オヤツとも夕食とも言えない会食かいしょくたした3人はみどりの提案によりタクシーで品川から蒲田に移動し事務所に帰宅した。


 19時を目安にマットレスが届くというので玲奈れいな用に3階の空き部屋を確認する。2階の事務所に戻り翠は事務机に座り朱夏あやかは来客用の席に玲奈をうながした。

 朱夏が珈琲コーヒーれている間を待つ気は無い翠は早々に玲奈に本題を切り出す。


「さて、事務所に来た訳なんだけど、話して貰えるのかな?」

「はい。お話しします」


 姿勢を正した玲奈はブラウスのボタンを1番上以外は閉めて露出ろしゅつは無い。

 それでも無意識なのだろう、腕が内側に寄って胸を寄せ上げており少し前に姿勢をかたむけると男に対し上目遣いで胸元を見せつける様な姿に成っている。


……あ~、この人、本人も周りも大変そう。


 悲壮感ひそうかんの有る玲奈を突き放した感情で見つつ翠は表情は完全に聞きの姿勢を取った。


「私があの場所で待っていたのは住み込みの仕事を紹介して貰った結果なんです」

「……」


 思わず頭をかかえたくなった翠だが手を組んで口元を隠し聞こえない程度の舌打ちをする。

 淡島あわしまという苗字みょうじに聞き覚えは無いが影鬼かげおにが手を引いているなら確実に厄介事やっかいごとだろう。

 それが仕事を探して影鬼に紹介された等と言われれば関わるだけ面倒にしか成らない。


「その、私は昔から運が悪いのか何故か周囲で問題が起きてしまって、何とか大学を卒業はしてOLにも成れたんですが、どこに行っても人間関係でトラブルが起きて居られなく成ってしまいまして」

「お、おう」

「ハローワークや職業訓練校にも行ったのですが何故か人間関係で問題が起きてしまって行き辛くなってしまいまして」

「う、うん」


 その辺で朱夏が珈琲を持って来て翠と玲奈の前に置いて後は知らん顔で自分用の机でノートPCで何かの作業を始めた。


「その、何故かどこに行ってもホステスや、アダルトな仕事ばかりを斡旋あっせんされて、でも男性とのお付き合いもした事が無いのに出来る気もしませんし、でも生活するのにお金は必要だったので何とかネットで住み込みで仕事を探していたら声を掛けて頂けまして」


 珈琲を口に含みつつ翠は確信していた。

 玲奈は恐らく本当に何も知らない。影鬼側が何を思って翠に押し付けたのかは分からないが本人にただしても無駄だろう。


「わ、分かった。その、何か行き違いが有ったみたいだが俺は朱夏を家政婦としてやとっててね、まさかそんな話で君が紹介されたとは思わなかったよ」

「ええっ!? もう決まってたんですか!?」

「あ、大丈夫だ。安心してくれ。君の給料はクライアントが払ってくれるらしい。完全に過剰かじょうだが、まあ雇うよ」

「本当ですか!?」

「ああ。ただ、ちょっと、俺の仕事には関わらないで貰って良いかな?」

「え? あ、はい。分かりました」


 何を言っているのか分からない様子の玲奈だが翠からしても分からないのは同じだ。

 後で依頼人に聞くしかないと結論付けて、翠はポケットから取り出したかぎに目をやった。


「念の為に確認だけど、この鍵はやっぱり知らないんだよね?」

「あ、はい。私の家の鍵でも無いですし、よくある形状ですよね?」

「そうだよねぇ」


 大きく溜息を吐いて肩から力を抜いた翠に玲奈は反射的に身体を硬直こうちょくさせる。

 何となく今までの彼女の経験が想像出来る反応だが翠もそこには触れない。

 すると今まで無関心だった朱夏が声を掛けて来た。


「新しい家政婦って事は、私の後輩で良いのかしら?」

「ま、そうなるな。玲奈さん、家事の事は朱夏に聞いてくれ」

「あ、はい」

「さぁて、ビシビシ教えていかないとね」

「えっと、お手柔てやわらかに」


 自分よりも10歳近く年下の先輩という状況は別に気にしない様だ。

 朱夏に対して子供が背伸びしていると微笑ましく思えば良いのか、普通に先輩から厳しい指導されると思えば良いのか分からない様だ。


「そう言えば玲奈さん、今日から住むって言うけど今までの住処すみかは?」

「その、実は一昨日に住んでいたアパートが全焼してしまいまして、これが私の所有物の全てです」

「……え?」

「えっと、お恥ずかしい話なんですが、職業訓練校の同級生に告白されたのですが、その、50代の方で、私も好みの方では無く断ってしまいまして」

「腹いせに放火された?」

「……はい」

「凄いわアンタ」


 もう何も言う気にならず大きく溜息を吐いて今度こそ頭を抱えたみどり珈琲コーヒーを飲んで気分を落ち着け朱夏あやかを見た。

 翠に視線には気付いている様だが素知らぬ顔をしており玲奈れいなには深く関わらない姿勢を取っている。


「ん? 待ってくれ、男と付き合った事が無いって言ったが、まさか処女なのか?」

「んなっ!?」


 顔を真っ赤にした玲奈を見て図星だと分かった2人だが今まで無視を決め込んでいた朱夏も今回は驚いた様だ。


 ここまで無自覚に色気をいておいて未だに処女だとはどれだけ悪運が強いのだろうか。絶対にどこかで強引な男の手に掛かっているものだと思っていただけに2人の驚きも大きかった。


 考えてみれば家が全焼した直後に住み込みの家政婦の仕事が決まるのだから運のバランスが悪いのだろう。

 だが蒲田という飲屋やキャバクラ等が多い街で玲奈の様な女が歩き回っていたら危険だ。特に夜や人気の無い場所等は論外ろんがいだろう。

 思わず朱夏に視線を向けた翠だが、状況を察したのか思い切り視線をらされた。


「じゃ、着替えとかの買い出しは朱夏に頼ってくれ」

「無理!? この人、絶対に無理!?」

「え、ええっ!?」

「通販にしときましょっ。1日2日は掛かっちゃうけど、それまでは私が外で適当に買ってくるから!」

「いや、下着とか試着しないと分からねえんじゃねえの?」

「ぐっ!」

「そうですね。下着の通販はフィット感が分かりづらくて、申し訳ないんですが返品する事が多いです」

「……行くなら3人で行くわよ。絶対に2人じゃ行かないから!」

「いやぁ、俺は仕事が有って」

「アンタの仕事は私も把握してんのよ! 逃げられると思ってんじゃないわよ!」

「えっと、2人は恋人でお仕事をされているのかしら?」

「違うわよ! こんな社会性ゼロのクソ野郎の恋人に成る訳無いでしょ!」

「え、社会性ゼロなのにこんな事務所を丸々持ってるんですか?」

「くっそ、話が進まない!」

「落ち着けって朱夏。昼間なら大丈夫だって……多分」

「小声でも聞こえてんのよ!」


 翠と朱夏が玲奈の事を押し付け合っている間に19時に成り、インターフォンが鳴った。

 依頼人の通達通りにマットレスが届き、その他にも生理用品やスウェット等の部屋着も有り朱夏が買い出しに出る必要は無くなった。更に玲奈が生活に不便しない様に影鬼が用意したクレジットカードも入っており名義やパスワード等の情報が書かれた書類も同封されている。


 それでも下着や外出用の服が無いのは変わらないので近日中に玲奈の買物は必要だ。

 届いた物品の中にも翠が回収した鍵が合う物は無い。やはり何を思って玲奈が翠に紹介されたのかは分からない。

 考える事が面倒に成ったので明日の自分に全てを押し付けて翠は2階事務所から引き揚げの号令を出した。


▽▽▽


 影鬼事務所蒲田支店に玲奈れいなが合流したばん、3階に有るシャワールームと3つの個室の内、朱夏あやかと玲奈は別々に個室を使っている。


 人間の特性として男は集団で、女は個人で部屋に居る事が向いているらしい。

 勿論もちろん、2人が別室なのはそんな人間の特性とは関係無く朱夏が玲奈を嫌がるのが目に見えているし部屋もあまっているから別室にしただけだ。


 そんなみどりは2階の事務所の奥に鍵付きの個室を持っており鍵を掛けてもる。


 朱夏にしてみれば玲奈を警戒してのこももりに違いない。自室に鍵が掛けられない事を警戒して物理的に開けられない様につっかえ棒でも用意しようかと思ったが、良い物が無くあきらめた。


 玲奈には事前にシャワールームを使わせ、終わったのをノックの合図あいずで知らせて貰った。


「あの、シャワーありがとうございました」


 そう言って扉の隙間から顔を出した玲奈はほう蒸気じょうきし髪も乾き切っていない為に薄っすらと湿しめびている。髪をかき上げ耳に掛ける仕草しぐさは誘っている様でもあり朱夏ともしても不気味で鳥肌が立つ。


「別の私が用意した物じゃないから」


 事務所での話を聞いても玲奈が四鬼や影鬼といった妖魔に関わる人種には見えないというのが朱夏の感想だ。だからといって本当に関係無いかと言われると確信は無い。


 今は深入りしない事にして朱夏は玲奈を退ける様に扉を開けた。

 露出ろしゅつが少なく体型たいけいが分かり辛いスウェットなのでブラウスの様な胸が強調きょうちょうされる色気は無い。

 ただ髪の湿り気は朱夏が以前につとめていた客船の修道女風娼婦しょうふの様でもあり色気が強い。


……あの船に居たら凄いかせいだでしょうね。あ、でも他の修道女が嫉妬しっとしたり玲奈さんに手を出したりで問題を起こすか。


 これだけの色気を常時じょうじかれたら同性だって正気では居られないだろう。

 朱夏は可能な限り玲奈から視線を外して廊下に出てシャワールームに向かう。

 擦れ違った玲奈が妙に良い香りをさせていて困惑する。同じシャンプーやリンスを使っている筈なのに何が違うというのか。

 意味が分からず溜息を吐く朱夏に怯えて廊下の端に身体を寄せる玲奈だが、朱夏も流石にこれは玲奈に責任は無いと思っている。


「別に玲奈さんを嫌っている訳じゃありませんよ。ちょっと色気が凄すぎて直視出来ないだけです」

「へ? 色気、ですか? 私、地味ですよ?」

「うわ、気付いてなかったんだ。あのねぇ、本当に色気が無かったら風俗系の仕事を斡旋あっせんされたりしませんって」

「そうなんですか? お前に出来る仕事はそれくらいだ、って意味だと思ってました」

「今までの人の事は知りませんが、私は少なくとも玲奈さんが仕事を探してたらキャバクラとか提案しますよ。それくらい色気凄いですから」

「そ、そんなにですか」

「ええ。同じ女でも直視してると顔が赤く成りそうですから」

「そ、それはすみません」

「別に玲奈さんのせいじゃないんでしょ。困ってる人に追い打ちかける様な事はしたくないですよ」


 それだけ言って今度こそ朱夏あやか玲奈れいなの横を抜けてシャワールームに向かった。

 影鬼事務所蒲田支店のシャワールームにはシャンプー、リンス、ボディソープは1種類ずつしかない。

 つまり玲奈も同じ物を使った筈なのにあの色気の有る匂いを出したのだ。やはり意味が分からずに困惑する朱夏は手早くシャワーを済ませて自室に戻った。


 そのままその日は就寝しゅうしんした朱夏だが、夜中に妙な温かさと寝苦しさと安心感を覚えて目が覚めた。

 覚醒するにつれて嗅覚きゅうかくが非常に甘い匂いを感じ取る。何かに抱き着かれている感覚に困惑して反射的に押し返そうとし、覚えが有るやわらかい感触に今度こそ目を覚ました。


 何事なにごとかと目を開いて自分の右半身に抱き着く人物を見ればあんじょう、玲奈だった。

 朱夏が押し返そうと手を伸ばしたのは玲奈の胸で、思わず軽く揉んでしまった。

 揉まれた感触に玲奈が甘い吐息をらす。それが朱夏の横顔をでると桃の香りのスイーツを前にした様な甘い匂いに脳の一部が焼ける感覚を覚えた。


……この人は息に媚薬びやくでも仕込んでんのか!?


 思わず脳内でツッコミを入れつつ朱夏は本格的に玲奈をがそうとして、かなり力が強い事に気付いた。


 家出したとは朱夏は生涯しょうがい荒事あらごとに関わる様な家系に生まれて幼少期から訓練を積んできた。特に運動していない成人男性でも筋力と技量で退けられる。

 だが玲奈は寝惚ねぼけて力任せに抱き着いているだけなのに、また腕は平均的な成人女性より細いのに振りほどけない。

 その間に腕だけでなく足までからめて来て、まるで獲物えものとらえた蜘蛛くもの様だ。


「このっ、起きろ!」


 これ以上、玲奈の色気に当てられ続けたら可笑しくなる。

 その確信が有ったから朱夏は強行手段として開いた左手で玲奈の頭を殴った。

 流石に殴られれば目は覚める様で痛みと寝惚けを同居させた玲奈が薄目で目を覚まし、まだ寝惚けているのかだんを取る様に朱夏をより強く抱き締める。


「起きろっての!」


 若干じゃっかんの息苦しさを覚えながらも玲奈の頭をもう1度殴ると今度こそ目を覚ましたらしい。

 薄くしか開いていなかった目は完全に見開かれ、朱夏の顔がかなり近くに有る事の驚いた様だ。


「あ、あれ? 一緒に寝て、ましたっけ?」

「そんな訳無いでしょ。ここ、私の部屋よ。玲奈さんが寝惚けて私を抱き締めてるの!」

「え? え? えっと、ごめんなさい?」

「良いから離れて。さっきも言ったけど、玲奈さんの色気、ヤバイのよ」

「え、でも、朱夏ちゃん、温かい」

「止めろ! 私にレズの気は無い!」

「ああっ、ごめんなさいっ」


 本格的に玲奈の危険性を認識した朱夏は絶対に部屋に鍵を掛けると決意して玲奈から距離を取った。

 先程までの体格や見た目の筋肉量に見合わない力は既に無い。アレが無意識だとしたら、やはり玲奈には何か本人も自覚の無い秘密が有るのだろう。


 今まででも特大の溜息を吐いてマットレスから降りて立ち上がって玲奈を見下ろした。

 スウェット姿なのは変わらないが髪は毛先に近い辺りでシュシュによって一束ひとたばっており同棲どうせいしている様な無防備な印象が強い。


……何で私が同性にドキドキしなきゃいけないのよ!


 心中しんちゅう悪態あくたいきながら玲奈に向き直った朱夏は手振りで扉の外を示した。

 玲奈も察しは悪くないのか朱夏の出て行けという指示は伝わった様でゆっくりと立ち上がって退出していく。

 少し名残惜なごりおしそうに横目で朱夏を見るものだから深夜3時に朱夏は心拍数が高いままで寝苦しい夜を過ごした。

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