。


溜息を吐きながらドローンで様子を見ていれば文司は事前に聞いていた客室に女と護慈を伴って入って行った。

護慈は目の前で爺と女の絡みを見る事に成るのかと思うと少々同情したが、部屋のトイレから聞こえて来た会話内容を聞くに3人で事に至るらしい。


『えへへ、護慈さんので突かれたらお尻開きっ放しになっちゃうかも』

『ふん、とっくに開きっ放しだろう。精々、しっかり締めるんだな』


わざわざ聞きたい会話では無いので直ぐに集音機を切って翠は文司の部屋に向かった。

パーティ会場で護慈は見えなかったがどこかに控えていたのだろう。

部屋に近付くとサーモグラフィの視界範囲に入り、男女3人がベッドで絡み合っているのが見えた。

見たくもない物を見続ける趣味は無いので翠は左腕の魔装を限定召喚し、今まで通りにナイフを展開して光に変質させ、文司の殺害を最優先に左腕を引き絞った。

位置関係は左から文司、女、護慈。

文司の殺害を最優先とする為、翠は左から右へナイフを振り抜いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る