品川駅地下迷宮に挑む当日、みどり朱夏あやかともなって品川駅を訪れた。

 地下迷宮へ繋がる通路はいくつか有るが改札の内側には無い。

 代表的な入口は駅ビルの地下に設置された『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉の向こう側だ。


 今どきの商業ビルの中では珍しく電子的なカード等をかぎとせず昔ながらの金属製の鍵をもちいる。携行性けいこうせいやコピーのリスクはカードキーよりも低いが、電子的なキーもハッキング等のリスクは有る。

 四鬼関係者の様な戦闘力の高い者から奪うのがむずかしいと思えば原始的な鍵の方が電子的なハッキングと比較した際にまだリスクが低いとの判断だ。


 そんな扉の前で翠はピッキングをするでもなくポケットから普通に鍵を取り出してドアノブに刺して開錠かいじょうした。

 朱夏とは品川駅の改札前で別れており、元々の計画通り翠だけが地下迷宮に侵入し朱夏は商業ビル内の喫茶店からノートPCでオペレーターにてっする。


 両手を開けておきたいので翠は左耳にイヤホンマイクを付けており、朱夏も同様にノートPCを前にイヤホンマイクを付けている。周囲の客やハッキングされている事を懸念けねんして通話の内容は一見しても分からない様に気を付ける。

 翠は扉の横に小型の盗聴器を置いて左手に魔装召喚用の手袋をめて通路の先を見た。


「さって、じゃ買い出し頑張りますか」

『初めてのお使いじゃないんだから買う物間違えないでよ』

「いやぁ、買う物は間違えないけど好きな物買ったりはしちゃうかもね」

『無駄遣いするんじゃないわよ』


 適当な雑談をしつつ、翠はスマートグラスを掛けて元々入手していた品川駅地下迷宮のマップを開き左だけに表示させる。マップデータはスマートグラス内のストレージに入れてあり、スマートグラスそのものはオンライン部品を物理的に外してあるのでハッキングの心配は無い。

 だだ翠のスマートフォンがハッキングされる可能性は排除出来ないので気休きやすめだ。四鬼が居る位置へ誤った誘導をされない以上の意味は無い。


 扉を抜けると最初はただのコンクリートの通路だ。しばらくは直線を進み緩やかに下降し、少し広い空間に出る。

 マップを見ると指定されたのはここから直線で200メートルの位置だが遠回りが必要だ。そしてマップデータを入手した時にも思ったが改めて見ると何かしらの指定された地点は探索班用の休憩地点らしい小規模な広場だ。


『ちょっと、寄道よりみち?』

「教育ママ、子供の自由な発想を尊重そんちょうしてくれない?」

『誰がママだ』


 確かにママと言うには朱夏の未成熟な体躯たいくは翠の好みではない。甘えたいかと言われたら全くそんな気分に成らない。

 流石にイヤホンマイク通話で怒られると逃げ場が無いので茶化すのはここまでにして翠は広間に踏み込んだ。翠以外に誰か居る様子は無いが隠れている場合は分からない。気にしても仕方無いと切り替えて通路を進み、事前に確認しておいた広間の左側に向けて歩く。


 広間の左側を壁沿いに進むと細い通路に繋がっており、その先には階段が有るはずだ。目的地店への最短距離はその階段なのでまずはそこを目指す。

 階段に着くと電車が近くを通る振動を感じられ、ここが地下の中でも線路に近い事が分かる。

 下り階段を見下ろすと10段程度で踊り場が有り反転し翠が居る位置の真下に空間が有る事が分かる。


 この辺は階層に成っている事が分かると同時に、翠は左手の手袋に意識を集中して左手だけ魔装を限定召喚した。


『運動は良いけど買い物は忘れないでよ?』

「ブランコでどれだけ跳べるかってやらない?」

『小学校で卒業したわね』

「大人に成ったら試してみると良いよ。意外と怖いから」


 踊り場の下から聞こえてくる足音とうなり声で人間では無い何かが居る事が分かったので翠は足を止めて魔装を限定召喚していた。

 狭い通路で魔装を呼んでも窮屈で満足に戦えなくなる。鬼の魔装に限定召喚機能は無いそうだが、この辺のカスタマイズ性や運用方法が幅広いのが騎士式魔装をベースにした利点りてんだ。


 翠は静かに左半身を前に倒しながら階段を降りながら爪先のナイフを展開する。

 踊り場から首だけ出して階段の先を見れば前傾姿勢で歩く人型の背中が見えるが、背中から骨の突起が突き出しており肌は所々ただれて内部の肉が露出ろしゅつしている。手はカエルの手足の様に水掻みずかきが生えておりゾンビの様な魚人の様な特徴を持っている。


 ブーツにも関わらず翠は足音も無く階段を降りて通路に出るとそのまま足音無く異形いぎょうに近寄り、腐魚妖魔から3メートル程の所で強く床を蹴って通路に足音を響かせた。

 右側へ振り返る腐魚妖魔ふぎょようまの視界から外れる様に左側へ回り込んで同時に首を斬る。ナイフの刃渡りでは首を切断するには足りなかったが、腐魚妖魔が反応し右から左に首を回すのに合わせて翠も右に回り込む事で反対側からもナイフを通し首を切り落とす。


 視界を完全に奪った直後に右腕をナイフで切り落とし、脱力して身体を最速でかがませて左膝ひだりひざを切断した。

 人型の為に頭、右腕、左足を切り離された腐魚妖魔は床に倒れ、翠は左肘ひだりひじの関節を逆へ踏み砕く。

 まともな抵抗の出来ない腐魚妖魔の背中に屈み、背中に連続してナイフを振って体積をけず討滅とうめつした。


 十文字薙刀じゅうもんじなぎなたが有ればもう少し手早く討滅出来たのだが広間ならまだしもこの通路では壁や天井に当ててしまう可能性が高い。後で四鬼に見つかると厄介なので今回は暗殺に近い方法で討滅する。


「さって、良い感じに跳べたしお買い物を続けましょうかね」

『何でも良いから早くしなさいよ』

「はいはい~」

「『はい』は1回」

「は~い」


 通話を繋ぎながらも無言なのは怪しまれるので念の為に適当な雑談は続ける。

 ただ地下はコンクリートで囲まれていて音が響くのでみどりは小声だ。

 腐魚妖魔が黒いかすみと成って完全に霧散むさんしたのを確認して左腕はそのままに翠は通路を再び歩き始める。


 そのまま事前の計画通りにマップを進めば妖魔を発見はしても目的の方向では無かったので手は出さない。

 この地下迷宮では妖魔同士が殺し合う事も有り壁に人外の膂力りょりょくけずられたあとは有る。それも魔装の武装を使ったにしても不自然な破壊痕はかいこんが多いので槍の切傷はかえって目立つ。


 体力を無駄にしたくない翠は可能な限り魔装は召喚しないし妖魔も放置する方針だ。

 妖魔討滅が最優先という教育を受けて来た朱夏あやかには信じられない行動だが、今回の目的は妖魔ではなく目的地の荷物である。

 その為、言いたい事は有るが朱夏は翠の行動を黙認してノートPCでマップ情報を見る。


 四鬼のホームページに公開されてる情報に巡回の時間は無いが翠が入口の扉に仕掛けた盗聴器で地下迷宮に侵入する者が居るかは分かる。

 今の所は何の変化も無いが何か有れば翠に知らせるのが朱夏の仕事だ。


「さって、順調に買い出しは進んでるぜ」

『こっちも課題は順調よ。小腹こばらいたし早目にお願いね』

やとぬしをパシるなんて、酷い家政婦だ」

安月給やすげっきゅうき使えるなんて思わない事ね』


 地下迷宮に侵入して30分程で翠は目的の広場に到着した。

 目的の広場は既に目視出来ており、先客が居るという事も無い。


 妖魔に忍び寄った時と同様にブーツでもコンクリートの床で足音を立てない歩法で2両編成の駅のホームを思わせる細長い広場に出る。ここが今回の仕事で指定された荷物の回収地点だ。

 広間の中央にはベンチが置かれ、喫煙者用なのだろう硝子がらすの仕切りが有り立ったまま煙草を吸う為の灰皿も設置されている。


 一見して荷物は無い。ベンチの下にトランクが有る様な事も無く、喫煙室等も同様に何かが有る訳では無い。

 翠はベンチの裏を見て、セロハンテープで一般家庭で用いられる様な金属製のかぎが張られているのを見付け回収した。


 受け渡しとは資料に書かれていたが誰かと合流しろとは言われていない。

 念の為に鍵を観察してみればセロハンテープと鍵の間にはQRコードが印刷された紙がはさまっており、読み込んでみれば追加の指示の文章データだ。

 内容はこの鍵を持って品川駅ビルに居る当該人物とうがいじんぶつに渡す事だった。


「何だこれ?」

『どうかしたの?』

「いや。買い物は終わったから合流するよ」

『ん? 分かった』


 来た道を帰り、途中で妖魔を1体討滅した翠は特に問題無く品川駅地下迷宮を脱出した。

 盗聴器も誰かが拾っている事も無い。そうなれば朱夏から連絡が来る筈だったが朱夏が注意を向けていた盗聴器は何も音を拾わなかった程に静かだった。

 迷宮の出口付近で通話は切っており、翠は何食わぬ顔で朱夏が居る喫茶店におもむき正面に腰を下ろした。


「お疲れ様」

「いや~、歩き回って疲れたよね。ただ、もうちょい歩く必要が有るみたい」

「そう言えばさっき、変な反応をしてたわね」

「そうそう。こんなのが追加されちゃってね」


 そう言って翠は追加の情報を朱夏に見せた。

 鍵を持ったまま駅ビルに居る人物に会えとの事だが、現在も駅ビルに居る事は変わらない。

 指定されている場所としては上の階のレストラン街だ。現在時刻は16時なので指定された人物と合流しても半個室のレストランなら周囲を気にせずに会話が出来る時間と言える。


「これ、時間をざっくりと指定されてたのも含めてそれ狙い?」

「多分な。さて、行ってくるわ。お前は事務所に帰ってろ」

「マジ?」

「これ以上は流石に珈琲コーヒー一杯で居るには変だろ?」

「追加で頼むとか別の店に変えるとか?」

「ふぅ。ま、良いか。変な行動取られるのも面倒だし付いて来い」

「邪魔はしないっての」


 会計は事前に済ませるタイプの店なので朱夏はトレイを返却口に置きひまそうにしている翠に合流した。

 ノートPCを持つ朱夏はリュックだが翠は地下での戦闘を想定して荷物は無い。


 そんな2人が並んでいると高校生と大学生のカップルに見える。翠は一見すると特徴が有るタイプでは無いのでホストや軟派男なんぱおとこが女子高生を引っ掛けた様には見られないのがさいわいした。


 そのまま駅ビルの上の階を目指し、指定されたレストラン街に到着して周囲を見渡すとベンチに座る人物を見つけた。


 20代後半の女で整えられた長い黒髪に白いブラウスと黒いスカートを履いており本人の色白さも有って随分ずいぶんとモノトーンに見える。気味で左目の泣き黒子ほくろや本人が出す陰気な雰囲気も有って薄幸はっこうな第一印象を覚える。

 また整った小顔に合わせて身体全体の線は細いのに胸は確かな膨らみを主張しており近くを通る男の視線を集めている。


 そんな女を遠目から軽く観察したみどりが正面から歩いていくので朱夏あやかも仕事の関係者なのだと理解して続いた。

 ベンチに座る女の前に翠が立つと女は顔を上げ首をかしげる。

 20代後半の女の仕草としては非常にあざとい仕草だ。自分に優しくする相手に依存いぞんする様なその動作どうさと女の表情は同性から見てもなまめかしく朱夏は思わず視線をそらしてしまう。


 そんな朱夏の様子には気付いているが無視した翠はスマートフォンを取り出して先程の資料を表示して女に見せた。


「突然でごめんね。君が待ち合わせの人で良かったかな?」

「あ、はい」


 そう言って女は立ち上がりかたわらに置いていた小さい肩掛けかばんを右肩に掛ける。


「俺は影鬼翠かげおに・みどり。こっちは助手だ」

熱島朱夏ねつじま・あやかよ」

「ふふ、始めまして。私は淡島玲奈あわしま・れいなよ」


 翠の自己紹介で何とか視線を戻した朱夏に苦笑して自己紹介を返した玲奈の笑みは疲れた様に薄っすらとしたものだ。それが妙に大人っぽく感じられ朱夏はまたしても視線を逸らしそうに成るが今度は耐えた。

 玲奈の方は朱夏が何に耐えているのか理解していない様で困った様に作り笑いを浮かべているが、やはり悲壮感ひそうかんともな嗜虐心しぎゃくしんあおる表情だ。


「さて、ちょっと話も聞きたいしどっか入ろうか?」

「あら、でも私、手持ちが心許なくて」

「大丈夫大丈夫、コッチ持ちだよ」


 そう言って翠の先導でレストラン街に入り、適当に半個室の居酒屋に入る。

 未成年は居るが翠も今から酒を飲む気は無い。むしろ玲奈を警戒しているので判断力がにぶる飲酒はひかえたいくらいだ。


 大学生らしい男の店員が玲奈を見て一瞬だけ硬直するが翠が間を置かずに声を掛けて早々に案内させる。

 16時という時間も有って3人以外に客は居ないらしく会計から少し離れた位置の客席に案内されカーテンで廊下との仕切りを作られた。冷房が効いており密閉されているが空気が淀んでいる様な不快感は無い。


 席に備え付けのタブレットから翠はジンジャエール、朱夏は烏龍茶、玲奈はカルピスを先に注文し、翠は玲奈に好きな物を頼む様に促した。玲奈は少し躊躇ためらいつつも焼き魚の定食を注文する。


「お前も何か食うか?」

「じゃ、適当に」


 続いて朱夏も海鮮丼を頼み、最後に翠がピザを頼んだ。

 飲物は直ぐに来るだろうがそれまで黙っているのも不自然なので翠が玲奈に声を掛けた。


「いや~、いきなり声掛けちゃってごめんね」

「いえ、私も変に視線を集めてしまって辛かったので有難かったです」


 そう言って右手で左の二の腕をつかみ緊張をほぐす様に身体を小さく震わせる姿が妙に色気を出しており飲物を持ってきた先程の男店員が顔を赤くしている。

 玲奈を見ない事で色気に耐えた朱夏が店員から飲物を奪いカーテンを閉めて店員を追い払った。


「料理が来るまでちょっと時間が有るね。俺はこの鍵を預かっているんだけど、淡島さんは何か知っているのかな?」

「あ、すみません、苗字みょうじは、その」

「ん? OK、玲奈さんで良いかな?」

「はい。それでお願いします」

「はいはい。で、鍵の事は知ってるかな?」

「実は何の事か分からなくて」

「えっと、じゃあ、あそこに居た経緯けいいは聞いても良いのかな?」

「その、ここでは、ちょっと」

「ん? あ~、どこなら大丈夫かな?」

「影鬼さんは」

「あ、俺も翠で頼むよ」

「え、あ、はいっ。翠さんは個人事務所を開いていると聞いているんですが、そこで話させて貰えませんか?」

「ふむ」


 玲奈の発言は意外だった翠は顎に手を当てて目を細め考えている素振りをよそおいながら玲奈を観察した。


 理由は不明だが玲奈は翠が人目に触れない事務所を持っている事を知っている。それは暗に翠の事を一方的に知っていると言っている様なものだが、玲奈にそこまでの腹芸はらげいをしている様子は無い。

 今も目を細めて沈黙した翠におびえた様子で、抵抗出来ない暴力を日常的に受けている人の反応にも見える。


 演技の可能性も有るが状況が不明な事は変わらない。

 考えるだけ無駄だと判断した翠は考えている姿勢を解いて玲奈に向き合った。


「ま、良いか。食い終わったら事務所に行こうか。話がどれくらいに成るか分からないけど帰りは平気?」

「その、実は、翠さんの事務所でお世話に成るように話を貰っていまして」

「……OK、ちょっと状況が混沌こんとんとしてきたけど、まあ仕方無い」

「いやいや、部屋は空いてるけど家具なんて無いじゃない」

「いや本当にね、何を考えてんだか。ん?」


 図った様なタイミングで翠のスマートフォンに依頼人からメッセージが入り、玲奈の寝床として今日の19時に事務所にマットレスと布団ふとんが届くとの内容だった。


「盗聴されてんのか?」


 溜息を吐いた翠に怯える玲奈と、どうでも良さそうにスマートフォンを操作する朱夏。

 そんな妙な雰囲気に食事を運んで来た店員は内心で首をかしげつつ、料理を並べていった。

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